諦めの悪い女
(2025.7.16)冒頭にボレアリフ調査を追加しました。
2027年(令和9年)5月7日午後8時【火星北半球 アルテミュア大陸東海岸 人類都市『ボレアリフ』上空】
人類都市『ボレアリフ』救援のため、在日ユニオンシティ防衛軍厚木基地を飛び立った海兵隊特殊部隊を載せた特殊仕様のC130輸送機は、青森県三沢基地を経由して巨大放射能台風の影響を避ける形でシレーヌス海東方へ迂回してようやくアルテミュア大陸東海岸上空に到達した。
「東からの風速80メートル。対放射線惑星磁力線シールド展開。大気観測結果ですが、放射能反応が異常値。日本の環境影響評価基準の400倍です!」
隣に座る副操縦士が緊張の為か少しだけ上ずった声を上げる。
「落ち着け。日没後の為、地上撮影カメラは光学モードから赤外線モードに切り替え。サーモセンサー稼働。少佐殿、この後の指示を」
落ち着いた声音で諭す機長が機器を操作しながら次の指示を求める。
「ここまで高い放射線に汚染された大気では隊員の落下傘降下は不可能だ。ボレアリフ空港へ強行着陸する」
少佐が命令する。
「……少佐。お言葉ですが当機は既にボレアリフ市街地中心部上空を飛行中ですが、地上に建物が何一つありません。衛星ナビゲーションシステムによるとボレアリフ空港は当機から9時の方角に在る筈ですが、見当たりません」
少しの間を置いて機長が答える。
「そんなバカな事があるものか。サーモセンサーと赤外線モニターの画像を此方へ送ってくれ」
少佐が直ぐに機長へデータリンクを命令する。
数分間無言で機長の後方席でモニター画面を見つめていた特殊部隊隊長の少佐が声を絞り出す。
「……何もない、何一つ。……人口20万人の人類都市が何一つ残さずに壊滅しているとは」
黒い雨が降った後に残った氷と暴風雨で地表部分が吹き飛ばされて地層が剥き出しとなった黒い台地の上空を飛ぶ輸送機は僅かな都市の痕跡を探そうと虚しく旋回を続けるのだった。
☨ ☨ ☨
【火星北半球 アルテミュア大陸中央部上空】
衛星フォボスにあるダンケルク宇宙基地から巨大放射能台風を観測する為に発進したF45宇宙戦闘機は巨大放射能台風の上空にあたる大気圏上層部まで降下すると、多目的ミサイルランチャーの代わりに取り付けられた気象観測ポッドを作動させる。
「なんてデカいんだ。吸い込まれたらと思うとゾッとする」
半径500Kmに及ぶ台風の中心部と周囲に渦巻く雲海を見て思わず呟いてしまうパイロット。
F45宇宙戦闘機は台風の目にあたる中心部からゆっくりと外周へ向け翼を傾けると高度を下げてゆく。
気象観測ポッドは各種センサーを作動させると各種レーザーと電波が台風や地上に照射されて収集した観測データを自動的にダンケルクとダイモスにある宇宙基地へと送信していく。
【火星日本列島 東京都港区虎ノ門 国土交通省気象庁 大気海洋部気象監視・警報センター】
「空自ダイモス基地からデータ届きました。放射能台風は人類都市『ボレアリフ』を直撃した後、北西へ進路を変えてアルテミュア大陸北西の海岸沿いを進行中ですが……これはっ!」
衛星軌道上の宇宙基地から発進した戦闘機からの観測データを受信した気象庁では、職員がデータ解析の結果を見て顔を青ざめさせていた。
「中心気圧295ヘクトパスカル、最大風速210メートルだと!?」
解析データを見た全球大気観測調整官が思わず声を上げる。
「中心気圧が異常に低いため、台風周辺海域の海水が引き寄せられて海面が上昇しています。15メートルの海面上昇を観測」
調整官の前で解析を続ける気象観測員が報告を続ける。
「台風は時速95キロで西へ進んでいます。全球観測シミュレーションによると、このままの速度で進むと4時間程でニユーガリアが暴風圏に入ります」
「なんてことだ」
「それと、詳細データは環境庁が分析しないとはっきりしませんが、暫定放射能計測値が通常の300倍です」
「なんてことだ」
「調整官!新たに南半球の台風を観測している戦闘機からのデータを調整官のタブレットに転送します」
顔面蒼白となった気象観測員から調整官のタブレット端末へ観測データが表示されていく。
「中心気圧275ヘクトパスカル、最大風速250メートル、海面上昇25メートル、暫定放射能計測値が通常の300倍の台風が時速100キロで真っ直ぐ北上中、12時間後に日本列島到達だと……」
「……なんてことだ」
無意識に同じ言葉を三度繰り返してしまった全球大気観測調整官は、直ぐに首相官邸の危機管理センターへの直通電話を入れるのだった。
✝ ✝ ✝
2027年(令和9年)5月7日午後9時【火星北半球 アルテミュア大陸西海岸 ユーロピア共和国首都『ニューガリア』】
(ジャンヌ・シモン視点)
季節外れの北風が強まる中、ニューガリア国際・宇宙空港から避難民を定員ギリギリまで搭乗させた日本国自衛隊のC-2ジェット輸送機が轟音と共に滑走路から飛び立つと、南西へと向かっていく。
火星原住生物巨大ワームや巨大ワニの襲撃を受けた経験からニューガリア市民は避難命令に素直に応じ既に人口50万人の3分の2が火星日本列島へ避難している。
残りの3分の1の市民は私に言わせれば往生際の悪い愚か者かも知れないが、私もその一人なので何も言えない。
「さて、次のシャトルが最後になりますが……」
飛び去っていく輸送機をターミナルビルから並んで視ていた共和国国会議長が私に話しかけてくる。
議長はひよっこ政治家の私と違い、長年フランス政界で生き残ってきた現役議員だった。ヨーロッパ救出作戦で火星へ来るまではアルザス地方で生き残ったフランス軍部隊と共に雪と火山灰に塗れながら避難民を取りまとめていた。
ガチの滅私奉公ぶりに私と姉はちょっと引いているので話しづらい相手だわ。
「……首相閣下、本当に此処に留まるおつもりですか?」
「議長、私は諦めの悪い女なの。築いたばかりの第二の故郷に生き残る僅かな可能性があるならば、その可能性を最大限に活かすのみよ。
議長には面倒をかけてしまうのだけど、万が一の時は皆をよろしく。火星日本列島でまた独立への再スタートをお願いするわ」
格好をつけて国会議長に答える私は、国家指導者としては落第に違いない。
だが私は今も第二エッフェル塔の上空で光り輝く水素クラゲ君(心の中ではバゲット君と名付けている)を信じようと思う。
バゲット君があそこで光り輝いているのは意味があるに違いない。仲間を呼び寄せる灯台のような役割かも知れない。
だから、水素クラゲ君に少しでも報いる事をせねば。
「首相閣下。それでは私もそろそろ」
「ええ。今までありがとうムッシュ。貴方達のこれからに幸運を」
議長と別れのハグを交わすと、議長は私の補佐官達を引き連れるとターミナルを出て滑走路脇の電磁カタパルトで待機している最後の脱出機へと向かっていく。
民衆を率いる指導者についてアルザス地方での経験から議長は独自の持論があるようで、それは恐らく私の想うリーダー像と反するものだろう。
議長は火星新大陸への進出に反対し、英国連邦極東首相と同じ日本列島内で独自の勢力を育む考えだった。
いやいや、それだと後々日本国政府ともめるに決まっている。転移当初から支援を受けてきた側が更に母屋を乗っ取る様な恥知らずになってしまう。
第二次アルテミュア大陸上陸作戦成功後に行われた共和国議会の採決により、僅差で火星新大陸進出政策が決まった後は表向き素直に従っていたのだが、これからどうなることやら。
パパパパーンと爆竹が弾けるような独特な衝撃音と共に議長を載せた最後の脱出シャトルが電磁カタパルトから打ち出されて空高くへ飛び去って行くのを横目に、私は後ろに控えている姉に視線を向ける。
「連絡のついたオーナーシェフ達は新シャンゼリゼ通りのカフェテリアに集まっています」
姉である首相補佐官のクロエ・シモンが私に報告する。
「ありがとう。ご意見番は去ったわ。これからは愚かにもみっともない悪あがきの時間よ!」
ターミナルから姉が運転する軍用ジープに乗って私達は新シャンゼリゼ通りへ向かうのだった。
ニユーガリア国際・宇宙空港から飛び立った最後の脱出シャトルの座席で共和国国会議長は、遠ざかっていくニユーガリアの灯りを眺めながら居残ったシモン姉妹を思いため息をつく。
「年寄りよりも先に死に急ぐ馬鹿者が。まったく、あの頑固さはEUを離脱したイギリスへの経済制裁を主張し続けた親譲りに違いない。
……仕方ない、火星日本列島からの再出発を考えねばならん。まずは首相選出の共和国臨時議会開催だな……」
ふん、と鼻息を荒げると再度眼下のニユーガリアを一瞥すると眼をつぶってユーロピア共和国復興への思索にふける国会議長だった。
国会議長の視界には最期を迎えるニユーガリアの夜景の他に、彼方の地平線からピンク色に明滅するジュピタリアンの群れが入っている筈だったが、深い思索にふける国会議長は気付かなかった。
☨ ☨ ☨
【地球極東 人工日本列島エリア・フジ イスラエル連邦首相府】
ニタニエフ首相の執務室で諜報特務庁長官がニタニエフに書簡を渡していた。
「ユニオンシティに駐在している東山龍太郎日本国政府地球方面大使から、火星日本列島への電磁ジャックについて抗議書簡が届きました」
「ふん、我々がやったという証拠があるのかね?」
長官から渡された書簡にざっと目を通すと鼻を鳴らすニタニエフ。
「在日ユニオンシティ防衛軍基地のサーバーと通信記録を添えて事細かに」
「……月面都市のソーンダイク代表を使ったな。忌々しい植物人類め」
長官の説明に顔を歪めて不快になるニタニエフ首相。
「首相、月面都市の生命維持装置はイスラエル連邦軍の管理下にあります」
「時に長官、ちょっと空気循環システムのパイプが外れることぐらいあるだろう?」
「そうですね。宇宙線に4年も晒されていれば、配管の一つや二ついつ壊れてもおかしくありません」
「至急、点検させるのだ」
「かしこまりました」
ニタニエフ首相と小芝居を演じた諜報特務庁長官は、首相執務室を出ると階下の自室から月面勤務の職員に指示を下すのだった。




