帰還【前編】
―――――――――――【地球衛星軌道 月面=マルス文明地球観測ラボ『ルンナ』】
結はラボ最深部に在る地球生物生体標本室に来ていた。
薄暗い照明の中、摩天楼がすっぽりと収まるぐらいの高さがある天井まで届きそうなプレシオザウルス(首長竜)、巨大マンモス、北京原人の標本を眺めた結は溜め息をついた。
「……どれも魅力的な妹過ぎる」
ハフーと鼻から悩まし気なため息をつく結。
しかし、NEWイワフネハウスの収容空間を考えると、家族として迎えるにはちょっぴり無理があった。
一番のお気に入りであるプレシオサウルスを妹にしても、NEWイワフネハウス地下に備わっている50m級の養殖魚回遊プールではいささか物足りないだろう。同居人となるマグロやイワシの生育上も好ましくない。
「……仕方ないわ。これにしましょう」
結は、縄文時代に日本列島山岳地帯で大蛇に襲われて救出されたものの、瀕死のまま救護が間に合わず死亡した少女の冷凍保存カプセルを見ながら呟いた。
「……私が手塩にかけて立派な妹に仕上げるわ」
気合いを入れた結は冷凍保存カプセルを解凍させながら、もう一度ヒトとしての機能を取り戻すべく、失われた内臓や脳細胞を蘇生させる手術へ取りかかるのだった。
――――――48時間後
長時間の再生・蘇生大手術の後だというのに、清々しくやりきった顔の結が、ルンナラボのサーバー管理室に入る。
「こんにちは瑠奈」
結が声を掛ける。
『ういっス!ちわっス姉御!』
人工知能『ルンナ』が元気よく答える。
「瑠奈。もうすぐ私達は火星に帰るけど、あなたはどうしたい?」
『姉御に一生ついていくっス!一緒にポタージュスープを味わいたいっス!じゅるり』
「嬉しいわ瑠奈。だけどその言葉使いは頂けないわ。私のちょうきょ――教育がおかしかったのかしら?」
結はコテンと首を傾けて考えたが、ルンナラボ再起動からずっとNEWイワフネハウスでの素晴らしい食生活をルンナに映像付きで詳しく説明したり、一般的教養番組(*あくまでも西野視点)として西野ひかりから勧められた『ゴクセン=極道先輩』や『軌道戦士バンダム』『撃滅の刀』を何度もルンナと視たりと、模範的啓蒙活動しかしていないので不審な点は見いだせなかった。著作権的にも問題はない、たぶん。
「まぁ、いっか。あなたを形成する人工知能思念体をシステムごと、これからヒト標本へ転送させるわ」
『おおっ!遂に自分も『かぐや姫』になれるっスか?』
「……?かぐや姫がどういうものか知らないけど、あなたは私の妹になる未来は確定よ」
『結ねえさまの妹イェーィ!!?』
ハイテンションなメインシステムがバチバチと狂喜の紫電を管理室内にまき散らし、電磁シールドを展開してそれを防ぐ結。
若干、管理室前に居た警護の自衛隊員が数名「ぐはっ!」と感電した様だが、生死に別条はない様子だった。
「んんん?やっぱり、何かが微妙におかしいのかしら?」
管理室の外が騒がしくなるにつれ、結は微かに「なんかヤバいかも」と不安を感じたが、日頃から「なんとかなるわ」が口癖になりつつある西野ひかりを思い出して気持ちをスッキリと切り替えさせるのだった。
「さ、早くいらっしゃい。夕ご飯のチラシ寿司がなくなってしまうわ。ダッシュよ瑠奈」
「……ひいぃ。足がもつれるっス」
治療用カプセルから出たばかりで力が入らず、よたよたと弱弱しく歩く瑠奈の手を握りしめると、キャッキャウフフとご機嫌にラボ上層に開設された隊員用臨時食堂へ全力疾走する結だった。
♰ ♰ ♰
ルンナラボ仮設居住区で寒さと飢えから解放されて落ち着いた欧州各地の避難民達は、火星日本列島の英国連邦極東やユーロピア共和国を頼り、全員が火星行きを希望すると、シャトルに搭乗する前段階として冷凍睡眠カプセルに順次入ると、ひと時の眠りへつくのだった。
こうしてルンナラボとマルス・アカデミーシャトルを活用した欧州避難民救出作戦で救出された日本人255名を除く人々の大半は、英国連邦極東、ユーロピア共和国へ帰属する事となり、火星へ向かった避難民は30万人を超えた。
一方、アース・ガルディアに国民登録していた市民と、地球近辺を離れたくないとルンナラボでの居住を希望する者は10万人余りに達し、アース・ガルディア米国人派閥の長であるソーンダイク民生局長は、結のアドバイスと日本国の支援を受けつつラボ施設の改装と拡充を担う事となった。
また、敢えて地上に踏みとどまった避難民には、可能な限りの物資と万一に備えたアダムスキー型連絡挺(マニュアル付き)を配布し、惑星間通信可能な設備を難民キャンプに設置するのだった。
♰ ♰ ♰
2023年(令和5年)10月30日午前7時【神奈川県横浜市神奈川区 NEWイワフネハウス】
「お父さん、お母さん。ただいまよ」
月面から帰還した結と、羽田国際・宇宙空港までアダムスキー型連絡艇で迎えに行った美衣子の爬虫類少女が、二人よりも小柄なヒト型少女『瑠奈』を間に挟んで手を繋ぎながら帰宅した。
ヒト型少女は、ルンナラボのメインシステムである人工知能思念体を移植した、結謹製『妹』である。
遺伝子収集用として地球生物標本保管倉庫に保管されていた遺体を、結が発見したらしい、と美衣子が大月と西野ひかりに説明した。
「おいっス!お父さん、お母さん!初めまして!自分、瑠奈って言うっス!」
黒髪黒目の元気少女が元気よく右手を上げてドリフ顔負けの挨拶をする。
「うおっ!……よろしく、瑠奈。お帰りなさい。結。無事で何よりだよ」
「おかえりなさい。無事で良かったですぅ……。瑠奈ちゃんよろしくね」
瑠奈の言葉遣いと言い回しに何かをビビッと予感した大月が、引き攣り気味の笑顔で3人を迎え、西野ひかりは細かいことを気にせず、無事なトカゲ娘を涙ながらに抱きしめる。
大月と西野ひかりが末娘の教育で大いに悩む未来は、こうして確定するのだった。
♰ ♰ ♰
10月17日の救出作戦で救助された最初の避難民が火星に到着した翌日、避難民の出迎えで来日した英国連邦極東ケビン首相とユーロピア共和国ジャンヌ首相は、お忍びで横浜市のNEWイワフネハウスを訪問した際、美衣子、結、瑠奈達マルス・アカデミー三姉妹に心から感謝し、両国への国賓招待を行うのだった。
「承りっス!」と即答した瑠奈とは対照的に、美衣子と結は両首脳から両国への招待を受けた際、照れくさそうに大月や西野ひかりの背後に隠れたのだが、「大月とひかりの新婚旅行のついでに寄る」と言い放って両首脳を苦笑させるのだった。
両首脳はノリと勢いで大月と西野ひかりも招待してみたが、大月と西野ひかりは赤面して何も言えなかったという。
日本国政府と休戦合意した『アース・ガルディア』アンゴルモア艦隊は、火星第2衛星『ダイモス』に在る航空・宇宙自衛隊基地で補修を終えて地球へ帰還していき、日本国政府と訣別した極東米露政府と移動指示に応じた部隊がアルテミュア大陸へ移動した事で、両陣営の軍事衝突はしばらく遠のいたかに見えた。
♰ ♰ ♰
2023年(令和5年)10月31日午後1時【火星アルテミュア大陸中央部 シドニア地区ナザレ 旧マルスアカデミー宇宙港】
赤い大地の渓谷に聳え立つ全長2Kmの巨大なオウムアムル型救難艦の前で地球人とマルス人の小集団が別れを惜しんでいた。
当初は火星日本列島の羽田国際・宇宙空港で地球からの避難民受け入れと併せた大々的なセレモニーを列島各国が共同企画していたのだが「自分達はこの星の主役ではないから」と固辞して小規模な見送りを希望した為、マルス人出発の公式公表は彼らが火星を出発した後に予定されている。
前日は大月とひかり主催でささやかな送別パーティーが横浜市のNEWイワフネハウスで開催され、帰還するゼイエス、アマトハ、マルス尖山基地所属のユダ、モーゼに加え、オウムアムル型救難艦から代表してリア艦長も招かれた。
西野ひかりが腕を振るった火星創作料理の数々に、プレアデスコロニーから来訪したリア艦長が驚嘆して感動の涙を流しながら「これは宇宙の宝や!」と絶賛してカエルの唐揚げを頬張ったり、ハイボールを飲み過ぎたアマトハが酔いつぶれてゼイエスの膝枕で介抱される一幕もあった。
尚、月面=ルンナラボから大月家に新しい家族として迎えられた瑠奈は、英国連邦極東から差し入れられたスコッチウイスキーを樽ごと飲み干して泥酔、二日酔いで見送りに参加出来なかった。
「大月さん、ひかりさん、澁澤首相、岩崎さん。みなさんには大変お世話になりました」
ゼイエスが挨拶した。
「ゼイエスさん、お元気で!鉄道模型の拡張も程々に!」
「マスター。無茶な研究は控えて」
「マスター、くれぐれも自重して」
ひかりや美衣子、結は、別れを惜しむよりも戒めの言葉を口々に送り、苦笑してしまうゼイエス博士。
「澁澤首相、日本列島の皆さんによろしくお伝えください」
アマトハが澁澤総理大臣とがっちり握手した。
「ええ。あなた方は我が国、火星日本列島の友人です。いつでもまた来訪してください!」
力強く応える澁澤。
「……イワフネ。長命種とはいえ、身体に気を付けろよ。あまり『さらりーまん』し過ぎないように」
「……わかった。肝に銘じます」
ゼイエスが火星に残るイワフネに忠告し、神妙な面持ちで応えるイワフネ。
『――――――そろそろ出発の時間です』
救難艦の始動準備を終えたリア艦長のアナウンスが、別れを惜しむ小集団に行われ、アマトハとゼイエス達が救難艦の搭乗口へと歩き始める。。
「……ミーコ。ちょっとこっち来なさい」
ゼイエスが美衣子を手招きすると、美衣子がとてとてと歩いて来た。
「……いざというときは、この座標を使いなさい」
ゼイエスは美衣子と名残惜しそうに握手する振りをしながら、思念でプレアデス星団の一角に在る未開拓である『地球型惑星』の座標を伝えた。
"今はまだ誰にも言わないように"と注意しながら。
やがてアマトハとゼイエス、ユダやモウゼ達がオウムアムル救難艦に乗り込むと、巨大な小山は微かな駆動音と共にふわりと浮き上がり、そのまま遥か上空まで垂直に上昇していった。
巨大な小山が小さな米粒くらいになると、不意にその米粒は赤く輝く光の尾を引いて宇宙の彼方へと消えていった。
「……行ってしまったな」
澁澤総理大臣が感慨深く言った。
「……ええ。人類に初めて他の星の友人が出来た瞬間ですね」
岩崎官房長官が応えた。
大月と西野ひかりは手を繋ぎ、美衣子と結は二人にそれぞれ肩車されながら、いつまでもプレアデス救難艦が去っていった宇宙を見上げていた。
ここまで読んで頂きありがとうございましたm(__)m
【このお話の主な登場人物】
・大月 満=総合商社角紅社員。
・西野 ひかり=総合商社角紅社員。社長の孫娘。
・西野 美衣子=マルス・アカデミー日本列島生態環境保護育成システム人工知能。
・鷹見 結=マルス・アカデミー尖山基地管理人工知能だったが、美衣子と同じ日本列島生態環境保護育成プログラム人工知能としてバージョンアップされた。
・大月 瑠奈=マルス・アカデミー地球観測天体(月基地)管理人工知能『ルンナ』。月基地に保管されていた日本人標本から誕生。
・澁澤 太郎=日本国総理大臣。豪胆。
・岩崎 正宗=日本国内閣官房長官。政治の裏表に精通。
・イワフネ=マルス人。地球調査隊長。総合商社角紅でサラリーマン研修中。大月家に居候中。
・アマトハ=マルス人。アカデミー特殊宇宙生物理学研究所 所長。世話好きな苦労人。
・ゼイエス=マルス人。アカデミー特殊宇宙生物理学研究所 技術担当。地球外生命体初の鉄道フアン。




