オリンポスの聖火③
――――――火星オリンピック開催の2か月前【神奈川県横浜市神奈川区 NEWイワフネハウス ダイニングルーム】
「クエッ!」
まったりとした夕食後のダイニングに美衣子の緊迫した叫び声が響く。
「なん……だと!?」
受話器を手に取ったまま美衣子が絶句していた。
『ごめんなさい、姉様。瑠奈と頑張ったのだけど、い草が足りなくて……このままでは間に合わないわ……』
受話器の向こう側で結の悲しそうな声が響く。
「パワードスーツ用の柔道着と会場で使用する畳が足りない……」
頭を抱える美衣子。
岩崎内閣官房長官に火星五輪スポンサーになると大見得を切った以上、五輪を成功させなければならないのだ。
「美衣子さん。やっぱりパワードスーツに柔道は無理そうなの?」
やさしく声を掛ける西野ひかる。
「……畳が足りない。ヒトの場合はゴム畳でもいいけど、オリンピックだからい草を使った本格的な畳に拘りたいの」
むーんと唸りながら答える美衣子。
「無理は禁物だよ美衣子。い草を買い占めたら住宅用の畳が作れなくなってしまうからダメだよ?」
美衣子を気遣いつつも、彼女のこだわりにダメ出しする大月。
「パンが駄目ならバターを食べればいいっス!」
明後日を向く瑠奈のフォロー。フォローした有名な某王妃の言葉も間違っているが。
「……バター。……ね」
腕を組んだまま、ソファーでゴロゴロ転がって唸る美衣子。
「パンが駄目ならバター……お菓子?……柔道……空手……レスリング?」
美衣子の思考は、常人には思いつかない深い所まで突き進んでいく。
「—――—――はうっ!?」
不意に転がるのを止め、がばっと起き上がる美衣子。
「これだっ!」
何かが閃いたのか、とてとてと地下の研究室へ駆け降りていく美衣子。つられた瑠奈が美衣子の後に続く。
大月とひかりは顔を見合わせると直ぐに美衣子の後を追った。
美衣子の閃きが、多分物凄く面倒な事態を引き起こす予感が二人にあったのは言うまでもなかった。
♰ ♰ ♰
――――――それから4時間後【東京都墨田区横綱一丁目 公益財団法人 日本相撲協会】
日付が変わろうとする真夜中にも関わらず、相撲協会の会議室には八ッ星理事長以下の全ての理事が集合していた。
「理事長、こんな真夜中に全役員の招集とは穏やかではありませんな。まさか、"また"不祥事が起きたのですか?」
審判部長が八ッ星に尋ねる。
「違う。招集を要請してきたのは文科省だ。首相官邸が絡んでいるらしい……間もなく海星スポーツ庁長官がここへ来る事になっている……」
深刻そうな顔で答える八ッ星理事長。
八ッ星の答えを聴いた理事は全員沈黙した。
今度こそ、未だ知られていない前代未聞の不祥事が明るみとなって角界が崩壊すると全員が覚悟した。
いたたまれないような空気が続く中、階下からドタドタと慌ただしい足音が響いて会議室の扉がバーンと開け放たれると、スポーツ庁長官の海星が会議室の全員に向けて言った。
「—――—――皆さん!相撲が火星オリンピックの正式種目になりました!」
理事長以下、全員が絶句した後、会議室に歓声が沸き起こった。
♰ ♰ ♰
――――――更に5時間後【静岡県御殿場市 富士裾野市 自衛隊演習場】
数時間前に熱狂した雰囲気のまま、海星スポーツ庁長官と共に、途中で合流した防衛官僚に促されるまま、黒塗りのワゴン車に乗せられた相撲協会の理事達は、ひんやりした朝の空気が立ち込める自衛隊富士演習場に到着していた。
「……海星長官。ここへ来たという事は、オリンピック日本代表選手に自衛隊の方が参加されるのですか?」
八ッ星理事長が尋ねた。
「……うーん、そうだね。急遽急いで取り入れる種目だから、皆さんには参加各国の皆さんへのアドバイスをお願いしたいのです!」
明瞭な声で答える海星長官。
「……なるほど。相撲を取るに当たっては、いろいろと守らねばならないしきたりとか有りますからな」
さもありなんと頷く八ッ星理事長。
その時、八ッ星達の居る地面がズシンと振動した。「富士山直下の地震か!?」等とざわめく理事達。
「ご心配なく!これは"新弟子"達の足音です」
澄ました顔で告げる防衛省職員。
「新弟子!?」「地響きを立てる程の巨体なのか!?」
怪訝そうな顔の八ッ星理事長や他の理事達。
振動が段々と大きくなってくるのに伴って、金属が擦れあうガシャガシャッという音も聞こえてくるようになった。
「……おっと。理事長、そろそろ"新弟子"の皆さんがお見えになった様です!」
素敵な笑顔の海星長官。
暫くすると、海星長官と八ッ星理事長達相撲協会役員の前に、自衛隊ジープに先導された各国の”パワードスーツ”が現れて整列していく。
唖然と固まる八ッ星理事長の肩を海星が叩いて促す。
「さあ!これから『パワードスーツ相撲』の"新弟子検査"を行いましょう!
皆さんで手分けすればすぐに終わるでしょう?」
ズラリと並んだ各国のパワードスーツを前にした相撲協会の理事達は、全員がその場で彫像の如く固まってしまうのだった。
♰ ♰ ♰
――――――【東京都千代田区永田町 首相官邸】
「それで『新競技』の準備はどこまで進んでいる?」
笑いを堪えながら澁澤総理大臣が海星スポーツ庁長官に訊く。
『"新弟子"検査は全てのパワードスーツがクリアーしました。……くくっ。……まあ、身長167cm以上、体重67kg以上で心電図やエコー検査に異常なしが条件でしたから』
テレビ電話越しの会話だが、異常な雰囲気の検査時を思い出したのか、笑いを堪えて報告する海星長官。
美衣子達火星三姉妹と日本国防衛省技術本部が"オリンピック仕様"で製作、貸与したパワードスーツは、体高9.35m、基本重量9.8トンである。
勿論、動力炉である水素エンジンの心電図や、機体の超音波検査をクリアしている。
パワードスーツ向けの新基準を相撲協会が検討する間も与えずに、ホイホイと"新弟子"登録が行われたのである。
「……気の毒に。さぞかし相撲協会も見事な肩透かしを食らったのではないですか?」
会議に同席していた岩崎内閣官房長官が、相撲協会の困惑ぶりに同情したのか海星長官に尋ねる。
『……ぷぷっ!それですが、”日本の国技を宇宙国技にする!”と演説をぶった美衣子さんに八ッ星理事長以下全親方は感服していたようですよ』
美衣子の演説に五体投地して喜ぶ理事達を思い出したのか、笑いを堪えるのに失敗する海星。
『……いずれにせよ、相撲の認知度はこれで火星のみならず、月面や地球にまで広がるのです。実に喜ばしい限りです!
なに、パワードスーツ競技が人間よりほんの少し、早まっただけの事です』
事も無げに言い切る海星長官。
「……さぞかし迫力のある大相撲になるだろうな」
土俵際で競り合うパワードスーツの姿を妄想しているのか、楽しそうな顔で呟く澁澤総理大臣。
「……それにしても、各国チームを"部屋"に見立てる必要はあるのかね?」
ふと、思いだしたかのように澁澤が海星に訊く。
『—――—――そこだけは、相撲協会と美衣子さんが拘っておりまして、説得するよりは楽しくやって頂いた方が良いと私が判断しました。
各国からの苦情はありません。むしろ、本場の相撲文化各種を”最新機器”で体験出来るいい機会だと歓迎されています』
海星長官が答える。
「そうなのか?—――—――ミッチェル部屋、パノフ部屋、ケビン部屋、ジャンヌ部屋、イゴール部屋、王部屋、そして澁澤部屋……か」
試作版オリンピック大会プログラムを読みながら、恥ずかしそうに頭を抱える澁澤総理大臣だった。




