宴の後
2024年(令和6年)10月25日午前5時30分【神奈川県横浜市神奈川区 NEWイワフネハウス周辺の路上】
「—――—――安全第一。……足元指差し確認。……商品を傷つけない。……着替え準備。……それから――――――」
人類が熱狂した火星五輪の2週間が終わり、いつものサラリーマン生活が始まる月曜日。
大月は秋の到来を予感させるひんやりした朝の空気を満喫しながら、イワフネの研修内容を復唱しながら家の周りを散策していた。
最近になって判明したイワフネの"落ち癖"。
養殖エビやハマチの生け簀にお約束の如く、うっかり落ちてしまうイワフネをどうすべきか意外と悩み所だったりする。
研修手順をブツブツと呟きながら住宅地の狭い路地を歩く大月の背後を、早朝にもかかわらず、軽自動車タイプの宅配便が追い越して行った。
「朝から宅配便?経済統制緩和とは言え、営業車両向け燃料は割高な筈だけど、大手は余裕が出てきたのかな?」
黙考しながら歩く大月の背後から、宅配便にぴったりと続いていたワゴン車がゆっくりと近付くと、大月を追い抜きざま側面のスライドドアーから手が伸びると、大月を車内に引きずり込んで何事も無かったかのように走り去っていく。
NEWイワフネハウス周囲を定点警戒していた内閣調査室の警護担当者が、"偶然に出くわした対向車"に遮られて大月を一瞬見失った瞬間の出来事だった。
大月を拉致した黒いワゴン車はそのまま裏道を疾走して国道1号線に出る手前で忽然と消え去った。
火星オリンピック開催前から、このような事態が起こる事を想定した美衣子が仕掛けたトラップにより、不審なワゴン車は裏道からアルテミュア大陸シドニア地区にある旧マルスアカデミー地下研究施設へ転送された。
地下研究室でパワードスーツの改良に取り組んでいた美衣子は、トラップからの作動信号を受け取ると、結と瑠奈を引き連れると朝食の準備をしていたひかりに大月拉致を報告し、『どこへもドア』を潜ってゼイエスの地下研究施設へ跳んだ。
ひかりは動揺を抑えつつ、直ぐに首相官邸の東山首相補佐官に大月拉致を連絡すると、NEWイワフネハウス自宅にある『どこへもドア』の前で美衣子からの連絡を待つのだった。
東山首相補佐官は、岩崎内閣官房長官に事態を報告すると応援のSPを引き連れてNEWイワフネハウスに駆けつけるのだった。
♰ ♰ ♰
2024年(令和6年)10月25日午前6時【アルテミュア大陸 シドニア地区ナザレ 旧マルスアカデミー地下研究所】
JAXA琴乃羽の案内で、英国連邦極東BBC放送とユーロピア共和国公共放送チャンネル2の合同取材チームが、シドニア地区の地下200mに在る旧マルスアカデミー地下研究所を英国連邦極東特殊部隊に警護されて撮影に訪れていた。
ゼイエスが研究の為に造り上げた広大な地下空間は東京ドームが幾つかすっぽり嵌るような規模だった。
「マイゴット!ドクター・コトノハ!これはファンタジーです!」
興奮した取材チームが琴乃羽に詰め掛ける。
取材チームが興奮して盛んにシャッターを押してこの壮観な眺めを撮影する。
「ちょっ!近い近い!……まあ、ゼイエスさんですからね」
破天荒な振る舞いを繰り返すマルス三姉妹の生みの親とも言えるゼイエスを知る琴乃羽は割と冷静だったりする。
興奮して誰彼構わず話し掛けてはしゃぐ取材チームの背後で、同行していた英国連邦極東の特殊部隊の隊長が琴乃羽に近づいて声をかける。
「ドクター・コトノハ。日本列島から緊急連絡です」
琴乃羽が手渡された通信機を取ると通話先は岩崎官房長官であり、先程大月が不審な車に拉致されて"そちらへ転送された"ので救出して欲しいとの内容だった。
「隊長。私達で対応出来るのですか?」
「わかりませんドクター。しかし、日本首相府の緊急要請です。事態は深刻と判断します」
「取材チームに話して待機してもらいましょう」
琴乃羽が両国の取材チームに事態を伝え撮影中断を詫びると、取材チームが危険を承知で救出作戦に同行取材したいとの申し出てきた。
驚いた琴乃羽が通信機で岩崎官房長官に相談すると、これもまた驚いた事に"自己責任"で許可された。
取材チームは誰も辞退しなかった。
彼らは日本列島火星転移前から、諜報機関の世を忍ぶ仮の姿としてマスコミ関係者になっていた。
こうして特殊部隊に率いられた諜報機関工作員と琴乃羽は、日本本土の首相官邸に誘導される形で研究所の中央広場に行き着いた。
「……ここで待てとの事です」
通信機をずっとONにして首相官邸からの誘導を受ける特殊部隊隊長が言った。
しばらくすると、中央広場中心部にある円形の大きな台座が音もなく水色に輝き出した。
琴乃羽達が声も出せずに台座を見ていると、やがて1台の黒いワゴン車が忽然と現れた。
目だし帽を目深に被った人物が運転席におり、運転手以外の全員が武装していた。
「みんな伏せろ!」
特殊部隊隊長が叫び、琴乃羽を含む全員が床に伏せる。
直後にワゴン車から4人の黒いアサルトスーツを着用した完全武装の兵士がM16ライフルを連射しながら飛び出してきた。
琴乃羽は伏せた体勢のまま、特殊部隊隊員に引きずられるようにして中央広場から離れ、もと来た通路の陰へ避難していく。
同時に特殊部隊がサブマシンガンで応戦を始め、激しい銃撃戦となった。
激しい銃撃戦のなか、勇敢にカメラを回す取材チームを驚愕の眼差しで視ていた琴乃羽が通路の床に伏せていると、床が僅かに規則的に振動するのが身体に伝わってきた。
規則的な振動はだんだん大きくなり、もと来た通路の100m程奥から隊列を組んだ人影が見えてきた。
頭を伏せながらも隊列を覗き見た取材チームの一人が、顔面蒼白になって恐怖の叫び声を上げる。
「—――—――ジーザス!スカイネットが来た!」
行進して接近する隊列から伝わる振動はザッザッ、ではなくカシャッカシャッと金属が擦れあう軽快な音に聞こえた。
「全員伏せたまま通路の端に移動しろ!」
特殊部隊が発砲を続けながら徐々に後退する。
琴乃羽と取材チーム、特殊部隊が通路の左右に四つん這いになりながら移動すると、行進してきた隊列の様子がハッキリ見えた。
隊列は全員がメタリックなスケルトン(骸骨)で銃のような物を構えながら近付いてきた。
まさに某近未来アクション映画のスカイネット軍隊その物だった。
「発砲止め!」
隊長が指示すると隊員達は銃を下ろして取材チームの盾になるように動いた。
スケルトン兵士の4列縦隊16体は左右の特殊部隊と取材チームには目もくれずに通り過ぎると、真っ直ぐに黒いワゴン車へ向かって行った。
スケルトン兵士を確認したワゴン車の兵士から恐怖の絶叫が上がり、激しい銃撃が浴びせられたが、スケルトン兵士の隊列が崩れることはなく、1体も倒せないままワゴン車の兵士に近付くと構えていた銃口からブーンという駆動音と共に白い電光が迸った。
スケルトン兵士の放った小型レールバルカン砲はパルスレーザーの様にワゴン車の前に居た兵士に突き刺さり、兵士は身体中がスパークに覆われて倒れた。
隊列のスケルトン兵士はワゴン車を囲むように散開すると一斉に電光の雨をワゴン車周囲に居た兵士達に浴びせかけて全員を射殺した。
琴乃羽達は冷や汗を流しながら戦慄の眼差しでその光景を見ていた。
スパークと電光の嵐が治まると、ワゴン車の中から一人の兵士が大月の首に銃口を突き付けながら現れた。
「骸骨野郎!人質がどうなっても良いのか?」
兵士がロシア語で叫んだ。
「奴等は極東ロシアの特殊部隊だったのか?」
琴乃羽の隣に来ていた隊長が言った。
「ドクター・コトノハ。あの人質はミスターオオツキで良いのかね?」
「はい。確かに大月さんです!」
大月に銃口を突き付けている兵士が
「骸骨野郎は全員銃を捨てろ」
スケルトン兵士は全員が銃を床に捨てた。
安心した武装兵士が、
「よし、次は――――――」
と言い終わらないうちに先頭のスケルトン兵士の頭が突然すっぽ抜けると大月に銃を向けていた兵士を直撃した。
兵士はスケルトン兵士の頭4個の直撃を受けてワゴン車に叩きつけられた。
同時にスケルトン兵士の腕がニュッと延びて大月をスケルトン兵士側に引き寄せる。
ワゴン車には残りのスケルトン兵士の頭が次々と殺到し、ひしゃげたワゴン車はやがてガソリンに引火すると炎上、車内に置いていた手榴弾が過熱されて爆発し、叩きつけられた兵士諸共吹き飛んだ。
スケルトン兵士の頭は多少の焦げ目がついたものの、また自らの胴体に戻っていった。
大月は拉致直後から意識を失っている様子で、ぐったりしてスケルトン兵士に抱えられていた。
大月を抱えたスケルトン兵士が琴乃羽に近付くと、大月を差し出してきたので、特殊部隊の隊長と二人で大月を受け取ると、スケルトン兵士の隊列は通路の奥へ戻って行った。
スケルトン兵士と入れ替わりに美衣子、結、瑠奈の三姉妹が通路の奥から現れると、大月に近付いて身体を診察した。
「—――—――ん。お父さんは麻酔を射たれているわ」「解毒が必要かしら」「新種の神経ガスじゃないっス!」
「麻酔薬は時間が経てば効果が消えるの?」
診察する三姉妹に聞く琴乃羽。
「簡易スキャンによると、お父さんは軽いヤツを射たれているだけだから問題ないわ」
大月の身体に手をかざしてなぞるような仕草をしながら美衣子が答える。
「2時間程度で目が覚めるわ」
大月の手首や首筋、胸の部分に聴診器をあてて診察していた結も肯定する。
「暴投鎮圧用っス!」
美衣子と結の診察結果を目の前に展開させたホログラム端末で分析して報告する瑠奈。
「琴乃羽。時間稼ぎありがとう。あのままここで立て籠られると機械兵士と大事になったから助かったわ」
美衣子がそう言って頭を下げると結と瑠奈も琴乃羽達に頭を下げる。
「—――—――じゃ、私達はお父さんを家に連れて帰るわ」
そう言うと三姉妹は大月を神輿の様に担ぎ上げると、いつの間にか通路に現れていた"扉"をくぐって"向こう側"へ去っていき、扉が忽然と消え去る。
琴乃羽達は唖然として扉の有った場所を見つめていたが、
「……ドクター琴乃羽。私達はこの後どうすれば?」
困惑して琴乃羽に問う特殊部隊長だった。
♰ ♰ ♰
『どこへもドア』からNEWイワフネハウスに戻った大月と美衣子達はひかりと東山に迎えられ、意識を失ったままの大月は寝室に寝かされた。
東山首相補佐官が手配した自衛隊中央病院から駆け付けた医師の診察により、軽度の全身麻酔を射たれただけで数時間で目覚めると知らされたひかりは、安堵してソファーによろよろと座り込む。
東山は、美衣子達から武装兵士の話を聴くと首相官邸へ報告の為に戻って行った。
「間に合って良かったわ。ありがとうね美衣子、結、瑠奈」
ソファーでようやく落ち着いたひかりは、心配して付き添う3人を抱き締める。
「たまたま琴乃羽達が居たから、時間稼ぎが出来たわ」
照れ隠しになのか、そっぽを向いて事も無げに言う美衣子だったが、尻尾はひかりの言葉に反応してブンブンと子犬の如く元気に振られている。
「……良かったわ。それで琴乃羽さん達は何処に?」
「「「……あっ!?」」」
相変わらずうっかりなマルス・アカデミー三姉妹だった。




