見知らぬ海岸 / エリアN1205
ーーーーーー【太陽系第五惑星『木星』大赤斑表層 エリアN1205 ミツル商事多目的船『ディアナ号』】
(大月満視点)
ぽつぽつと頬に水滴が当たっているのに気が付いて目を覚ます。
慣れ親しんだ自宅であるNEWイワフネハウスの天井は無く、青みがかった灰色の曇天が視界に入る。
「転移出来たのか?」
涼しく爽やかな空気を吸い込みながら呟くが背中が痛い。
まるで商社マンの駆け出し時代に酔っぱらって真夜中の道路で寝てしまった頃の様だ。
あれは仕事で酷い失敗をした日で、投げやりになったんだな。帰り道に酒を吐くまで大量に飲んだが結局、気も紛れなかったし、翌日は何も変わらなかった。当たり前だけどな。
もしかしたら車に轢かれていたかも知れん。深夜に起こしてくれた通行人の人、ありがとう。
いやいや、もうそんな頃とは違うんだ。さっさと目を覚ますとしよう。
何故か久し振りに嫌な夢を見た。
だが、現実にはもう起こらない事だ。
起こっても今度の俺ならもう少しマシに出来る、と思う。
さて、眼を覚まして身体を起こして立ち上がるとしよう。
屋外の固い床で寝ていたためか背中が少し痛い。だが、寝起きにしては爽快な気分に俺は非日常を感じる。
「そうか。甲板で意識を失ったのだった……」
確か、ジュピタリアンに試食を夢中で配っている最中に紫の光輪と空からの突風で甲板に倒れたのだったな。
「皆は無事に大脱出出来たのか?」
ディアナ号の船首甲板から周囲を確かめる。
ディアナ号から見える景色は、見知らぬ海岸だった。
青みがかった灰色の雨雲が垂れ込めた雨空の下、海岸から500メートル程の所に急勾配の峰とも塔とも見える山々が幾つか存在し、合間からは遠くに摩天楼の様な急峻な煙突状の山々が見えた。
ディアナ号は海岸に漂着しており、其処は青緑色の岩石と砂利が一面に散らばる海岸線だった。
視界の範囲には転移直前までドームを形成していたジュピタリアンの群れは見当たらず、陸側にも海側にも自衛隊の車輌や艦船、2つの人類統合都市、ソールズベリー商会の多目的船『大黒屋丸Ⅱ』の姿は見えない。
海と思われるモノは地球や火星と同じ様に周期的に海岸にザザーとしぶきを上げて打ち寄せては引いてゆく。
海岸は砂利だらけだな。
海水は海岸付近はエメラルドグリーンに近い青色が濃い緑色といった感じだ。だが、直ぐに青黒くなっている事からすり鉢状に深くなっているのだろう。
青黒い海水は何の成分が含まれているのだろう?
分析マニアの結が嬉々として取り組みそうだな。
一面に垂れ込めた雨雲と、しとしとと降り続く小雨に憂鬱な気分になりそうなものだが、胸に吸い込む空気はどこか清々しく爽快な気分になってゆく。森林浴の気分だな。
しっとりと髪や服が濡れてきたので甲板から操舵室に入る。
船長席の前に在る航海士席ではひかりさんが気持ち良さげに突っ伏していた。
あらあら綺麗な顔にボタンやスイッチの跡が付いてしまうから起こさないと。
ひかりさんを揺すって目覚めさせる。
「おはようひかりさん。大丈夫?」
「ムニャ。……おはようあなた。目の前が光って緑の霧が操舵室まで吹き込んできて気を失ってしまったわ……」
「取りあえず大脱出は出来たみたいだけど、ディアナ号以外が見当たらないんだよ」
「あらあら大変。でも朝ごはんの支度をしなくちゃね」
流石ひかりさん。あまり動じていないのかな。
目を擦りながらひかりさんは身体を起こすと操舵室を出て食堂へ向かう。
美衣子と結は大分前から起きていたのか、いそいそと操舵室内の各種機器の起動点検をしている。
「おはよう美衣子、結」
「お父さんおはよう」「おはようお父さんクェッ!」
俺の挨拶に元気に答える美衣子と結。
結の脱無個性化への努力が目覚ましい。
「あれ?瑠奈は何処に居るのかな?」
「瑠奈は朝ごはんのおかずを採りに行っているわ」
「えっ!?採りに?」
美衣子の答えに思わずきょとんとしてしまう俺。
慌てて甲板へ飛び出して周囲を見回して瑠奈を探すが見合たらない。
爽やかな空気の中、しとしとと小雨が降り続いている。
木星と言えども知らない土地でおかず探しで遭難なんて!
警察に捜索願いも出せないアカンやつやん。
「あなたー!朝ごはんの時間ですよー!」
ひかりさんが甲板まで俺を呼びに来る。
「ひかりさん!瑠奈が、知らない場所なのにおかずを探しに行って見当たらないんだけど!」
焦ってひかりさんに話す俺。余裕が無い姿を見せて恥ずかしいが、それどころではないのだ。
「あなた、美衣子に訊いたけど瑠奈はとーっても優秀な相棒と出掛けているから大丈夫ですよぅ。
ささっ!インスタントだけどお味噌汁とパックご飯で握った塩おむすびしかないけど、ご飯を食べて待ちましょ?」
ひかりさんが屈託のない笑顔で俺を諭してくれるのだった。
木星でとーっても優秀な相棒って……まあ、アレだよね。うん。
と心の中で呟いていると、甲板下の海面の一角がにわかに泡立ち盛り上がると、ヌッと黒い大きなチューブワームの長が飛び出して来る。
チューブワームの長の頭上にはスクール水着姿の瑠奈が仁王立ちで俺の姿を見つけると、満面の笑みを浮かべる。
「お父さん!獲ったどーっ!」
巨大な巻物の様な緑の海藻と、スイカほどの大きさがあるフジツボの様なモノを両手に掴んで雄たけびを上げる瑠奈。
大漁らしい。
らしいのだが、酸素ボンベも付けずに素潜りしていたのか。流石、海女。
でもさ。ソレ、食べても大丈夫?
「でかしたわ瑠奈!」「やるわね瑠奈!」
白衣をはためかせながら操舵室から飛び出して来た美衣子と結が、ガイガーカウンター片手に瑠奈に駆け寄って。獲物を調べ始める。
二人とも白衣を準備していたのか。研究者モードだな、こりゃ。
「この海藻は嚙めば嚙むほどジューシーな汁が溢れるナタデココみたいなやつね」
「こっちのフジツボはタコの様な食感が癖になるお酒のおつまみにぴったりなやつね」
直ぐにやたら詳しい解説を始める美衣子と結。
食べれるんかい!
やるな木星。
俺も心を強く持って生きなければ……。
って、おいおいおい!今度は美衣子と結が白衣を脱ぎ捨てるとスクール水着姿に変身だと!?
「クェッ!」「クワッ!」
「ええっ!?」
雄たけびを上げると、甲板から見事なフォームでざぶんと海へと飛び込む美衣子と結。
爬虫類系のマルス人は何故か海が好きなんだよなぁ。イワフネさんも生簀からよくダイブしていたし。本能だな、あれは。
気持ち良さげに泳いでいるけど寒くないのかね。ひかりさんが携帯温度計を見せてくれた。
え?15℃?寒くない!?
未知の惑星の見知らぬ海岸で海水浴を楽しむ三人娘を眺める俺は、強く生きて行こうと決意したばかりなのに早くも不安になるのだった。




