今、出来る事
2027年(令和9年)5月7日午後8時【火星日本列島各地】
『イスラエル連邦が行った火星初の南北両極地上核実験に対し、日本国政府は直ちに厳重な抗議を駐日イスラエル連邦大使館へ―――「こちらはユニオンシティCNN放送です。イスラエル連邦政府首相府はMCDA(火星通商防衛協定)加盟国に対し、地球人類に対する反逆行為を直ちに終わらせて極東地区から完全撤退するよう要求しました」』
主要な日本のテレビ局ニュース画像が突然暗転すると、ユニオンシティCNN放送が割り込んでイスラエル連邦政府の主張が流されるのだった。
この日、ユニオンシティCNN放送による電波ジャックは4時間ごとに行われ、日本国内のメディアを大混乱に陥れるのだった。
――――――【東京都千代田区永田町 首相官邸執務室】
「春日君、この電波ジャックはどうやって起こっているのですか?」
「UNEDF(地球連合防衛軍)情報部によると、イスラエル連邦影響下の月面都市ユニオンシティ行政府と防衛軍の通信回線を通じて地球人類生存圏全域に電波ジャックを仕掛けた模様です。
総務省電波監視局からは、国内の在日ユニオンシティ防衛軍基地、領事館、大使館の通信回線が自動的にイスラエル連邦の遠隔操作下に置かれた上で発信されたとの報告が上がっています」
岩崎総理に訊かれた春日官房長官が答える。
「Jアラートは電波ジャックの影響を受けているのですか?」
「受けていません。大月美衣子氏から技術承継を受けた惑星磁力線を活用した緊急通信を先月に導入していたので既存通信システムからの干渉を受けずに済みました」
「それは不幸中の幸いと言うべきですね」
春日官房長官の返答を聞いて少しだけ安堵する岩崎総理大臣。
「それにしても、月面都市ユニオンシティを使って火星へ影響を及ぼすとは。
イスラエル連邦はユニオンシティを従属国の様に扱っている事を自ら明かす様な真似をするとは、ニタニエフ首相は思い切りましたね」
「彼は覚悟を決めたのでしょう。人工日本列島での農業生産が順調故に火星の支援をあてにせず、しばし窮乏したとしても独自に地球復興を推し進めるという事ですね」
春日の感想に応える岩崎。
「それよりも、我が国がイスラエル連邦に対応する以前に私達は火星で生き残るために全力を尽くさなければなりません」
「はい。南北から迫る巨大放射能台風とユーロピア救援ですね。
北海道・沖縄地区にはJアラートを発令しました。ユーロピア救援には九州・中国地方から航空・宇宙自衛隊輸送群を1時間後にニューガリアへ派遣します」
岩崎の言葉に春日が準備態勢を説明する。
「私達は最善を尽くさなければならないのです……」
航空・宇宙自衛隊偵察機が撮影する黒い巨大放射能台風を映す液晶画面に視線を向けると、絞り出す様に呟く岩崎総理大臣だった。
☨ ☨ ☨
――――――【地球 人類統合第12都市氷城上空 多目的船『ディアナ号』】
(大月満視点)
ヘッドセットの通信機から突然ニュース番組のアナウンサーと思われる声が聴こえると、その内容に俺は心底驚く。
火星で核兵器を使用した軍事演習?何をやっているんだイスラエル連邦。
「美衣子、これは本当の事?」
『そうよお父さん。火星南北両極で20メガトンの水爆が使用されて半径100Kmを焼き尽くしたわ。……最新の観測だと爆発で生じたキノコ雲が巨大放射能台風へ発達、人類都市『ボレアリフ』『ガリラヤ』が放射能台風に巻き込まれて壊滅したわ。超巨大放射能台風は日本列島とアルテミュア大陸西海岸『ニューガリア』へ向かっているわ』
俺が訊くと美衣子が状況を説明する。
「マジですか……」
言葉を失った俺は俯いてしまう。
そんな俺に美衣子が宥めるように話しかける。
「火星は大変かもしれない。だけど今からディアナ号で向かった所でお父さんに今、出来る事は何?氷城やバンデンバーグ、自衛隊はどうするの?お父さんに今、出来る事は何?」
美衣子に言われた俺はざわめく心を必死に抑えて考える。
木星へ飛び込んでジュピタリアンの長に直談判して地球へ連れてきたのは何の為?
視界に映る氷城とバンデンバーグを覆うジュピタリアンの壁は7割強まで歓喜を表すオレンジ色に輝いている。
周囲は自衛隊やバンデンバーグ防衛軍のドローンが飛び交って試食メニューをジュピタリアンに提供し続けている。
傍らを見ると、ひかりさんがホログラフィックモニターを忙しなく操作してドローンを試食を待ちわびるジュピタリアンへと誘導している。
今ここで浮足立ってもどうにもならない。俺が今、やるべき事は――――――
「言ってくれてありがとう美衣子。今、出来る事は大脱出作戦に全力を尽くして成功させる事だ」
気持ちを立て直した俺は甲板に置いた出前箱の中身を確認するとドローンへ積み込むのだった。
積み込みを再開して直ぐに大脱出作戦本部である強襲揚陸艦ホワイトピースから作戦続行の問い合わせが来たが、満は「とにかく地球脱出しましょう」と明確に返答するのだった。
☨ ☨ ☨
――――――【アルテミュア大陸西海岸 ユーロピア共和国首都『ニューガリア』首相府】
(ジャンヌ・シモン視点)
夕暮れを迎えて第2エッフェル塔や新凱旋門の影が地上へ落とす中、上空を次々と日本国自衛隊のC-2ジェット輸送機が通過して遥か南西の火星日本列島へ飛び去っていくのを首相府の執務室からぼんやりと私は眺めている。
ジェット輸送機の機内には搭乗定員ギリギリまでニューガリア市民が乗り込んでいる。
第三次世界大戦で日本列島が火星へ転移した後、日本国の援助漬けとなる日々を嫌った私は思い切って火星新大陸へ進出して拠点を求めたのだ。
だが心血を注いで築き上げた火星で三番目の人類都市『ニューガリア』は思わぬ崩壊の危機に瀕している。
いや、8時間後に巨大放射能台風が到来する事は不可避であり崩壊する未来は確定しているのだけど。
ほんの十数分前まではジュピタリアン自炊計画に我が国も参加して木星開発を有利にすべく、ジュピタリアンが好みそうな試食メニュー開発に勤しんでいたというのに人生とはままならないものだわ。
アンニュイな気持ちでひっきりなしに上空を通過する輸送機を眺める私の頬がキツめに叩かれる。痛ったー。
「ジャンヌ・シモン首相閣下。惚けていないで我が国の未来を指し示してください」
妹の頬を叩いた右手の痛みを堪えながら姉であり、首相補佐官でもあるクロエ・シモンが真摯な表情で私をジッと見つめてくる。
「未来って言われても……首都はおしまいよ。共和国繁栄の夢は潰えたわ」
私は苦笑して姉に応える。
「そう……じゃあ、このクラゲ君も私達と運命を共にするのね?」
姉が私の背後を指差して尋ねる。
「は?クラゲ君て……」
私は先ほどまでアンニュイに眺めていた窓へ振り返る。
『ボ、ボンジュール、マドモアゼル……』
執務室が在る2階の窓の外に淡いピンク色に傘を染めた水素クラゲが浮かび、おずおずと挨拶代わりなのか触手をゆらりと掲げている。
はあ?ちょっとあり得ないんですけど……。
「えっ?貴方、ウラニクス湖から来たの?」
思わず聞いてしまう私。
『ウィ。マドモアゼルニ幼生体ヲ付ケテイタカラ』
答えながら開けた窓からゆっくりと空中を漂って執務室へ入る水素クラゲ。
水素クラゲの答えに思わず着たままだったパイロットスーツを見ると、肩や腕の辺りにほんのりと金粉の様な輝く小さな小さな光が僅かに付いている。
『幼生体ハ分身ミタイナモノ。居場所ワカル』
自慢げに傘を青白く明滅させる水素クラゲ。
「君はウラニクス湖に居た方が良かったのに。此処はこれから放射能台風で滅びるのだから……」
物憂げにクラゲ君へ告げる私。
『バゲットサンド、モウ食ベレナイノ?』
「そうね。フレンチのフルコースを貴方達に振る舞いたかったのだけど、残念だわ」
クラゲ君に訊かれた私は答える。
「アッテンボロー博士の調査でフレンチの材料は貴方達の星に沢山あるらしい事が分かったの。首都には本場のシェフが沢山居るから腕を振るってもらう筈だったのだけど」
『ナンテコト……』
私の答えに岸に打ち上げられたかのように床へ崩れ落ちるクラゲ君。
ちょっと芸達者の様な気もするが、今は突っ込まない。
「ごめんなさいね。気持ちは直ぐにでも首都ごと木星へ駆けつけてフレンチフルコース祭りをしてあげたいのだけどね……」
悲しく微笑む私。
『……』
床でつぶれたままのクラゲ君の返事は無い。まるで零したゼリー飲料の様だ。
『首都ゴト……』
床に広がるゼリー飲料が呟く。
「そうね、気持ちだけはね」
私は相槌を打つ。
『……首都ゴト来テクレル?』
「……え、ええ。ジュピタリアンが連れていってくれるならば」
クラゲ君の問いに答える私。この期に及んでこの会話はナンセンス。たった一体の水素クラゲには不可能。
『言質トリマシタ』
ゼリー飲料のクラゲ君がまるでフィルムの巻き戻しをするかの如く床からフワリと浮き上がると、執務室の中空で金色に光り輝く。
「綺麗、金色の何とやらね。まるでナ…」
傍らに居た姉が呟く。姉さんそれ以上は言っちゃダメよ。
ひとしきり室内で輝いたクラゲ君は元に戻った様子。
『ソウイウコトデ、フレンチフルコースヲ沢山ヨロシク~』
クラゲ君は私達に言い渡すとピューッと窓から飛び出して空高く舞い上がって第二エッフェル塔の天辺へと至る。
「そういう事でって、どういう事?」
首を傾げて姉を見る。
「フレンチフルコースの準備をするって事じゃないかしら?」
先程まで悲しげな眼をしていた姉の様子が一変して試食メニュー検討時のそれへと戻っている。
「これは、期待しても良いのかしら……」
私は頼れる料理人に声をかける。
「ジョルジュ。まだ避難していないニユーガリアのレストランオーナーへメッセージを送って。『命の恩人にフルコースを振る舞いたいのでオーナーシェフの力を貸して欲しい』と」
ジョルジュは心得たとばかりに執務室を飛び出して行く。
私は国民の避難を進めながら僅かな可能性に活路を見出すべく、今、出来る事に取りかかるのだった。
――――――【アルテミュア大陸中央部 ウラニクス湖】
遥か西のニユーガリアで彼らの感覚器官では一際眩い輝きと幼生体粒子を大陸中に放った十数分後、湖底が淡く紫色に輝いた湖面に無数の水色をした水素クラゲの傘が次々と浮かび上がる。
湖面を埋め尽くした無数の水素クラゲは空中に浮かび上がると、火星地殻に生じた亀裂を辿って一目散に眩い輝きを放った西へと突進して行くのだった。
ここまで読んで頂きありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・大月満=ミツル商事社長。
・大月ひかり=満の妻。ミツル商事副社長。
*イラストはイラストレーター 七七七 様です。
・大月 美衣子=マルス・アカデミー・日本列島生物環境保護育成プログラム人工知能。
*イラストは絵師 里音様です。
・ジャンヌ・シモン=ユーロピア共和国首相。戦闘機も操る。
*イラストは、イラストレーター七七七様です。
・クロエ・シモン=ユーロピア共和国首相補佐官。妹のジャンヌ・シモンはユーロピア共和国首相。
*イラストは、イラストレーター七七七様です。
・岩崎 政宗=日本国内閣総理大臣。日本列島火星転移当時は内閣官房長官だったが、イスラエル連邦の暗躍による爆弾テロによって重症を負った澁澤太郎から政権を託された。
・春日 洋一=日本国内閣官房長官。大月満の商社時代の後輩。




