自炊
2027年(令和9年)5月7日午前8時12分【東京都千代田区永田町 首相官邸】
「総理!ジュピタリアンの全国一律開放を無責任に行った為に各地で混乱が生じています!責任をお取りになるのですか!?」「旅行業界から莫大な政治献金を受け取った結果ですか!?」
流言飛語に近い内容を真に受けた番記者達が、岩崎総理大臣に駆け寄ろうとするが、SPが官邸警備職員と共に壁となって立ち塞がる。
番記者とSP達が揉みあっている隙に、裏口からヘリポートへと出る岩崎総理と側近一行。
「総理、本当に行かれるのですか?」
岩崎の隣を歩く桑田防衛大臣が確認をする。
「勿論。今は国家の一大事です。ジュピタリアンとは直接会って話をしない事にはどうにもならないでしょう。大月社長がタイミング良く長と直談判の機会を作ったチャンスを逃してはいけません。この体がどこまで耐えられるか分かりませんが、行くしかありません!」
真新しいパイロットスーツに身を包んだ岩崎政宗総理大臣が覚悟を決めた顔で答える。
「むぅ……分かりました。
口さがない者はパフォーマンスだと言うのでしょうなぁ」
岩﨑の覚悟は揺るがないと見た桑田が嘆息して肩を竦める。
「自ら動きもせず批判しか出来ない者の事など今は放っておけばよいのです。それにほら、もう迎えが到着した様です」
嘆息する桑田防衛大臣に応えた岩崎総理大臣が、轟音と共に接近する戦闘機を指差す。
首相官邸上空に降下接近してきた航空・宇宙自衛隊のF35”改複座型”戦闘機は、久しく使われていなかった前庭のヘリポート上空に到着するとジェットエンジン噴射口を垂直に可変させて砂埃を派手に吹き上げながらゆっくりと着陸する。
警備の機動隊員が戦闘機を守るように取り囲む中、首相官邸常駐自衛隊の自衛隊連絡隊員が乗降用の簡易梯子を持ってF35戦闘機に駆け寄る。
タラップが操縦席に掛けられると、複座型コックピット前席から直ぐにパイロットが降りてきて歩み寄る岩崎総理大臣に駆け寄って敬礼する。
「百里基地航空特務隊若田一佐であります!
これから総理をアルテミュア大陸ウラニクスまでお送りさせていただきます!どうぞ、足元にご注意ください」
「ご苦労」
若田に応えた岩崎はF35戦闘機に歩み出す。
SPに周囲を警護されながら若田一佐の補助を受けて岩崎がコクピットへのタラップに足をかけた途端、背後から桑田の呼び止める声があったので思わず振り返る岩崎。
玄関口から美衣子を背中におんぶした桑田防衛大臣が全速力で駆け寄る。
「美衣子さんではないですか。どうして此方に?」
「そんな事より岩崎、これを座席の背中に当てるように。秘密のアイテムよ」
ぜぇぜぇと息を切らせて駆け付けた桑田防衛大臣がSPをかき分けて岩崎に近付くと、美衣子が桑田の背中からヒョイと飛び降りて背負っていた木片を岩崎に手渡そうとする。
不審物を取り出した美衣子を制止しようとしたSPに「大丈夫です」と声を掛け、木片に手を伸ばす岩崎。
「……まな板?でしょうか……ありがとうございます」
はてなと首を傾げながらも受け取る岩崎。
「まな板の鯉じゃないわ。むしろご褒美よ。
乗り込んだら絶対に背中に当てるのよ?絶対よ!大事な事だから二度言ったわ。”振り”じゃないわ。絶対背中に当てるのよ!」
若田一佐に促されてコックピットの後部座席に岩崎が乗り込むまで何度も呼びかける美衣子だった。
岩崎が後部座席に着座して30秒後、ジェットエンジンを垂直に噴射したF35戦闘機は芝生と砂埃を噴き上げながら離陸すると直ぐに機首を北西に向けて上昇して飛び去っていく。
「……ふぅ。何とか間に合ったわ」
やり切った顔で額に滲んだ汗を拭いながら飛び去るF35戦闘機を見送る美衣子。
「ぜぇぜぇ……あの贈り物は何だったんですか?美衣子さん」
久しぶりの全力疾走で未だ息の上がったままの桑田が訊く。
「岩崎の気概に応えるマルス職人の逸品よ」
薄い胸を張って桑田に答えると、首相官邸にとてとてと戻っていく美衣子だった。
「私も欲しいものですな、マルス職人の逸品とやらを……」
「桑田は頑張っているから考えておくわ。私はお父さんたちと”ちょっと木星まで”行ってくるわ」
桑田のおねだりに応えつつ、さらりと行き先を告げる美衣子。
「はい?……ちょっとで木星まで行けてしまうものなのですか?」
「フフフん楽勝よ。クラゲやクジラが行き来できるのだからマルス人の私に出来ないことはないわ」
怪訝な顔で聞き返す桑田にプライドを刺激されたのか、フンスと鼻息荒く薄い胸を張る美衣子。
首相官邸に戻った美衣子は総理大臣執務室のクローゼット内に密かに設置した”どこへもドア”でアルテミュア大陸ウラニクス湖畔のディアナ号へと戻って行くのだった。
「……えぇぇ。”どこへもドア”を使えばわざわざ総理が戦闘機に乗る必要は無かったのでは?」
しれっと姿を消した美衣子を啞然とした顔で見送った桑田防衛大臣はボソリと呟くのだった。
☨ ☨ ☨
【東京都杉並区高井戸上空 】
「府中管制へ。こちら”燕一号”。杉並区上空5000mに到達した。北西進路クリアー。加速する」
『こちら府中、了解。良い旅を』
杉並区上空で巡航高度まで上昇したF35戦闘機コードネーム”燕一号”は、府中管制官に報告を終えるとアルテミュア大陸中央部ウラニクスへ向けてアフターバーナーに点火してマッハ1.5まで加速する。
F35戦闘機のエンジンが最大出力で稼働して機体が爆発的に加速した瞬間、岩崎が着座している後部座席に付けた木片が急加速したGを感知、木片型”使い捨てどこへもドア”が発動、パイロットスーツ姿の岩崎だけ瞬時にウラニクス湖畔のディアナ号食堂に移動するのだった。
『総理!?メーデー!メーデー!こちら燕一号。杉並上空で総理が消えた!』
『こちらジェネラル。落ち着け!』
突然後部座席の岩崎総理が消えたため、緊急事態宣言を発信したパイロットだが、直ぐに桑田防衛大臣自ら「マルス人の美衣子がやらかしただけだから気にしないように」と言い含めるのだった。
☨ ☨ ☨
ーーーーーー同日午前8時30分【火星アルテミュア大陸中央部 ウラニクス湖畔 多目的船『ディアナ号』】
ジュピタリアンとの超大規模作戦立案準備で披露した大月家一行はおやつ休憩を取るべく、食堂でお茶とお菓子の準備に勤しんでいた。
ひかりが中心となっておやつを作成、美衣子達三姉妹が配膳していく傍らで、なけなしの頭脳をフル稼働させた満は片隅で白く燃え尽きている。
「あらあらお疲れさま。不二家の生シュークリームの差し入れがお祖父ちゃんからあったのよ。紅茶と頂くと癒されるわ。ほらほらあ~ん!」
ひかりが椅子の背もたれにだらりとよりかかっている満の背中をポンポンと叩きながら、溢れんばかりの生クリームを湛えたシュークリームを口へと持って行く。
死に体の満がモゴモゴと口を動かして生シュークリームをほおばると、僅かに生気を取り戻していく。
「おぉ……生き返る~。って……んんん?」
生シュークリームを幸せそうに頬張る満だったが、突然食堂の片隅に出現した気配に気付く。
「ふあっ!?此処は?」
突然現れた岩崎がキョトンと周囲を見回す。
「……あらあら岩崎総理。いらっしゃいませ、ようこそディアナ号へ。もう少しでおやつの時間です。プリンパフェに生クリームを載せますか?」
突然起きた状況に動じないひかりが笑顔でおやつの注文を訊く。
「……とりあえず、栗羊羹があれば何とか」
動揺したものの、直ぐに冷静さを取り戻した岩崎が好物をひかりに注文する。
しれっと火星日本列島の永田町から帰ってきた美衣子は、ひかりが用意した栗羊羹を摘みながら涼しい顔で緑茶を飲む岩崎を見て思わず呟く。
「流石だわ。……数多の修羅場を経験してきた政治家に相応しい振る舞いね。落ち着き度合いがお父さんと段違いよ」
「うぐっ……そんなんの分かっているから言わないで……」
生シュークリームで甘い顔をしていた満はダメージを受けるのだった。
☨ ☨ ☨
食堂でおやつ休憩を取る大月夫妻と岩崎総理大臣は雑談を交わしていたが、これから始まるジュピタリアン長との直談判対策となっていく。
「大月社長。ジュピタリアン長との話し合いでは何をするおつもりですか?」
「ジュピタリアンの要望に合わせ過ぎた結果、各地で混乱が起きています。また、出国ゲート側にあたる大赤斑最深部でも億単位の希望者が詰めかけて此方側のコントロールが出来なくなりつつあります。
これ以上事態の悪化を避けつつ、今後の相互交流を良好なものにするためには、ジュピタリアン長の協力が必要不可欠です」
ジュピタリアンで地平線まで埋め尽くされた出国ゲート周辺を映したタブレット端末を見せながら説明する満。
「……こんなにですか。億単位のジュピタリアンを統制させるのは至難の業では?」
端末を視た岩崎の顔が青ざめる。
「おっしゃる通り、このままでは破綻は必須です。
何とか統制できる状況を作り出すために、統制に従って頂く対価として此方側から食糧プラントや"自炊"を可能とさせる調理技術の伝授を考えています」
満が答える。
「自炊の伝授ですか?」
首を傾げる岩崎。
「はい。そして自炊の伝授を行うにあたり、ジュピタリアン側には対価を先払いして頂こうかと。数億キロの惑星間距離を縮めてしまうジュピタリアンの食にかけるエネルギーを活かそうと」
「地球ハルピンの第12都市を巡る件ですね」
「はい。イスラエル連邦軍の攻撃を受けている第12都市住民のみならず、第2都市『バンデンバーグ』や出来れば派遣された自衛隊第7師団もジュピタリアンのエネルギーで一気に火星まで運べればと考えています」
「実現すれば一気に状況が改善しますね」
「火星への惑星間移動が実現して第12都市を巡る件が片付いたらこれ以上、地球とは関わりたくないのです。勝手な考えですみませんが」
「大月さんとご家族は我が国が地球外で生き延びるために力を尽くして頂いています。
これ以上火星日本列島以外の出来事に深入りを避けたいのは当然の事でしょう。実現後の自衛隊や関係各国への対応は日本国政府が手を尽くしましょう」
「ありがとうございます総理。では、行きましょう」
美衣子がゼスチャーでジュピタリアン側の準備が出来た事を知らせてきたので満は岩崎と共に甲板へ移動するのだった。
満と岩崎総理が甲板へ移動するのを見送った後、ひかりと美衣子は頷き合うとジュピタリアン側へのおもてなしに向けて準備を始めるのだった。
✝ ✝ ✝
――――――【木星大赤斑最深部 火星日本列島出発ゲート】
『美鶴。私よ私。新しい任務よ』
火星日本列島へのグルメツアー出発に沸き立つジュピタリアンの制御に悪戦苦闘する琴乃羽美鶴の惑星間携帯電話から唐突に美衣子の指示が飛びだす。
『今から自炊しなさい』
「は?」
オレオレ詐欺じゃね?とお約束を突っ込む間もなく、首を90度近く傾げそうになる琴乃羽美鶴だった。
「何で自炊?」
✝ ✝ ✝
【東京都千代田区丸の内 総合商社角紅本社】
『お祖父ちゃん。私やけど。新しい儲け話やで』
角紅本社の宇宙建築事業部で木星大気圏中層域に建設する食料プラントについて打ち合わせ中だった社長の仁志野清嗣に孫のひかりから連絡が入る。
「なんや。言うてみなさい」
部下たちに席を外すとゼスチャーで伝えると、部屋の片隅に移動してひかりに話を促す仁志野。
『実は水素クラゲや水素クジラに"自炊"をさせたいねんけど』
「――――――むっ!あかん!その話パスやっ!」
面倒ごとの匂いを瞬時に察知した仁志野がひかりの話を途中で遮る。
『お祖父ちゃんから話せ言うたのに何で切ろうとするねん!もうええわ!』
怒って通話を切るひかり。
「どうしたんですかムッシュ仁志野?」
木星食料プラント建設の話し合いに参加していたユーロピア共和国首相補佐官のクロエ・シモンが仁志野に尋ねる。
「いえいえ何も問題あらしまへんよ。ははは」
「じーっ……」
クロエからの視線を逸らそうと乾いた笑みで応える仁志野をジト目で見返すクロエ。
冷や汗を垂らしながらどうしたものかと思案する仁志野が思案する中、クロエの隣に居たジャンヌ・シモン ユーロピア共和国首相の携帯電話から軌道戦士バンダム主題歌の着信音が鳴り響く。
「もしもしジャンヌよ。久しぶりねひかり。どうしたの?――――――えっ自炊!?何それ面白そう!その話乗った!」
元気よくひかりに二つ返事で答えると、直ぐに部屋を飛び出していくジャンヌ。
「……ムッシュ仁志野。首相が飛び出して行ったので失礼いたします」
鉄砲玉の如く飛び出していったジャンヌ首相に肩を竦めて呆れると、仁志野に無作法を詫びてジャンヌの後を追うクロエだった。
「……ジャンヌ首相と補佐官が失礼いたしました。それでは次の検討事項であるマルスアカデミー・シャトルに搭載する資材と食材ですが――――――」
首相と首相補佐官が突然退席したにもかかわらず、残されたユーロピア共和国側の官僚の顔色は変わらず淡々と話し合いを続行していく。
ジャンヌ首相が話し合いから退席した30分後、ユーロピア共和国は国営放送を通じて木星ジュピタリアン向け食育事業を国家総出で立ち上げると緊急声明を出すのだった。
(……あちゃー。もうどうなっても知らんがな。角紅が引き受けへんでも巻き込まれるのは確実やな。この流れに皆まきこまれるで……)
心の中で嘆きながらも、ジュピタリアンの食への欲求が木星開拓計画に与える影響は計り知れないと覚悟する仁志野清嗣だった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・大月 満=ミツル商事社長。
・大月 ひかり=満の妻。ミツル商事副社長。
*イラストはイラストレーター 七七七 様です。
・大月 美衣子=マルス・アカデミー・日本列島生物環境保護育成プログラム人工知能。
*イラストは絵師 里音様です。
・琴乃羽 美鶴 =ミツル商事サブカルチャー部門責任者。元JAXA種子島宇宙センター宇宙文字解析室長。木星原住生物と親しい為、木星探査隊に出向扱い。少し腐っている。
*イラストはイラストレーター 倖 様です。
・ジャンヌ・シモン=ユーロピア共和国首相。戦闘機も操る。
*イラストは、イラストレーター七七七様です。
・クロエ・シモン=ユーロピア共和国首相補佐官。妹のジャンヌ・シモンはユーロピア共和国首相。
*イラストは、イラストレーター七七七様です。
・岩崎 政宗=日本国内閣総理大臣。澁澤政権時の内閣官房長官。
・桑田=日本国防衛大臣。
・仁志野 清嗣=ひかりの祖父。総合商社角紅社長。




