訓示
2027年(令和9年)5月6日午前10時40分【太陽系第5惑星『木星』 大赤斑最深部】
本来であれば地球大気圏の数百倍に及ぶ気圧によって押しつぶされてもおかしくない液体金属の地表で、琴乃羽美鶴が拡声器片手に見渡す限りの水素クラゲに向かって”訓示”していた。
訓示をする琴乃羽の頭上にはいつもの如く、巨大な水素クジラがぼんやりと緑色に光る惑星磁力線シールドを展開して地球の数百倍と言われる殺人的大気圧から琴乃羽を守っている。
「諸君!昔の偉い人は言いました”働かざるもの食うべからず”と。諸君達はこれから未知のグルメツアーへ赴き、獅子奮迅の働きでグルメを獲得するのだ!
ただ食いは絶対にしてはいけない!優良種たる5億6,000万の水素クラゲである諸君達が木星原住生物代表として立派に振る舞う事を望む。
諸君らの健闘を祈る。ジーク・ジュピタリアン!」
『『『ジーク・ジュピ!ジーク・ジュピ!』』』
琴乃羽美鶴の訓示に応える水素クラゲ達の喚声が大赤斑最深部に響き渡る。
上空を時速数百キロで流れゆくアンモニアやヘリウム雲海由来の雷を上回る喚声に琴乃羽や背後に控える天草華子達木星探査船メンバーやアッテンボロー博士とユーロピア共和国外人部隊隊員達が晒される。
熱狂する水素クラゲ達に満足した琴乃羽が隣に立つ天草華子に拡声器を手渡すと頷いて合図する。
「それでは天草さん、案内を始めましょう」
琴乃羽の背後から一歩踏み出した天草華子は深呼吸を一つすると、拡声器を通じて水素クラゲ達に案内を開始する。
「これから大阪道頓堀”食い倒れ”地区50名に当選した方は1番ゲートへ。ネオ・ウラニクス黄将中華定食・弁当工場見学ツアーに当選した550名は2番ゲートへどうぞ。東京築地市場”すしばんざい”に当選した50名は3番ゲートへ。五島列島イワシパイ堪能ツアーは……」
天草華子が目的地と該当するゲート番号をアナウンスすると、1回目の抽選に当選した水素クラゲ達が意気揚々とゲートへ向かって漂っていく。
天草華子が案内する方向には複数のアダムスキー型連絡艇が滞空して巨大なホログラフィックモニターでゲート番号と行き先が投影されている。
ゲート手前には瑠奈謹製パワードスーツを装備したユーロピア共和国外人部隊が蛍光灯を振ってわらわらと集まる水素クラゲをゲート前へ誘導し、レーザープリンターを装備したマルス・アカデミー・アンドロイドが整列した水素クラゲ達に手のひらサイズのQRコードをレーザー照射して傘の縁に貼り付けていく。
僅かな紫電と共に照射されるレーザープリンターを見た水素クラゲ達が恐れ慄く。
「大丈夫!レーザーつっても日焼けみたいなもんっしょ!グルメツアーから帰ってくる頃には自然と無くなるから安心っしょ!」
琴乃羽美鶴の左側に立つ名取由美子がレーザーに慄く水素クラゲを宥めていく。
琴乃羽、華子、由美子の三人の案内・誘導によってチューブワームの長が生成する6つの異相空間
へ次々と水素クラゲが移動していくが、その数は1日あたり3500余り。
この数で集結中の水素クラゲを1回参加させるだけで438年が経過してしまう。
悠久の時を巨大ガス雲海に漂って過ごす水素クラゲから見れば”普通は”438年くらいはおおらかに待つ事ができるだろう。
だが”唐揚げ弁当”という未知の美味なる食品は水素クラゲ間でトレンド入りしており、雲海に漂う仲間内で食した者の自慢話を聞かされた者は、衛星軌道上のマルス・アカデミー基幹母艦か試食会が開催される大赤斑最深部へ向かうのだった。
目的となる食料が木星内であれば自分で探しに行けるのだが、他の惑星となると単体ではいかんともしがたい。
焦燥感にかられた者が大赤斑に集まっており、あと438年待てるかというと無理である。
大赤斑最深部に”とりあえず”集結した水素クラゲ5億6,000万のうちの微々たるものであり、木星全体に生息する水素クラゲは兆を超えるだろう。
「諸君!うろたえる事はない。チャンスは皆に平等に回ってくる。その時が来るまでメニュー表を見て長考しながら来るべきツアー参加に備えるのだ!」
苛立ちを募らせそうな一部の水素クラゲ達へ向けて呼びかける琴乃羽。
琴乃羽美鶴が指差す雲海が立ち込める大赤斑上空には、黄将メニューや火星日本列島の食べログ情報が360度表示の巨大なホログラフィックモニターで映し出されており、更新されたグルメ情報が上空を流れていく。
『道頓堀……イッテミタイ』『工場デデキタテヲ食べタイ』『現地デ食ベルイワシパイモ捨テガタイ』
水素クラゲ達の頭上を各種グルメ情報が上空の雲海よりも早く通り過ぎていき、大半の水素クラゲは自らのツアー参加時を思い描くのに夢中である。
それでも一定数の水素クラゲはホログラフィックモニターのグルメ情報だけでは飽き足らず、琴乃羽に詰め寄る。
「よーし、よーし。ステイステイ。気持ちは良くわかる。ならば君たちを”特別珍味隊”として特殊任務を授けよう。
おーい長!ちょっとコイツら第3惑星に送ってくれない?」
ちょっと危機感を覚えた琴乃羽は、背後で異相空間作りに勤しむチューブワームの長に声を掛けるのだった。
『ワカッタ。ソロソロ中華以外モ食ベテミタイノダガ……?』
控えめに答えながら琴乃羽美鶴に試食メニュー変更を申し出るチューブワームの長。
「ええ~。社長の許可がないと難しいかなぁ~。ちょっと聞いてみますからそれまで冷やし中華でお口直しでもしてください」
少し考えた後、琴乃羽は惑星間携帯電話で火星ネオ・ウラニクスに居る満を呼び出すのだった。
琴乃羽から少し離れた場所ではアッテンボロー博士が惑星間携帯電話で火星ニューガリアのジャンヌ・シモン首相と直接何かを話し込んでいる。
時折『ですから!木星大気圏中層域は極上のフランス料理食材の宝庫とも言えるでしょう!直ぐに開拓団を此方へ――――――』
ユーロピア共和国は地球人類の先頭となって木星開拓に乗り出すかもしれない。
満との打ち合わせの最中にふと思う琴乃羽だった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・琴乃羽 美鶴 =ミツル商事サブカルチャー部門責任者。元JAXA種子島宇宙センター宇宙文字解析室長。木星原住生物と親しい為、木星探査隊に出向扱い。少し腐っている。
*イラストはイラストレーター 倖 様です。
・天草 華子=木星探査船『おとひめ』船長。神聖女子学院小等部6年生。瑠奈のクラスメイト。父親はJAXA理事長の天草士郎。木星探査船は大月家結婚披露宴のビンゴ大会で1位となった景品で取得していた。心的外傷療養目的で木星探査に同行中。
*イラストは、らてぃ様です。
・名取 優美子=神聖女子学院小等部6年生。瑠奈のクラスメイト。父親は航空宇宙自衛隊強襲揚陸艦ホワイトピース艦長の名取大佐。心的外傷療養目的で木星探査に同行中。
*イラストは、らてぃ様です。
・サー・ロンバルト・アッテンボロー=ユーロピア共和国火星原住生物対策班長。博士。




