帰還【後編】
2023年(令和5年)12月9日【東京都大田区 羽田国際・宇宙空港 特別ゲート】
月面から2週間に及ぶ半冷凍睡眠の旅路を終え、火星日本列島最大となる国際・宇宙空港脇の海面にマルス・アカデミーシャトルがふわりと着陸すると、シャトル下方に在るトラック2台がすれ違えるほどの幅を持つ傾斜型のハッチがゆっくりと開いて巨大な陸橋の様なタラップを陸地に降ろすと、地球欧州の避難民がおずおずと周囲を注意深く見回しながら日本列島に最初の一歩を踏み出していく。
待ち構えていた空港検疫職員や自衛隊員・英国連邦極東軍・ユーロピア共和国軍の兵士達は、ゆっくり丁重に地球避難民をタラップに横付けされたリムジンバスに乗せると、特別入国ゲートのあるターミナルへ誘導していく。
火星衛星軌道到着直前に半冷凍睡眠から目覚めた地球欧州避難民達は、立ち寄った第2衛星『ダイモス』に在る航空・宇宙自衛隊宇宙基地からシャトルに乗船した日本国国土交通省・ユーロピア共和国内務省・英国連邦極東内務省職員で構成された合同チームから事前に入国審査手続きや疫病有無の簡易検査を受けており、20分程で本人確認を終えると、特別入国ゲートから一般旅行者で賑わう空港ロビーに出る事ができた。
空港ロビーに送り出された避難民達は清潔で機能的なロビーを目の当たりにするとその場で立ち尽くし、瞳を潤ませ感無量の面持ちで整然と物事が進む日本の日常を眺めていた。
そんな避難民達に向かって、地元警察と空港警備員に制止されていた内外のマスコミ各社が一斉にインタビューしようと殺到していく。
『第三次世界大戦が始まったとニュースが流れた翌日に、イタリアとギリシャで火山の大噴火、北アメリカの大津波で北海油田が水没したと臨時ニュースを聴いた時は、マジでたちの悪いフェイクニュースかと思ったよ』
2年間着っぱなしだった衣服を月面仮居住区で洗濯したものの、長い間火山灰や雪と垢に塗れて穴やほつれの目立つセーターを着る英国人青年が、肩を竦めインタビューに答えていた。
『見たこともないおっきなシャトルが空から降りてきて怖かったけど、順番待ちをしている間はアニメ――――――『アルプスの淑女ハイン』を視ていたの!』
薄汚れたパーカーに身を包んだ幼い少女が、母親に抱かれながらユーロピア共和国国営放送特派員が差し出すマイクに向かい、無邪気に答えていく。
「アニメ……ですか!?」
首を捻る特派員。
『そう!シャトルの外でおっきなアニメが視れたの!』
元気よく答える少女。
「……日本政府とマルス・アカデミーは餓えと寒さに凍えていた地球避難民に魔法をかけた様です。ハネダ・インターナショナル・スペース・エアターミナルから、クロエ・シモンがお伝えしました」
困惑した様子でリポーターを行う、特派員を兼務するクロエ・シモンユーロピア共和国首相補佐官。
アルテミュア大陸開拓に乗り出したユーロピア共和国の人手不足は深刻かもしれない。
「避難生活で一番辛かった事を教えてください」
『そりゃあ、あんた。ワールドカップが開催されなかった事さ!
……まぁ、電気が来ねえからテレビもラジオも使えなかったんで、開催されても気付かねぇけどな!』
穴だらけでボロボロになったイングランドチームのユニフォームを着た男性が、威勢良く答えて内外タブロイド紙記者達を沸かせていた。
だが大半は、
『戦争の翌日に大停電が起きて、3日で全てが使えなくなりました。入院していた患者さんのうち、集中治療室の重症患者は翌週には皆、亡くなってしまいました。
食料や医薬品も暴徒が幾度も襲撃して全て奪って行ってしまいました。
私達は残った患者を泣く泣く追い出して、病院を閉鎖するしかありませんでした』
沈痛な表情で告白する女性。
「ロンドン警察は何をしていたんです?」
日本に語学留学していた為、火星に転移して難を逃れた英国連邦極東BBC放送の臨時特派員が尋ねる。
『あなた馬鹿ですか!?警察も国防義勇軍(日本の予備役に相当)も暴徒に混じっていたに決まっているでしょう?
物資を盗らないことには、誰も明日を生き延びることが出来ないと知っているのですから!』
そう叫んでワッと泣き出す女性。
泣き叫ぶ声を聞いて駆け付けた英国連邦極東軍の女性兵士が毛布で女性を暖かく包み込むと、空港警備員や警官に護られながら待機していた英国連邦極東大使館が手配したリムジンバスへ乗り込んでいく。
その他にも
『恋人がユーロスターに乗っていたけど、英仏トンネルで連絡が途絶えて……線路づたいに南ロンドンまで探しに行きましたが、途中で線路もトンネルも水没していて……』
沈痛な表情で語る男性。
† † †
「……想像出来ない酷さだね」
NEWイワフネハウスのリビングでテレビニュースを視ていた大月がポツリと呟く。手に持っていたココアを飲む気にもなれず、テーブルに置く。
「……文明崩壊は呆気ないものですね」
避難民に同情する春日の顔は、3・11(東日本大震災)を思い出したのか蒼白だった。
「……ストックホルムの叔父さん達大丈夫かしら」
西野ひかりも画面を食い入るように見つめながら心配そうに呟く。
「地球圏から襲来したアース・ガルディアを撃退した直後に地球避難民到着とは、まだまだ面倒事が起きそうで胃が痛くなりますよ……」
羽田国際・宇宙空港から帰ったばかりの東山が、ネクタイを緩めてソファーにどっかと座る。その顔は疲れ切っていた。
「面倒事?」
首を傾げる大月。
「この映像を視た永田町のセンセイ方がどう動くか想像出来ませんか?」
うんざり顔の東山。
「まさか、現地視察!?」
素っ頓狂な声を上げるひかり。
「……邪魔なだけじゃないですかね」
嫌悪感も露わな春日。
「彼らにとって、地球に行く行かないは問題ではありません。ぶっちゃけ、どれくらい世間の注目を集めるか?なんですよ」
気だるげに答えた東山は、目を瞑るなり寝息を立ててしまうのだった。
東山の予想通り、最初の避難民が羽田に到着した翌日、野党各党は補正予算案審議を些細な理由でボイコットすると、自称『地球救援視察団』を結成して自らに好意的な左派系マスコミを引き連れて羽田国際・宇宙空港に予告なしに向かった。
野党国会議員達はSNSで集まった支持者達と共にマルス・アカデミーシャトルへ無理矢理乗り込もうと規制線を乗り越え、警備していた警察・自衛隊と押し問答を繰り広げる事態に発展するのだった。
♰ ♰ ♰
渋谷のスクランブル交差点や新宿アルタ前に設置された大画面スクリーンに、漆黒の宇宙空間に浮かぶ灰色の煙玉が映っていた。
灰色の煙玉がどんどん大きくなって画面の大半を占めていくと、煙玉の所々に空いたすき間から黒い陸地が見え、灰色の雪雲や火山灰に一面覆われた地球らしいと思われた。
煙玉一色の映像が、上空から大都市を撮影した場面に切り変わる。
画面右上に【陸上自衛隊 習志野】と白字で表示され、また下方には「ロンドン上空」とも表示されている。
上空から撮影されたロンドンは、市内を流れるテムズ川の両岸が氾濫して南半分が水没しており、ランドマークとなる大観覧車は、フェリーがくぐり抜けるのに失敗したかのような形で、真ん中に客船が頭から突っ込んだ形で破壊され傾いていた。
積雪の残るロンドン市内の路上に車や小型船舶が溢れていたが、動いている車や船は1台も見当たらず、放置されたようだった。市内の建物は所々が崩れ傾き、灯りは灯らず、人影の途絶えた英国首都は、巨大な墓標が集まった様だった。
その後は画面下に【オランダ アムステルダム上空】と表示された、灰色の海上がどこまでも続く場所、【アルプス上空】と表示された美しい山岳風景とはかけ離れた、山脈の半分が崩れて黒い土砂と雪に埋め尽くされた光景が延々と続く場所の映像が続くのだった。
大画面スクリーンに映し出された映像に音声は無かった。
渋谷や新宿の街を行き交っていた人々は黙ってその場で立ち尽くしたまま、映像を食い入る様に視るのだった。
マルス・アカデミーシャトルに乗り込もうと詰めかけた野党国会議員達と、制止する警察・自衛隊が押し問答を続けていた羽田国際・宇宙空港にもこの映像が空港ロビーに流され、騒々しかった人々は動きを止めてスクリーンに見入るのだった。
やがて唐突に映像が途切れると、首相官邸で岩崎内閣官房長官の緊急記者会見が始まっていた。
『今回、陸上自衛隊特殊作戦群、英国連邦極東、ユーロピア共和国両国の特殊部隊がマルス・アカデミー支援のもと、ヨーロッパ地域に取り残された我が国国民と、現地生存者を救出する為に地球へ派遣されました』
『派遣された列島各国合同部隊は、現地で在留日本人255名、現地生存者30万人を救出したと報告を受けております。すでに第一陣が昨日、羽田国際・宇宙空港へ到着しております』
『……我が国の火星転移後、地殻変動による大地震、大規模な火山活動が地球全域で同時多発的に発生、さらにポールシフト(極移動)による両極氷床融解で海面が上昇、地球環境は劇的に悪化しました。
大量の火山灰が地球全域を覆った為、殆どの大都市が都市機能を喪失しております。――――――報告によりますと、欧州地域の平均気温は氷点下10度から氷点下20度前後との事です』
衝撃的で悲惨な地球の状況が岩崎官房長官から発表されていくにつれて、羽田国際・宇宙空港に詰めかけていた野党国会議員達はひっそりと、顔を隠す様に空港から立ち去っていくのだった。
翌日、羽田国際・宇宙空港での騒ぎをマスコミは一切報道しなかった。
一部ネットではかなり詳細に伝えたサイトもあったが、それがトレンドワード入りする事は無く、翌週には誰も取り上げる者はいなかったという。




