空飛ぶ方舟

２０２４年（令和６年）１月２５日【月面＝マルス・アカデミー第三惑星観測ラボ『ルンナ』仮居住区】

　東京ドーム５個分の地下空間にプレハブ住宅が整然と立ち並び、中央行政庁から放射状に伸びた幅１０ｍ道路を電気自動車やトラックが物資や人を乗せて行き交う仮居住区片隅に建つプレハブ宿舎に、火星から航空・宇宙自衛隊の強襲揚陸護衛艦『ホワイトピース』に乗って到着したジョーンズ少将以下１２０名の極東アメリカ合衆国海兵隊員が集められていた。

「ジョーンズを始め、此処に居る皆は今の地球について予備知識を沢山持っている事は分かっているわ。だけど、自分の目で見た光景に衝撃を受けて動けない様では任務の達成など望めない。

　ヨーロッパ救出作戦の時にマルス・アカデミー無人ドローンで北米大陸各地を撮影してきたから、これをよく視て避難民救助に活かしなさい」

　ジョーンズ少将以下の将兵に言い放つと、すたすたと宿舎を出ていく結。

「……えっと。これも結さんなりの配慮の様です。

　ヨーロッパ救出作戦時に英国連邦極東・ユーロピア共和国、自衛隊の合同部隊から、現地の惨状にショックを受けてトラウマとなり、治療を受けざるを得ない者が少なからず出ているのです」

　結のフォローをすべく東山龍太郎 日本国地球方面特命全権大使が事情を説明する。

「……そうだろう。テレビで視る風景と実際に感じる風景は桁違いだ。だが、少しでも現実を知る事は今の我々にとって必要な事なのだ。ミスター東山、映像を頼む」

　東山に大きく頷くジョーンズ少将。

「……それでは、これからマルス・アカデミードローンが撮影した映像を流します。私は席を外しますので、後の事はジョーンズ少将にお任せします」

　ジョーンズ少将に頭を下げると、宿舎を出ていく東山。

「さて諸君。実は私もこれから流す映像を視るのは初めてだ。ここで盛大に泣き、嘆き、感情の全てをぶちまけてから、地球と向かい合おう」

　そう言うと、自ら宿舎内の電気を消してホログラム投影される映像を流すジョーンズ少将だった。

　傾いた摩天楼の先端だけが黒く濁った海面から顔を覗かせる東海岸ニューヨーク、崩れた高層ビル上階に突き刺さった豪華客船や車が立ち並ぶ西海岸ロスアンゼルス、火山灰と地殻変動で溢れた湖水で陸と湖の境が分からい混沌とした五大湖沿岸シカゴなど、海兵隊将兵の見慣れた全米各地の景色が想像以上の地獄に変貌している様を視て絶句し、嘆き、泣き叫ぶジョーンズ少将以下海兵隊員だった。

　半日後、再び宿舎を訪れた結と東山が目にしたのは、全米地図をホワイトボードに広げて救出作戦を練り直す為に議論するジョーンズ少将以下海兵隊員だった。

　彼らの目は未だ赤く泣き腫れた跡が隠せなかったが、半日前よりも力強くなった瞳と少しだけ吹っ切れた表情が全員にあり、海兵隊員の士気が以前にも増して旺盛である事を実感した結と東山だった。

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２０２４年（令和６年）１月２８日【北米大陸 西海岸カリフォルニア ヴァンデンバーグ空軍基地沖の太平洋】

　北米大陸中央北部に位置するイエローストーン火山から絶え間なく流れてくる噴煙と雪雲が混じるどんよりした空模様の中、辛うじて連絡のとれた旧米海軍ロスアンゼルス型攻撃原子力潜水艦２０隻余りが集結していた。

　その中には、インド・太平洋を守備範囲としていた第七艦隊の生き残りである原子力潜水艦『ルイビル』の姿もあった。

　サザーランド大佐を含む潜水艦の艦長達は、迎えのボートに乗って陸上のヴァンデンバーグ空軍基地で、宇宙国家『アース・ガルディア』民政局長ソーンダイク代議員から、これから開始される救出作戦の説明を受ける のだった。

　自分達の乗艦をシャトルに転用する奇想天外な作戦内容にサザーランド大佐達は仰天し困惑したが、飢えと寒さに凍えるアメリカ市民を安全地帯へ送り届ける作戦に全員が同意した。

　説明会が終了した１時間後、音もなくどんよりとした空を突き破るように現れた、二等辺三角形が特徴的なマルス・アカデミーシャトルを目にした水兵は、甲板であんぐりと口を開けて固まるのだった。

「……ジーザス！ノストラダムスの予言が遂に実現してしまうんだ！」

「……ああ、恐怖の大王が空から降ってくるだろうよ」

「宇宙人にアブダクション（誘拐）されるぞ！」

　空を覆わんばかりに展開したマルスシャトル編隊を見たに水兵達は恐怖の声を上げ、中には甲板に跪いてロザリオをかざして祈るものまで出現した。

「馬鹿者！あれは私達を救いに来てくれた地球人に友好的なマルス・アカデミーの宇宙船だ！合衆国の国民を飢えと寒さから救うために天から現れた神の遣いだぞ！口を慎まんか！」

　信心深い水兵達を一喝するサザーランド大佐。

　集結した原子力潜水艦の上空すれすれまで降下したマルス大型シャトル編隊は、下部ハッチを開放させると数十本のロボットアームを展開させてロスアンゼルス型潜水艦をゆっくりと丁寧に、１隻ずつ抱き寄せる様にシャトル内へ収納していく。

　巨大なマルス・アカデミーシャトルに畏怖する水兵達を宥める為、副官と共に甲板に留まったサザーランド大佐は、陸上よりも明るいマルス・アカデミーシャトル格納庫に収容された時も収容後も、揺れや振動が殆ど感じられない事に驚愕していた。

「……ノーフォーク（アメリカ海軍の大規模整備施設が有る軍港）でドック整備を受けている時よりも静かですね」

　サザーランドの隣に居た副官が感想を呟く。部下の水兵達は周囲を見回して広大でがらんとした格納庫に圧倒され、沈黙している。

「……同感だ。我々は本当にエイリアンの助けを借りているのだな。

　ご丁寧に屋外モニターに映る映像まで我々にサービスしてくれているようだ」

　副官の呟きに応えながら、艦の周囲に出現したマルス・アカデミーシャトルの船外を投影するホログラム映像を指差すサザーランド。

「……我々はＳＦの世界に生きているのですね」

「……ああ。スターウォーズの様な展開はご免だがな」

　サザーランドと副官が灰色の海から離れ、ひたすら上昇していく光景を言葉少なげに見つめる中、巨大な原子力潜水艦を収容させたマルス・アカデミーシャトルシャトル編隊各機は、成層圏まで垂直上昇するとそのまま月面へ向かうのだった。

　原子力潜水艦ごとマルス・アカデミーシャトルに収容されたアメリカ海軍将兵は、月面仮居住区に到着して直ぐに出迎えに現れた友軍特殊部隊と爬虫類少女であるマルス人の結が火星日本列島からやって来たと明かされると、もう一度自分達が夢の世界に居るのではないかと自身を疑う事になるのだった。

　

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　月面＝マルス・アカデミー『ルンナ』ラボ仮居住区宇宙ドックでは、ＮＡＳＡ技術者の生き残りと旧米軍工兵が「安全第一」と日本語で書かれた建設作業用ヘルメットを被るマルス人＝鷹見 結のスパルタ指導を受けながら、マルス・アカデミーシャトルで運び込まれた原子力潜水艦から原子炉や潜水艦スクリューを取り出して水素パルスエンジンに転換する作業に取り組んでいた。

　宇宙ドックに近い仮設居住区では、地球避難民のアース・ガルディア国民が大気圏を出入りする際に生じる断熱圧縮現象で船体が加熱されるのを防ぐ耐熱カプセル装着作業に従事していた。

　耐熱カプセルは、スペースシャトルの耐熱タイルを敷き詰めたずんぐりむっくりとした円錐形であり、潜水艦をすっぽりと繭の様に覆う構造となっている。そして、可変可能な巨大な三角形のデルタ翼が繭の左右に装着されている。

　円錐形の胴体にデルタ翼を生やした急造潜水艦シャトルは、作業にあたった技術者や工兵達から『空飛ぶ方舟』と呼ばれるようになった。

　仮居住区の一角に在るプレハブ建ての宿舎では、サザーランド大佐や部下の将兵達が改装された乗艦の性能や取り扱い方法を説明したホログラム映像研修を受けていた。

「……フロリダ沖でマルス・アカデミーシャトルに収容されてすんなり月面まで来た時と違い、今回の作戦は諸君らが長年乗ってきた潜水艦で地球へ降り立ち、避難民を収容した後”自力”で離陸して月面まで向かわねばならんのだ」

「大気圏突入後はデルタ翼を全開、スペースシャトルの様に着陸、着水します。避難民収容後は、水素パルスエンジンを全開にして陸上又は海上を１２００ｍ程滑走して離陸します」

「大気圏突入時や離陸時の身体的負担は、艦の改装が終わるまでの２週間を使ってラボの施設で身体にみっちりきっちり覚えて慣れてもらうしかないわ。

　……私も鬼軍曹として貴方達をちょうきょ―――もとい、教育していくから安心してついてきなさい」

　元海兵隊司令のジョーンズ少将と部下の特殊部隊員、それとねじり鉢巻きをした結が、地球から来たアメリカ海軍将兵に北米大陸救出作戦について説明していくのだった。

　一名だけねじり鉢巻きをした異質な存在が怪しい説明をしていたが、マルス・アカデミーシャトルの主であると自己紹介した彼女に些細な突っ込みを入れる者は誰も居なかった。