オリンポスの聖火②
ガルディア歴7年(西暦2024年(令和6年))6月30日午前11時【東京都千代田区永田町 首相官邸 応接室】
「ソーンダイク代議員。お逢いできて光栄です」
澁澤太郎総理大臣が、代表選手団を引き連れて火星日本を訪れたアース・ガルディア民政局長のソーンダイクとがっちり握手する。
月面都市ユニオンシティから同行してきたユニオンシティCNNとユニオンシティタイムズ紙の記者が二人の握手シーンを何度も撮影した。
負けじと日本のNHKや英国連邦極東BBC、ユーロピア共和国チャンネル・ドゥ(国営放送2チャンネル)等列島各国メディアも盛んにフラッシュを焚く。
「こちらこそお招き頂き、ありがとうございます。
また、月面マルスアカデミー基地居住区の拡張や地球海上都市開発等の物資・技術支援に深く感謝します」
ソーンダイクが外国人にしては珍しく頭を深く下げる。
「当然の対応です。私達は同じ地球人です」
澁澤が笑って言った。
「はいっ!そこまでです!マスコミの方は地上の記者会見場所にてお待ち下さい。澁澤首相との会談後に共同記者会見が行われる予定です」
首相補佐官の東山が、応接室に入り込もうとするマスコミを廊下に押し戻しながら地上へ引率して行く。
落ち着いた空気が応接室に流れると、澁澤は応接のソファーをソーンダイクへ勧め、開口一番、
「ソーンダイクさん。あなた方アメリカ派閥の皆様はこれからどのように動くのですか?」
直球で訊いた。
「まずは月面都市ユニオンシティ居住区のさらなる拡充と防衛の強化です。
イゴール総代表はやはり武力に頼りがちな、典型的なロシアの独裁者でした……。登録国民と官僚組織の4分の3を占めるロシア語圏代議員アレクセイエフ率いるアンゴルモア艦隊は、第二勢力である西側派閥にとって、今そこにある脅威なのです」
ソーンダイクが残念そうに答える。
「……そこまでですか。我が国は武力のみに頼らない方法を模索する貴方を支援する事にやぶさかではない。
しかし、当面はそれで良しとしても、最終的にアース・ガルディアと言う『宇宙国家』は成り立つのですか?」
澁澤が疑念を示す。
「地球環境が激変して居住不可能となりつつある現状、人類は火星や月面で生き延びるしかないと私は思います。
少なくとも、貴国の支援で月面では都市と呼ぶべきものが出来つつあります。やがて都市を統治する組織が必要となるでしょう。
貴国のように生存可能な大地に足をつけられない私達は、結束して生存圏を守る必要に迫られているのです!」
厳しい現状を踏まえた展望を語るソーンダイク。
「地球環境の改善は考えないのですか?」
澁澤が尋ねる。
「……人類が現在手にしている技術では、改善可能な環境状況にはないと判断します。私達の手に余ります」
あっさりと一時的な地球放棄を言い切るソーンダイク。
「ソーンダイクさん、諦めるのは早計です。我々と共にマルス・アカデミーの応用技術で環境改善を試してみませんか?
出来れば”貴方が率いる月面政府”と一緒に地球改善策に取り組みたいものです」
澁澤が提案した。
澁澤首相はソーンダイクに、"各種支援をするからアース・ガルディアと違う価値観の宇宙国家を作れ"と後押ししたのである。
「……」
無言で頷くソーンダイク。盗聴を危惧しての事である。ロシア人は疑い深いのだ。
こうして、澁澤総理大臣との会談で日本国政府とアース・ガルディア国ソーンダイク派閥は、月面及び地球南半球開発に関する協力協定を秘かに締結したのだった。
この秘密協定に基づき火星五輪終了後、列島各国で構成された『火星協力機構』から地球環境改善チームとして日本国政府から内閣官房の東山首相補佐官、国立天文台の空良、海洋生物学者の大鳥の他、英国連邦極東、ユーロピア共和国の技術者達が宇宙航行用に改装されたユーロピア共和国軍(旧フランス海軍原子力潜水艦)多目的戦闘艦『ドゥ・リシュリュー』に搭乗して月面都市へ派遣される事となった。
♰ ♰ ♰
2024年(令和6年)10月1日【火星 オリンポス山 標高23Km付近】
「……ぜぇ。……はぁ。ちょっと空気が薄いっス!」
傾斜した赤い火山の斜面で足を止め、胸に手をあてて呼吸を整えようとする瑠奈の視界遥か下界には雲海とアルテミュア大陸が広がっている。
美衣子から"ちょっと山へ行って火を取ってきて"と頼まれて快諾した瑠奈だったが、"シャレにならないんじゃね?"と思い始めていた。
それでも4時間後、お気に入りのワンピースと運動靴で赤いランドセルを背負い直した瑠奈は、額に軽く汗を滲ませてオリンポス山頂27,000mに登頂した。
地球エベレストの3倍を超える高さの活火山山頂の気温は氷点下20度を超える極寒な上、硫黄独特の卵が腐った様な臭いが立ち込めて空気も希薄だったが、瑠奈は生体電気を活用してシールドを展開、シールド内にオゾンで脱臭・解毒した空気を取り込んでいた。
「えっと……、まずは聖火を取るんっスね!」
山頂の片隅で何食わぬ顔で胡坐をかいた瑠奈は、ランドセルからセラミック製のトーチ部品を取り出すと、美衣子から渡されたメモに従ってトーチを組み立て始めた。
やがて組み立てたトーチは全長1.2mはある大型のもので、瑠奈の背丈よりほんの少し低い程度であるものの、セラミックの為意外と軽い。
「聖火は……火口から採取すべし……っスか……」
美衣子から渡されたメモに従って、ランドセルを足元に置くと、瑠奈がトーチを背負ってとことこと歩いて火口へと近づく。
その時、突如として火口から噴煙と僅かな溶岩がジュッ!と噴出して瑠奈の足元に飛び散る。
「うおっ!?あちっ!めっちゃ熱いっス!」
トーチを背負いながら走り回って降り注ぐ溶岩を避ける瑠奈。
一時的に活発な噴火活動に入った火口から、次々と空高く噴煙が沸き上がり、液体の様な溶岩がブシッと飛び出して山頂へ降り注ぐ。
「……あわわわ。聖火は何処で取ればいいっスか!?」
火口付近でオロオロと溶岩と噴石から逃げ回る瑠奈。
やがて山頂の片隅に置いていたランドセルに溶岩がぺとっと付着すると、火のついた木の葉のようにめらめらとランドセルが溶け落ちながれ燃えていく。
「やべっス!パパっちとママっちに買って貰ったランドセルが!」
慌ててランドセルに駆けよった瑠奈だが、ランドセルは既にじゅわっと溶け落ちていた。
「不味いっスよ!ご飯抜きっスよ!?」
雨のように噴石や溶岩が降り注ぐ中、orzと膝を付いて項垂れる瑠奈。
「こうなったら……美衣子姉さまの依頼をやり遂げて、代わりのランドセルを買うお小遣いをゲットするっス!」
決意も新たに立ちあがる瑠奈。
「聖火……ゲットするっスよ!」
山頂から火口へ大胆にもダイブしていく瑠奈だった。
――――――瑠奈が火口へダイブした2時間後【オリンポス山付近の上空 極東アメリカ合衆国空軍 早期警戒管制機E3Aセントリー】
「ビックバード1からボレアリフ司令部へ。現在オリンポス山上空50,000フィートを哨戒中。異常なし」
場違いとも言える空域を飛行している四発エンジンの大型ジェット機は、アルテミュア大陸を新たな領土として移転した極東アメリカ合衆国に所属しており、火星日本列島に頼らない自らの版図を確大すべく日々、領域の把握と敵対生物、勢力の発見に努めている。
「地上レーダーに反応!オリンポス山頂から猛烈な勢いで”何か”が下降中」
レーダー管制員が機長に報告する。
「報告は明確に行え!”何か”とは何だ!」
注意する機長。
「失礼しました!下降中の物体は高熱源体!移動速度は時速40Kmで東へ移動中」
「ボレアリフ司令部に一報!カメラで捕捉出来るか?」
「可能です!自動追尾オン、映像回します」
機長と副操縦士の間にあるパネルに機体下部の望遠カメラがオリンポス山を駆け下りる高熱源体を映し出す。
「何だこれは!?」
絶句する機長。
「……キャノンボール?」
唖然とする副操縦士。
「もっと拡大しろ!」
更に拡大された画像に映っていたのは、何かを背負いながら山を駆け下りていく"燃える少女"だった。
「「「……」」」
E3A早期警戒管制機の乗員は全員が唖然としてしばらくの間、言葉を失っていた。
『こちらボレアリフ司令部、ビックバード応答せよ。オリンポスで何が見つかったのだ?』
「こちらビックバード。我々は"燃える少女"を発見した。現在東へ移動中。監視を続ける」
『すまないビックバード。通信機の異常か?もう一度報告を頼む』
「こちらビックバード。燃える少女が東へ向かっている。時速毎時50Km」
『ハロウィンにはまだ早いぞ!ビックバード。さっさと次の哨戒ポイントへ向かわれたし』
「……ビックバード、了解した。キャノンボールの追尾を中止、シドニア地区へ向かう」
燃え盛る聖火を背負って疾走する瑠奈を遥か上空から追尾していた早期警戒管制機は悩ましげに翼を傾けると方向を変え、西へ向かうのだった。
この日、長崎県対馬市郊外に在る航空・宇宙自衛隊のレーダーサイトが極東アメリカ合衆国空軍機と思われる通信を傍受したが、あまりに特異な内容だったため、最優先で市ヶ谷の暗号解読部署へ転送された。
オリンポス山頂から駆け下りる『燃える少女』『キャノンボール』が東へ向かったという"暗号"に直面した防衛省中央情報部隊は、すわ新兵器の稼働実験かと色めき立って徹夜で解読作業に当たると共に、首相官邸に緊急連絡を入れるのだった。
♰ ♰ ♰
――――――その日夜【神奈川県横浜市神奈川区 NEWイワフネハウス】
小学校から下校したはずの瑠奈が夕食時間を過ぎても帰宅して居なかった。
何が有っても必ず三度の食事には顔を出していた瑠奈が居ないのだ。
「……瑠奈遅いな。どうしたんだろう」
大月が心配する。
「……食事の時間に戻らないなんて。……何か事件にでも」
ひかりも不安そうに呟く。
「美衣子は瑠奈が何処か寄り道をしたか知ってる?」
大月が訊く。
「……クエッ!?そう言えば、"ちょっと山へ行ってくる"と言っていたような……」
身体をビクッと震わせながら、大月の視線から逃れるように身体を逸らしながら答える美衣子。
「……あらあら、まあまあ。尖山に忘れ物でもしたのかしら?」
美衣子の肩をガシッと、優しく掴みながら輝きを失った瞳で問いかけるひかり。
「……もっと大きい山よ」
硬直してぷるぷると震える美衣子の隣で、涼しい顔をして食後のプリンを堪能する結が白状する。
「富士山かな?」
首を傾げる大月。
次の瞬間、中庭からドスンと衝撃音がして突き上げる様な揺れがNEWイワフネハウスを襲った。
「地震!?」
大月の一言で咄嗟にテーブル下に身を屈める一同。
すぐに揺れは収まり、そろそろとテーブル下から出てくる一同。
中庭に面したベランダ側の窓から赤い光が漏れていた。
「ガス爆発か!?」
慌てる大月。
大月がダイニングの隅に置いてあった消火器を手にベランダへ飛び出そうとすると、ベランダから瑠奈がひょっこりと顔を出した。
「……ただいまっス!」
何故か玄関からではなく、中庭に面したベランダから煤塗れで黒い顔をした瑠奈が現れた。
「瑠奈!?って、あちっ!」
心配して瑠奈に駆け寄ろうとした大月が瑠奈から発する高温の空気を感じると、慌てて距離を取った。
「……おかえりなさい瑠奈。背中の火柱は何?」
意外と冷静だったひかりが瑠奈の背中からオーラのように立ち昇る焔を指さして尋ねる。
「聖火っス!美衣子姉さまっ!言われた通りにオリンポス山頂から持ってきたっスよ!お駄賃弾んで欲しいっス!」
やり切った素敵な笑顔で美衣子に報告する瑠奈。
「……そう。美衣子、こっちへいらっしゃいな……」
凄みを帯びた素敵な笑顔のひかりが、忍び足でリビングから立ち去ろうとしていた美衣子に声を掛ける。
「……美衣子、こっちへ。そう、正座だよ?……話はそれからだ」
大月が優しく硬直した美衣子の手を引いてひかりの前へ連れ出す。
「……瑠奈。その熱いヤツはその辺に立ててこっちへ来て。そう、正座だよ?ランドセルは?」
観念した美衣子を見て固まる瑠奈を手招きする大月だった。
その後、夕食を食べ損なった瑠奈と、無許可でオリンポス山頂へ瑠奈を向かわせた美衣子は、大月とひかりにたっぷりとお説教を喰らい、ベランダで燃え尽きたのだった。
その日夕方、北海道から東北、関東地方上空を巨大な火球が高速で通り過ぎるのを多くの人が目撃して、警察・消防・自衛隊や気象庁に通報が殺到した。
気象庁は、火球は火星アルテミュア大陸から飛来して神奈川県横浜市上空で消えた事から、木星方向から飛来した小惑星が火星大気圏に接触して神奈川県横浜市上空で燃え尽きたものと推測される、と説明した。
火球の正体がトーチを背負ってアダムスキー型連絡艇に乗り込んだ瑠奈だった事は、NEWイワフネハウス住人と首相官邸しか知らなかったのは言うまでもない。
こうして聖火の準備が終わり、リンピック開催を待つばかりの火星日本列島だった。




