粛清
――――――【地球衛星軌道上 アース・ガルディア 首都『コア・サテライト』】
「……火星の同胞と協力者は、存外頼りにならん」
火星からの衛星放送を視ながら吐き捨てるように呟く宇宙国家『アース・ガルディア』総代表のイゴール。
彼は、火星日本NHK放送を月面ユニオンシティ経由で日々チェックしていた。
そのNHKが「大月満拉致事件」を報じている。
「おそらく、日本政府は我々が黒幕で有る事に気付いているでしょう。
彼らは今回の事件を機に、火星世論を味方に付けた上で火星新大陸へ入植した同胞を公衆の面前に引きずり出して、我々の関与をあからさまにするでしょう。……よろしく処置せねばなりません」
イゴールと共に衛星放送を視ていたアレクセイエフロシア語圏代議員兼防衛軍司令官が進言する。
「……既に手は打った。我々が関与した証拠は皆無だ。そしてこちらのターンだ」
総代表室の窓から、灰色と僅かな青みを残した地球を眺めながら呟くイゴールだった。
♰ ♰ ♰
2024年(令和6年)11月3日【東京都渋谷区 白金 神聖女子学院附属小学校 校庭】
パン、パンパン
地球にいた頃と変わり無い澄みきった秋空に運動会開催を知らせる花火が小学校の運動場上空で白煙を上げた。
この日、瑠奈が通う小学校の運動会が開催された。
日頃からフリーダムな言動と行動力で優秀な教師陣を大いに悩ませる、齢46億5000万歳を数える小学4年生の瑠奈は、元気にクラスメイトと共に入場行進していた。
「やあやあ!どうもどうもっス!」
大月と西野ひかりを見つけてにこやかに手を振る瑠奈だが、態度がどこか鷹揚だった。
「……なんかムカつくわ」「……生意気ね」
美衣子と結は大月とひかりに肩車されながら上機嫌で瑠奈に手を振っていたが、大月とひかりへの瑠奈の振る舞いを見て縦長の瞳孔を更に細める。
「ま、まあまあ。瑠奈も照れているんだよ、きっと」「そうよ。ホバージェットで現れなかっただけでも良しとしなくちゃですね~」
何故か本人に代わって取り繕うとする大月とひかり。
「せっかく瑠奈が自粛しているのだから、多少の事は目をつぶるべきじゃないかな?イワフネさんもそう思うよね?」
「—――—――えっ?ああ、そうですね。今日は平和に過ごしたものですね」
大月がイワフネにフォローバックを求めたが、イワフネは小型撮影機械に夢中で大月の話を半分聞いていなかったらしく、適当に合わせている。
"叔父"のイワフネは自ら『撮影係』を志願して、保護者に混じってハンディカムで瑠奈を捉えている。イワフネ曰く、マルス・アカデミー謹製保存機械だと全て自動で行う為、撮影者本人の技量で保存状態の良し悪しが決まる地球人類製のハンディカムはかえって貴重らしい。原点回帰の気分なのだろうか?
「そういえば美衣子。運動会の種目に協力したんだって?」
大月が訊いた。
「……この前のオリンピックに比べると他愛も無いわ」
大月に肩車されている美衣子がムフンと薄い胸を張っていた。
機嫌よさげに尻尾が振られて大月の腰をぺシペシと叩く。
「……私もそれなりに知恵を絞ったわ」
風雲ムスビ城の仕掛人である結も、フンスと薄い胸を張る。
こちらは尻尾をひかりにリボンで巻かれて固定されているので振る事は出来ない。
「いやいや。さすがに運動場をダンジョンみたいにはしないでしょ?」
「「……」」
大月の問いに軽く目をそらす頭上の美衣子と結。
「……ちょっとしたスパイス程度の細工しかしていないわ」「……品行方正よ。ちょっとだけ」
しれっと一部犯行を認めた美衣子と、日本語の使い方がおかしい結。
「……あらあらまあまあ。二人とも、お家に帰ったらゆっくりお話しましょうねぇ~」
結を肩車していたひかりが、頭上の結の足首付近を少しだけギュッと握りしめる。
「……クエッ!?アダダダダ!」
悶絶する結。
「私が間違っておりましたわっ!」
悶絶する結を見た美衣子が大月の頭上から飛び降りると、ひかりの足元に平伏する。
「そう。分かればいいのよ。で?どんなスパイス?」
「パン喰い競争のパンに自動反撃機能を――――――って!アダダダダ!」
正直に白状しかけた美衣子にひかりが渾身のアイアンクロ―をかける。悶絶する美衣子。
ひかりにドン引きする大月を余所に周囲の保護者達は、珍しい火星人と地球人類のじゃれ合いだと生温かい目で見守っている。
程なくして悶絶から再起動した美衣子と結を再び肩車する大月とひかり。
美衣子と結は、相変わらず創意工夫自慢を大月とひかりの頭上で繰り広げていたが、内容は穏当な物になっていた。
大月は尻尾よりも胸を張る二人を眺めがら、そう言えば二人とも最近やたらと牛乳を飲むようになっていたな、と思い出した。
大月は小声でひかりに、
「マルス人に牛乳って効果あるのかな?」
訊いてみた。
「そんなの気持ちよ!気持ち!」
何故か頬を染めて大月の視線から自分の身体を逸らすひかり。
大月は何となくこの話題を掘り下げると不味い展開になると予想し、頷いただけでいそいそと運動場の片隅に家族観覧用のレジャーシートを敷き始めるのだった。
運動会は大月とひかりの"予想に反して"円滑に競技が進行していった。
たまに『パン食い競争』の菓子パンが参加者に喰いついてきたり、『障害物競争』がSASUKI仕様で参加者のリタイヤが続出する中瑠奈が易々とクリアーしたり、多少の突っ込み所は有るが、取り合えず騒動沙汰にならない展開に真知子先生達教師陣は嬉し涙を流し、大月達はホッとするのだった。
勿論、美衣子や結、瑠奈は当初の段階では運動場を"ヘル・シティ並"にする勢いで企画をしたのだが、日本列島『外』の世界で不穏な動きが察知され、その"対応"で岩崎や東山と秘かに打ち合わせをした為時間が不足し、大人しい仕掛けになってしまった事情がある。
運動会は想定内の混乱で収拾され、波瀾もなく終わり、三姉妹とイワフネ、大月、ひかりは手を繋いで仲良く帰宅した。
穏やかな休日が終わろうとしていた。
♰ ♰ ♰
――――――11月3日午後11時30分【火星アルテミュア大陸東部 人類都市ボレアリフ 米露合同政府庁舎 極東ロシア大統領執務室】
1週間前に失敗した大月拉致作戦の後始末に忙殺されていたパノフ大統領は、次の計画を模索していた。
「こうなれば、あのNEWイワフネハウスとやらに潜り込むか、シドニア地区の地下施設を占拠するか、悩ましい……」
パノフ大統領はそう呟くとウォッカを飲みながら夜食のキャビァ入りサーモンサンドを食べた。
11月4日午前1時、パノフ大統領の身の回りの世話をする執事が執務室に入ると、パノフ大統領が机に突っ伏しており、声を掛けても反応が無く、ピクリとも動かずにいた。
執事が執務室の前にいたSPに伝えると直ぐに医師が呼ばれ、心肺蘇生処置がなされたが午前1時32分、パノフ大統領の死亡が確認された。
死因は青酸カリが含まれた夜食のサーモンサンドを食べた事による中毒死であった。
極東ロシア連邦警察が捜査を開始したが、厨房の料理人が一人急病で帰宅しており、警察が自宅に突入したが、料理人の変死体が有るのみだった。
解剖の結果、料理人の死因は青酸カリによる中毒死だった。
また、家宅捜索の際、室内から総合商社角紅が発行したサーモン注文票の控えが見つかった。
注文票の担当者は大月満と記載されていた。
キャビアの注文票には注文者として西野美衣子のサインが有った。
極東ロシア連邦警察はこの件について日本国政府に通報し、重要参考人として大月満と西野美衣子両名の即時身柄引き渡しを要求した。
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同時刻【アルテミュア大陸中部 極東アメリカ合衆国開拓拠点 ニューオレゴン農場上空】
極東アメリカ合衆国大統領専用ヘリ『マリーンα』は、内陸開拓拠点の視察を終えたミッチェル大統領を乗せてボレアリフへ帰還する途中だった。
「大統領。ボレアリフシティから緊急連絡です」
パイロットが通信を大統領のヘッドホンに切り替えた。
「何!?」
パノフの訃報を知らされたミッチェルは絶句した。
「奴ら、私達を粛清するつもりか!」
わなわなと怒りに震えるミッチェル大統領。
「アース・ガルディアなどと言ってもソ連のKGBと変わらんではないか!!」
次の瞬間、眼下に広がる麦畑の各所から携帯対空ミサイルが次々と発射されてミッチェルのヘリに命中した。
大統領専用ヘリは空中で爆発四散し、破片が炎上しながら真下の麦畑に落下した。
10分後、異常に気付いた2番機が墜落場所に着陸して生存者の捜索を行ったが、生存者は皆無だった。
2番機が撃墜現場に到着する直前、ステルスモードのブラックホークヘリが微かなローター音を立てて農場から離脱すると、ボレアリフ郊外海岸に停泊していた偽装タンカーへ向かった。
彼らは火星五輪期間中に地球圏から来訪したアース・ガルディア選手団に同行した大会関係者だった。
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11月4日午前7時、極東米露両政府は、両国大統領が相次いで暗殺されたことを公表、両国大統領代行に就任したダグラス・マッカーサー三世により、人類都市ボレアリフと沖縄、北方四島に戒厳令が布告された。
また日本国政府に対し、両国大統領暗殺の重要参考人として、大月満と西野美衣子の即時引渡しが正式に要求された。
日本国政府は事実無根の濡れ衣であるとして即座に引き渡しを拒絶した。
警察庁は、ロシア連邦警察の家宅捜索で発見された注文票の筆跡が本人と一致しなかった事、大月は事件発生当日も日本国内に居た事、大月は入社以来、発注部署に所属していない事も把握しており、重要参考人はでっち上げであると反論した。
列島各国世論の多くは、この事件の背後に宇宙国家アース・ガルディアが糸を引いているとの見方が支配的であり、極東米露の要求に強い不快感を示した。
火星日本列島各国世論の見方は"半分"正しかった。
火星で起きた極東米露首脳暗殺事件は、アース・ガルディア本国での政変が飛び火したものだったのである。
ガルディア暦7年(西暦2024年)11月1日、月面都市ユニオンシティが 『都市国家ユニオンシティ』を名乗ってアース・ガルディアから独立を宣言、ソーンダイク派閥の旧米軍宇宙部隊がアース・ガルディア首都コア・サテライトを急襲したのである。
ここまで読んで頂きありがとうございましたm(__)m
【このお話の主な登場人物】
・大月 満=総合商社角紅社員。
・西野 ひかり= 総合商社角紅社員。社長の孫娘。
・西野美衣子=マルス・アカデミー日本列島物育成環境保護システムの人工知能。
・鷹見結=マルス・アカデミー尖山基地管理人工知能だったがバージョンアップされた。
・大月瑠奈=マルス・アカデミー地球観測天体(月基地)管理人工知能『ルンナ』。月基地に保管されていた日本人標本から誕生。
・イワフネ=マルス・アカデミー第三惑星調査隊長。
・ミッチェル=極東アメリカ合衆国大統領。
・パノフ=極東ロシア連邦大統領。
・アレクセイエフ=宇宙国家アース・ガルディア防衛軍司令。ロシア語圏代議員。
・イゴールアッシュルベルン=宇宙国家アース・ガルディア総代表。




