首相官邸【前編】
【東京都千代田区永田町 首相官邸地下 危機管理センター】
危機管理センターで最初に眼を覚ましたのは内閣総理大臣の岩崎政宗だった。
岩崎は、日本全国の神社仏閣が原因不明な緑色に輝く光の柱に包まれた少し後、胸と鼓膜が急激に圧迫される気圧変動と思考中枢を吸い取られる様な感覚を覚えたと同時に意識を失っていた。
彼の胸ポケットに入れていた惑星間携帯電話が振動している。
寝起きにしては爽快な気分で振動する携帯電話の画面を見たが、非通知の相手先だった。
このタイミングでの呼び出しはおそらく先程の……と想定しながら通話ボタンを押す。
『先程ぶりかしら、日本国総理大臣殿』
「はい。弁財天殿」
唐突に澄ました女性の声に応える岩崎。
『あらためまして、出雲大社で日本列島生態環境保護育成システムの中央管制官を務める弁財天よ。貴方とは日本列島が転移する少し前にも事前通告で話したわね』
「その節はありがとうございました。また、ご丁寧な紹介痛み入ります。日本国内閣総理大臣岩崎政宗です」
想定通りの相手に安堵して自己紹介する岩崎。
『さて、余計な挨拶は省きましょう。日本列島全域は太陽系第五惑星に転移しました。
電磁バリアは展開中。第五惑星との環境適合が問題無いとシステムが判断するまでは前回と同じ展開範囲を維持するわ』
「ありがとうございます。それにしても木星ですか……思えば遠くに来たものです」
『あら、第五惑星への転移は貴方達列島の地球人類が思念で強く望んだ事よ。今さら驚く事でもないでしょうに』
「選択肢の一つとして想定はしていましたが、まさかと思っていました」
『貴方達はもう少し思念の力と言うものに向き合った方が良いわよ、っと出過ぎた事を言ってしまいましたわ。
岩崎、第五惑星は第四惑星に比べてかなりの曲者だけど大丈夫かしら?』
「前回の教訓を踏まえ、覚悟と備えは有ります。
如何なる状況下でも日本列島に住まう我々は生存への道を諦めません」
『ふふ。前向きな答えは素敵よ。日本列島の地球人類は第四惑星転移以来、進化し続けているわね……。
アカデミー規則により、これ以上私達システムによる介入や情報提供は出来ないわ。知りたければ自分から動きなさい。
万一の時は美衣子様に相談なさってくださいな』
システムの擬人化に過ぎない筈の弁財天が感慨深く呟いた後、システムプログラムに則った一方的な通知を行うと通話が途切れるのだった。
「今度は木星ですか……。火星と違い情報が圧倒的に少ない環境でどう生き延びるか。弁財天が言った様に前向きに思える事が日本列島を生きる地球人類の進歩なのかも知れません」
長い独白をした岩崎は、会議室の机に突っ伏して寝ている春日官房長官を揺り動かして起こすと、列島各国の首脳に繋がるホットラインを再び稼働させるのだった。
「皆さんおはようございます。無事に朝を迎える事が出来ましたね。たった今、マルス・アカデミーから日本列島の太陽系第五惑星転移の通知がありました。現在は列島周辺に電磁バリアが展開中との事です。さて、私達は知る為に動かねばなりません」
直ぐにホットラインに応じた英国連邦極東のケビン首相と台湾国の王国家代表を始めとする各国首脳に語り掛ける岩崎だった。
木星転移後初となる各国首脳とのホットライン会議では、マルス・アカデミーの日本列島生態環境保護育成システムの中央管制官弁財天とのやり取りを説明した後、列島転移シナリオ2201の発動とそれに伴う政治・経済・軍事活動の共同対処行動が定められ、日本国を始めとする列島各国は日本列島内外での活動を再開するのだった。
七福神が生成した疑似太陽による皐月基準にカスタマイズされた朝の柔らかい日差しが再始動した首相官邸を照らし始めていた。
☨ ☨ ☨
――――――【長崎県佐世保市 英国連邦極東首都『ダウニングタウン』首相官邸】
「……さて、我々は遠くへ来たものだ」
岩崎首相とのホットライン会議を終えた英国連邦極東首相のケビンは、禁煙の誓いを破って葉巻に火をつけると美味そうに吸い込んで紫煙を吐き出して感慨深く呟く。
「MI6(エムアイシックス)の見立ては?」
英国連邦内外諜報部門の長官に尋ねるケビン首相。
「弁財天なる中央管制官が語ったヒトの思いに向き合えとの発言は興味深いですな。まるでヒトの思念そのものがエネルギーだと示唆しています」
心底興味をそそられた風の長官が答える。
「信じる者は救われる、か?」
眉を訝しげに上げて葉巻の紫煙をぷっと吐き出すケビン首相。
「今回の転移直前に起きた日本全土の神社仏閣で起きた現象は地球人類の科学では解明出来ていません」
「我がダウニングタウンの礼拝堂も輝いていたな……」
長官の指摘に頷くケビン。
「思念とやらについては君の所で調査研究を任せる。ミツル商事社長と連絡がついたなら彼にも協力を要請したまえ。
イワシパイ食べ放題と言えばミス美衣子あたりが応じるだろう」
くっくと含み笑いを漏らしながら長官に指示するケビン。
「さて、現実的な話に戻るとしよう。長官、転移による影響は?」
「地上の人的被害は皆無です。
物的被害ですが、五島列島の超長距離レーダーサイトと宇宙通信施設によると、我が国の軍事衛星の信号は確認されましたが上空の磁気嵐が酷くて遠隔操作は不可能、いずれ重大な損傷によって機能を喪失すると思われます」
ケビン首相に訊かれたMI6長官が答える。
「首相閣下、私からも報告を。五島列島沖100kmを警戒航行中のフリゲート艦が上空に多数の未確認移動物体を探知しています」
「まさか、イスラエル連邦軍が一緒に転移したか?」
「いいえ首相閣下。イスラエル連邦の識別信号は探知されませんでした。また、赤外線観測によると動力反応がありません。まるで浮遊して風に流されているかのようだと」
「バカな!?クラゲじゃあるまいし」
軍を統括するグリナート提督の報告に顔を顰めるケビン首相。
「この肝心な時にソールズベリー卿を地球へ行かせたのは不味かったか……」
「確かにマルス・アカデミー技術を応用して建造された『大黒屋丸Ⅱ』ならば浮遊物体の調査や我が国の衛星を回収するのが可能かも知れませんな」
「ないものねだりをしても仕方ないな。転移直前にダンケルク宇宙基地の要員を帰還させる事が出来たのは幸いかも知れん。彼らはいずれ木星衛星軌道上に建設する新たな宇宙基地要員となる。総合商社角紅のミスター仁志野と連絡を取って宇宙建設作業員を確保するとしよう」
「列島転移シナリオ2201との整合はどうされますか?」
軍を統括するグリナート提督が尋ねる。
「我が国の国益は『日本国とつかず離れず』によって得るのが最も効率的だ。もう直ぐ海上自衛隊
との連合艦隊が西方海上の調査で出港する。もちろん調査には積極的に協力するさ。
一方で我々は日本の民間企業と連携して西方海上方面を宇宙から調査する手段を探る、と日本国政府には伝達するのだ……」
擬似太陽によって白み始めた空に向け、自国の安寧を心の中で信仰する神に祈りながら葉巻の煙を吐き出すケビン首相だった。
ここまで読んで頂きありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・岩崎 政宗=日本国内閣総理大臣。日本列島火星転移当時は内閣官房長官だったが、爆弾テロによって重症を負った澁澤太郎から政権を託された。
地球復興優先を図るイスラエル連邦の暗躍による与党混乱で立憲地球党主導の政権交代が実現すると野党となり、一時期下野する。
火星原住生物巨大ワーム群による東京湾侵攻の混乱で立憲地球党政権首脳陣が死亡した事に伴い救国暫定臨時政権を樹立、再び総理大臣となる。
・弁財天=日本列島生態環境保護育成システム中央管制官。
琵琶を奏でる絶世の美女。音楽・弁舌を司り、知恵、芸能・学問成功のご利益がある。
・ケビン=英国連邦極東首相。元英国駐日大使。
・グリナート=英国連邦極東海軍提督。英国連邦極東軍総司令官代理を兼務する。
総司令官は火星由来生物巨大ワーム討伐のため地球英国本土に派遣されているロイド提督。




