地球復興会議【後編】
――――――【神奈川県横浜市神奈川区神大寺2丁目 神大寺団地バス停付近】
大月満の朝はウォーキングで始まる。
総合商社角紅が福利厚生の一環で実施する社員定期健康診断において、例年の如くメタボリックシンドロームと高脂血症を指摘された大月は、ひかりによる熱烈な励ましのもと、毎朝1時間程度自宅周辺を散歩している。
横浜市神奈川区の湾岸部には、東京湾にせり出した断崖と遠浅の海岸線を埋め立てて作られた小高い丘が数多く存在する。
NEWイワフネハウスもそんな小高い丘の上に建っており、富士山を望める眺望は素晴らしいものの、その周辺は急な階段や細くて曲がりくねった坂道が多い。
「ただいま~」
勾配が急な坂道や階段をヒイヒイ言いながら踏破した大月が汗まみれになって帰宅すると、ひかりが朝食の準備を始めており、寝ぼけ眼の美衣子や、昨晩『どこへもドア』を使ってこっそりと月面都市から帰宅した結、瑠奈がダイニングの椅子によじ登ってボーっとしていた。
ウォーキングで汗をかいた大月がシャワーを浴びてダイニングに入ると、愛情重視の愛妻弁当からマルス料理開発を経て進歩したメニューの数々が食卓に並んでいた。
「ひかり。ありがとう」
こざっぱりした顔で嬉しそうに微笑む大月。
これでダイエット計画は更なる延長と強化が確定だわ、とほくそ笑むひかり。
大月の胃袋を掴む"餌付け"は着実に成果を挙げているのだ。
「では」
「「「「「いただきます」」」」」」
今朝も元気な声がNEWイワフネハウスに響くのだった。
「お父さん、今日から澁澤や月の代表と話し合いがあるから結と瑠奈も参加させるわ」
美衣子が今日の予定を大月とひかりに告げる。
「学校休めるイエーィ!」
月面都市から深夜帰りで寝ぼけ眼だった瑠奈が、椅子の上に立ち上がるとガッツポーズを取る。
「……学校を休んだ分、真知子先生の補習だよね?」
ひかりの突っ込みで瑠奈は直ぐに椅子の上のフリーダムから転落する。
「その話し合いに俺とひかりは付いて居た方が良いかな?」
塩鮭の身を解しながら大月が美衣子に訊く。
「お願い。お父さんの膝の上は至高の特等席よ。ねえ、ひかり?」
カボチャポタージュをちろちろと下で味わう美衣子。
「そうね。私が独占したいくらいだもの!」
昨晩の営みを思い出しながら満面の笑みで即答するひかり。ベットのサスペンションは万全だった。
「でも、ひかりは"夜の時間"を独占し過ぎ。今日は我慢するべき」
納豆をこねくり回しながら突っ込む結。
「フアッ!?」
真っ赤になるひかりに美衣子が容赦せず追い討ちをかける。
「……はぁ。そろそろ弟が欲しいわ」
ため息交じりの美衣子の言葉にコクコクと頷く結と瑠奈。シナリオ通りである。
「そういうことだから、お父さんは馬車馬のように励んで」
「……えぇ」
今朝も三姉妹にからかわれ、真っ赤にななって俯いてテーブルに突っ伏す大月とひかりだった。
突っ伏しながらも大月は『夜の運動時間』を馬車馬並に増やすことを決意しつつ、ひかりにちゃんとした"けじめ"をつけたいと考え始めていた。
『夜の運動時間』でお互いの気持ちは確認済であり、そろそろ結婚する旨をひかりの祖父であり社長でもある似志野清嗣に相談しようと決意する大月だった。
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2024年(令和6年)11月26日午前9時 『地球復興会議二日目』【東京都千代田区永田町 首相官邸会議室】
会議の議事進行は内閣官房長官の岩崎が行っていた。
「昨日の現状認識を踏まえ、本日から具体案の策定に入りたいと思います」
「まず地球上の避難民への支援だが」
澁澤首相が話し始めた。
「欧州アルプス地方、北米大陸フロリダ、中東エルサレムとアフリカ大陸南端ケープタウン、オーストラリア大陸中央に救助拠点となる『都市』を設置しましょう」
各国首脳に提案する渋澤。
「エルサレム(イスラエル)とフロリダはユニオンシティ、南アフリカのケープタウンは英国連邦極東、オーストラリアは我が国が、欧州アルプスはユーロピア共和国が主体となって都市を設置、相互救助・支援ネットワークを広げてはどうだろうか?」
昨晩のうちに港区飯倉に在る外務省公館に於いて、火星協力機構加盟国の実務官僚レベル調整は完了しており、各国首脳は了承して次の議題へと移っていく。
スムーズな会議進行に見えるが、この決定は暗にアフリカ大陸の大半と、南米・アジア地域の"封鎖と放棄"を意味していた。
火星協力機構加盟国の誰もが非情な決定を理解していたが、誰も異議を唱えなかった。
生産活動が出来ない地球上や火星日本列島の生産活動だけでは、避難民支援と並行して行われる地球環境再生活動に使うべき資源は限られているからである。
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午後の会議ではより具体的な地球環境再生方法が話し合われていた。
「地殻変動鎮静化方法として、アステロイドベルトから小惑星群を日本列島転移跡に設置、まではよろしいかと思います」
「次の問題は大気圏に多く漂い、降り積もり続ける火山灰です」
「空気中だけではなく、地表や海底に降り積もるガラス質の火山灰は動植物の呼吸器系を侵し、海洋や多くの湖沼が酸性化しています。
これ以上の酸性化を食い止める為に、アルカリ性中和剤を用いた地球規模での散布が急務です」
昨日ソーンダイク代表が提供した地上撮影映像を用いて、JAXA天草理事長が説明した。
続いてユニオンシティ総代表ソーンダイクが発言を求めた。
「地球上で石灰質を多く含む土壌は幾つか有ります。例えば欧州フランス地方、南米ユカタン半島、中東トルコのカッパドキア地方は石灰質の地層が多い。
これらの地域から最寄り河川へ石灰岩を溶かして海へ流し、付近の海水から中和させていく方法が考えられます」
「大気中の火山灰は長期間留まります。こちらは旧ISS(国際宇宙ステーション)から気流操作で数か所に纏めてしまうか、人工発生させた雨雲と組み合わせて雨と共に地上へ落とせば、酸性化進行に歯止めをかけられるのではないでしょうか?」
地上と空の両面から取り組む方法を提案するソーンダイク。
「……ふむ。気流操作はつまるところ気象操作ですよね?
地球規模の気象操作は人類に可能でしょうか?」
岬渚紗教授が疑問を感じて発言する。
「気象操作」は可能ですが"制御"は予測不可能な事象が多く、過去の高度人類文明でも成功した試しがありません」
福島県沖の生け簀視察から「どこへもドア」で急遽参加したイワフネが岬に答える。
ほのかな磯の香りが会議室に漂う。
イワフネのリクルートスーツが海水で濡れていたが、誰もそこには突っ込まなかった。
「では衛星軌道上から地球規模での石灰粉散布となりますな」
ロイド提督が発言した。
「……ですが、マルスシャトルやユニオンシティの艦船をもってしても地球規模の散布には到底数が足りません」
「では、地球低軌道から何重にも張り巡らせたハイパーループ路線を構築してそちらから断続的に散布、という方法は考えられませんか?」
イワフネがアイディアを出す。
「……マスター、出番」
美衣子がまたしても突然ゼイエスを呼び出す。
『ミーコ、聴こえているよ。……イワフネのアイディアは面白いな。まるで"銀河鉄道999"ではないかフフフ』
小型音楽ホール並みの研究室一杯に広がるブルートレインのプラレールを背に、ゼイエスが上機嫌で言った。
『地球全域に散布するのではなく、ジェット気流が交わるポイントで散布すれば、後は気流が石灰粉を遠くまで運んでくれるだろう。
赤道上空、旧両極上空に貨物コンテナターミナルを設置、コンテナ列車をジェット気流に触れさせてコンテナから散布すれば良い。貨物列車のイメージになるな』
「マスターゼイエス。ハイパーループ路線は人類の技術で設置可能でしょうか?」
異星人鉄道ファンが提示する壮大な構想に少しドン引いた天草が質問する。
『時間的な余裕も無いので、マルスアカデミーの規定に触れない範囲でハイパーループ技術をアレンジしましょう。
実際の運用は鉄道貨物運用みたいに組めますから、皆さんでも出来るでしょう』
分厚いJRの最新版時刻表を躊躇い無く取り出してみせたゼイエスがさらりと答える。
「……なるほど。方法はわかりましたが、アステロイドベルトからの小惑星運搬や、地球衛星軌道上での"ハイパー貨物列車"運用に必要なエネルギーはどこから調達するのでしょう?」
岬が質問する。
「良い機会だから、マルス文明が使うエネルギーについて説明するわ」
美衣子が大月の膝の上に座ったまま、ホログラム映像で立体的な正三角形を会議室に出現させた。
「この正三角形の中心部に特殊な磁場、ある種のエネルギーが発生するわ」
東京大停電後に出動した自衛隊と米軍を、尖山マルス基地の自動防衛機構が翻弄する一部始終を記録した映像が流れる。
航空自衛隊F4戦闘機背後に、複数の光球体が追いすがり、F4戦闘機がミサイルと勘違いしてフレアー(対ミサイル防御発光弾)を射出したり、山頂の陸上自衛隊空挺部隊が水色の光に包まれて皆神山へ転送されてしまう光景が出ると、
「この光球体や地上部隊を余所に転送させるエネルギーは尖山中心部で派生したエネルギーを使っている」
なぜか結が椅子の上に立ちあがってフンスと薄い胸を張ってアピールするが、皆は敢えて流した。
「フロリダ沖の海底にもマヤ文明人類が建設した"ピラミッド"が不完全に稼働して時々近くを通る飛行機や船をランダムにあちらこちらへ転送してたっス!」
調子に乗った瑠奈が椅子の上に立ちあがってサラリと爆弾発言を投下する。
どよめく参加者。
「ええっ!?えっと……転送された飛行機や船はどうなったの?」
ひかりが動揺しつつ、隣の椅子の上でマウントを取る瑠奈に訊く。
「ん~、かつてのマヤ文明、ひいてはアトランティス大陸のどこかへ安全に転送された筈っス!」
「アトランティス大陸は大昔に沈んでいるよね?」
大月が確認した。
「そうっス!たぶん海の底のどこかへ転送されたっス!」
「……よし瑠奈。帰ったら"安全に"東京湾に沈めてもいいよね?」
引き攣った顔の大月が人類を代表して瑠奈にお仕置き宣言する。
「ええっ!?自分関係ないっス!」
慌てる瑠奈を無視して美衣子は、
「正三角形の規模に比例して得られるエネルギーは変化する。
だから、アステロイドベルトの小惑星を正三角形に加工して自ら運搬エネルギーを生み出すのが理想」
説明を続ける。
「ふーむ。このピラミッドから生まれるエネルギーは「どこから」供給されるのでしょうか?」
岬渚紗が疑問を口にする。
「マルスアカデミーでは、それを完全に突き止め、証明することが出来ていません……」
寝台列車の模型が研究室内のプラレールを走り回る光景を映すモニターを通じてゼイエスが答える。
「私達が居る三次元空間ではなく、更に高次元の空間から得られる自然エネルギーかもしれないとマルスアカデミーでは推測しています。個人的には、惑星が放つ磁力線がピラミッド内で形成される磁場に反応しているのではないか?と思っています」
未知エネルギーと多次元空間について説明を受けた人類側の会議参加者達は唖然としながらも「そういうものなのだ」と納得するしかなかった。
こうして地球復興会議二日目は終了するのだった。
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2024年(令和6年)11月27日午後7時 【神奈川県横浜市 横浜地方気象台】
「東京湾直下で地震。マグニチュード1、震源は横浜市沖1キロ以内」
気象庁の観測員が報告する。
「珍しいな。首都圏の地震なんて火星転移後初めてじゃないか?」
別の観測員が応えた。
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同時刻【神奈川県横浜市神奈川区 NEWイワフネハウス】
「瑠奈。深海飯は旨いか?」
大月が携帯電話で呼び掛ける。
『暗いっス、寒いっス、ぱぱっち~、ごめんっス!今度は空気読んでしゃべるス!うわーん』
ガチ泣きする瑠奈。
横浜市沖400mの海底に設置された畳二畳分の海底観測拠点で瑠奈が夕飯を一人で食べていた。
畳二畳分とは言え、水深400mの海底における水圧は地上より過酷であり、其のような場所に水圧を押し退けるように出現した「お仕置きルーム」は海底地盤に少なくない圧力を与えていた。
もしかしたら小規模な局地地震とか発生しているかも知れない。
此処へ瑠奈を送り込んだのは「どこへもドア」を作った美衣子である。
「……瑠奈。東京湾名物の巨大アナゴをお土産に釣って帰るなら許してあげる」
何故か美衣子が勝手にお仕置きの采配をとっていた。
翌日の夕食はアナゴを使ったちらし寿司だった。おすそ分けを貰ったNEWイワフネハウス入居者が皆喜んで宴会となった。
翌日、大月は突然横浜漁業協同組合に呼び出され、瑠奈がアナゴを無許可で捕獲した事による漁業権侵害の罰金を支払わされた。
大月は首を捻りながら、渋々瑠奈と美衣子を漁業協同組合に加入させる手続きを行った。
こうして有史以来初の異星人海女姉妹が誕生した。
その日の夕食後、美衣子と瑠奈が横浜沖海底の暗いお仕置き部屋で夕食を摂らされた事は言うまでもない。
同じ時間帯に横浜地方気象台の地震計は、横浜市沖を震源とするマグニチュード1の微弱な地震を観測した。
マルス人初の海女となった瑠奈は、その後、火山灰が降り積もる地球海底で絶滅の危機に瀕していたサンゴ礁を保護して火星海洋で治療・増殖するのに一役買うことになるのだが、それは本当に遥か先に語り継がれる別の話となる。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の主な登場人物】
・大月 満=総合商社角紅社員。
・西野 ひかり= 総合商社角紅社員。大月の前ではデレる。社長の孫娘。
・西野 美衣子=日本列島物育成環境保護システムの人工知能。
・鷹見 結=マルス文明尖山基地管理人工知能だったがバージョンアップされた。
・大月 瑠奈=マルス文明地球観測天体(月基地)管理人工知能『ルンナ』。月基地に保管されていた日本人標本から誕生。
・岬 渚砂=東南海大学教授。
・澁澤 太郎=日本国総理大臣。豪胆。
・岩崎 正宗=内閣官房長官。
・天草 士郎=JAXA理事長。
・ロイド・サー・ランカスター=英国連邦極東軍司令官。提督(中将)。
・ソーンダイク=月面都市国家『ユニオンシティ』代表。
・ケビン=英国連邦極東首相。
・ジャンヌ=ユーロピア共和国首相。
・ゼイエス=マルス人。プレアデスコロニーアカデミー特殊宇宙生物理学研究所 所長。
・イワフネ=マルス人。地球調査隊長。




