水の大地
なろう夏のホラー企画「水」に投稿するお話です。本話含めて3~4話構成の閑章とする予定です。
時系列的には次章が始まってしばらく後、となります。
次章が一定話数出来次第、順次本編へ差し替えてゆく予定です。
2027年(令和9年)初夏――――――【通称 水の大地】
「パパーっ、ママーっ!こっち来て!色んな雲がいっぱい動いてる!」
車から降りるなり走り出した少女が眼下の景色を指差しながら両親を呼ぶ。その顔は好奇心一杯の笑顔だった。
「そんなに慌てては駄目だよ。お淑やかにしなさい……っ!」
運転席から降りた中年男性が娘を注意しかけたが、娘の指差す先を視て言葉を失う。
湖とも言える広大な場所の片隅に浮かぶ周囲500m程の島の南端は断崖絶壁となっており、すぐ下を猛スピードで白いガスが吹き抜けてゆく。
その更に先、遥か下の雲海には青や赤、茶色、水色、灰色をした筋雲が彼方まで伸びており、それぞれが互い違いの方向へ急速に流れていく。
雲海に浮かぶ広大な湖とちょっとした島はまさに”水の大地”とも言える。
「……本当にこんな所があったのね」
最後に車を降りた妻が男性の隣に立つと、景色を眺めてほぅと感心の呟きを漏らす。
「あんまり端へ行くと危ないわよ~」
歓声を上げて小島の端から身を乗り出して眼下の絶景を眺める娘に妻も注意をする振りをして風景を楽しむべく駆け寄ってゆく。
「……ふぅ」
妻と娘が喜んでいる様子を見てホッと一息をつく男性。
ひとしきりはしゃぐ娘と妻を眺めた男性は、背後の空中に佇む黒い水素クラゲの存在に気付く。
この黒い水素クラゲがここまで一家を連れて来てくれたのだ。
「……君。こんなに素敵な場所を紹介してくれたのに、本当にお代はこれでいいのかね?」
どこにでも売っていそうな砂糖をまぶしたありふれたドーナツの入ったビニール袋を旅行バックから取り出して差し出す男性。
『毎度オオキニ。ソレデハ、シバシオ楽シミ下サイ。明日ノ朝、迎エニ行キマス』
触手でドーナツを受け取った黒い水素クラゲは、傘をぴょこんと下げるお辞儀をするとそのまま真っ直ぐ上昇して頭上にたなびく灰色をした筋雲の雲海へと消えてゆく。
「本当に食べ物一つで此処までしてくれるのだな……もう少し異星人との付き合いを深めれば良かったのかもしれんな」
黒い水素クラゲが去って行った灰色の筋雲を見上げながら呟く男性。
男性は立憲地球党が政権交代した時の財務次官だった。
長年の腐れ縁となっていた自由維新党から離脱した後白河副総理・外務大臣のコネで霞が関官僚の高みに上りつめたものの、火星原住生物巨大ワームの東京湾襲撃の際に官僚トップとしての指揮を取らず、新首都候補地の新潟へいち早く向かった事が敵前逃亡だと問題視され、救国暫定臨時政権誕生時には財務次官から降格され北陸地方の財務省関連団体へ出向扱いとなっていた。
北陸地方の過疎化が進んだ山間部に在る男性の職場は職員が自分を含めて4人しかおらず、毎日財務省通達をPCから印刷してファイルに綴るだけの仕事だった。
定年まで10年足らずの時点でこの業務内容は現場復帰が絶望的で飼い殺しに等しい。
だが、救国暫定臨時政権樹立時に復帰した各省庁の事務次官達の恨みを霞が関で晴らされるよりは此処で息を潜めて復活の機会を探すしかないと男性は思っている。
その日、通達を綴る日々を終えた帰り道、廃墟と化した神社跡に佇む黒い水素クラゲと男性は出会った。
空腹を訴える黒い水素クラゲに男性は、山間部唯一の巡回スーパーで買ったドーナツを一袋与えた。
美味しそうにドーナツを貪った黒い水素クラゲはまったりと中空を漂っていたが、男性にとある申し出をする。
『オ世話ニナッタノデ、恩返シガシタイ。ソウイエバ、今度イイ場所ヲ紹介スル。マダ生ケル人類ノ知ラナイ所。オ代ハドーナツ一袋デイイヨー』
半信半疑な男性だったが、どうせ暇なので翌週に有給休暇を申請して黒い水素クラゲの場所へ行って見ることにした。
ついでならばと妻と娘にも話をしたところ、急な転勤と慣れない田舎暮らしに馴染めなかった妻子は快諾して付いて来ることとなった。
そして今日、購入したばかりのステーションワゴンに妻子を乗せて廃神社跡に着くと、黒い水素クラゲがゆらゆらと待っており、崩れかけた鳥居の向こう側で紫色の光輪が輝くとワゴン車を包み込んで”水の大地”に到着していた。
思わぬ巡り合わせで辿り着いた未踏の地。もしかしたら此処から何かが変わるのかも知れない。
僅かに浮き立つ心に気付きながら、ふと同じ時期に外務次官を追われた同僚を思い出す。
「これだけの新天地。どうせなら彼にも教えてやりたかった……」
彼とは細々と近況報告をメールで交わしていたが、数日前からメールが途絶えていた。彼にも家族が居り、わざわざ訪ねるのもどうかと思って気にしていなかったが。
「未開拓の広大な湖と島。インフラを整えて別荘の分譲も可能だ。どれだけの利権と財産を手にする事ができるか」
胸の内で皮算用を膨らませて口角を上げていく男性だった。
夜、島の湖側に止めたワゴン車の中で夕食を済ませた一家は、スライド式の天井を開けて夜空を眺める。
地球とは異なる夜空であり、通過していく79個に及ぶ衛星の幻想的な輝きや太陽系最大の重力に囚われて青く輝きながら落ちてくる流星が一家の眼前に迫る迫力だった。
「素敵な一日だった。霧も出て来たことだし今日はもう寝ようか。明日は朝から湖を探検しよう!」
「うん!蒼い湖で泳ぎたい!」「私は別荘予定地を探そうかしら……」
ワゴン車の外が急速に白い霧に包まれてゆく中、男性の言葉に応えながら妻と娘は急速に眠気を感じて目を閉じてゆく。明日から始まる復活のシナリオに胸をワクワクさせながら男性も深い眠りへと就くのだった。
夜が深まる水の大地一帯を白い霧や水色の霧が雲海に飲み込まんとするかの如く次々と通り過ぎていく。
翌朝、霧が通り過ぎて明るい地上からの光に照らされた広大な蒼い湖と島の大地にポツンと佇む朽ち果てたワゴン車の一家は、永遠に誰も目を覚ます事はなかった。
水の大地上空には、黒い水素クラゲがゆらゆらと浮遊しながら朽ち果てたワゴン車を何時ものように見下ろしていた。
『ナンダ、コノ身体ハコノ程度ナノカ。情ケナイ……』
黒い傘を心無しだらんとさせて嘆息した黒い水素クラゲは、雲海の遥か下方の彼方、日本列島へ幾重にも流れる筋雲の隙間を伝いながらゆらゆらと降りてゆくのだった。
2時間後、偶々近くを飛行していた航空・宇宙自衛隊の戦闘機がステーションワゴンを発見、救難・救助隊が変わり果てた一家を発見するのだった。
ここまで読んで頂きありがとうございましたm(__)m




