源氏パイ
2027年(令和9年)5月5日午前1時【火星北半球 アルテミュア大陸中央部 ウラニクス山脈 山麓 ウラニクス湖畔 多目的船『ディアナ号』】
大月家のほとんどが寝静まったディアナ号内では、一人のトカゲ娘が時間が経つのを忘れたかのようにとある研究に没頭していた。
「……この"ニセワカメ"に混じっていた巻貝の成分はイケてるわ」
直径30センチ近くある巨大なカタツムリの様な巻貝を、洗濯機の様なスキャン機で分析していた美衣子が独り言を呟く。
「この生物組成構造を地球海洋生物に照合させると……該当生物は”伊勢海老”ね。なんて豪華な食材だこと……じゅるり」
うっとりした顔で両手を頬に充てて伊勢海老のエビチリを思い出し、涎が口に溢れる美衣子。
満が社長に復帰した直後から、再び好調な業績で株主配当の高いミツル商事株主の美衣子と言えども、毎日豪華料理が楽しめる訳ではない。
深夜の研究室で探求に励む美衣子を支える必須アイテムは、ディスカウントストアで購入した一袋200円の”源氏パイ”である。
昔から変わらぬ濃いバターの風味とまぶされた砂糖で出来たお菓子が研究で疲れた美衣子の脳細胞を活性化させるのだ。
「モグモグ……。木星大気圏中層の採取探索を本格的に行えばアワビやにんにく醤油以外の代替食材が見つかる可能性は大いにあるわ」
源氏パイをバリバリ齧りながら、JAXA木星探査船『おとひめ』の船長代理であるイワフネ宛に木星大気圏中層の採取探索拡大を提案するレポートを作成する美衣子。
2袋目の源氏パイに手を伸ばして美衣子がレポートを書き終えようとした所で、研究室の通信用ホログラフィックモニターから呼び出し音が鳴る。
「もしもし」
『ご無沙汰しております大月美衣子様。航空・宇宙自衛隊の名取です』
珍しい事に通信相手は地球派遣群のホワイトピース艦長名取大佐だった。
「パワードスーツの運用はなかなかのものね。開発者として鼻が高いわ」
『恐れ入ります。実は今日のご相談はパワードスーツの事ではなく、とある食材を分析して頂きたいと思いまして』
世間話をしようとした美衣子だったが、硬い表情の名取大佐が要件を切り出すのだった。
――――――15分後。
「……これが食材ですって!?薬漬けもここまで来ると”詰んで”いるわね。
培養液でしか生きられない実験生物向けの成分しか入っていないわ。
この酷い人体改造メニューは何処の部隊が食べているの!?」
白銀の鱗に包まれた顔を顰めながらスキャン機の検査結果を視る美衣子。
地球派遣群のホワイトピースに出入りする水素クラゲから極小異相空間で送られた食材は、成都人民防衛部隊のランチプレートだった。
『これはイスラエル連邦軍前衛部隊として展開している第11都市『成都』人民防衛部隊のランチプレートです。偵察中の水素クラゲが収集しました』
名取大佐が答える。
「これを食べている人、いいえこれを食べる事でしか生きられない人はヒトなのかしら……」
余りの非常識さに頭を横に振りながら呟く美衣子。
『人類統合第11都市『成都』は北米大陸攻略作戦直後、イスラエル連邦軍によってシャドウ帝国から”解放”され”保護”された都市だと認識しております』
「この食事――――――いいえ、この薬を摂取している生物の体組織の維持限界は72時間よ。
ランチプレートで使用する食材を継続的に摂取しないとヒト・クローンとして成り立たない」
名取大佐の説明に応える美衣子。
「名取。これは直ぐに”上”へ報告したほうがいいわ。人道支援目的の範囲がややこしくなるくらいに拡大する可能性が高いわ」
『分かりました。鷹匠准将に報告しつつ、桑田防衛大臣には私信として報告書のコピーを送ります』
美衣子のアドバイスに頷く名取大佐だった。
「それと名取。出来ればその成都人民防衛部隊は早めに”保護”した方がいいわ。イスラエル連邦軍所属という事は、ヒト以下となるロクな扱いを受けていないでしょうから。
あわよくば”こちら側”に引き込むのよ。治療はミツル商事で請け負うわ」
『分かっております。その辺は、”介入者”黄星様形に動いて頂くしかないでしょう』
クローン人間に対するイスラエル連邦の扱いを知っている美衣子は、名取に保護を提案するのだった。
名取大佐と美衣子の通信が終わった30分後、第12都市『氷城』で防衛システムの再構築を進める黄星輝美に、鷹匠准将からのメッセージを受け取った黄少佐がとある提案をするのだった。
「なるほど。それがいいのだぞっ!守姉や舞姉もきっと賛成するのだぞっ!」
二つ返事で了承する黄星輝美。
美衣子の提案をベースにした新たな作戦案を鷹匠准将が作成し、黄少佐を通じて黄星輝美に打診したのだった。
新たな作戦案を基に、黄星輝美は氷城防衛・生産システムに微妙な修正を施していく。
☨ ☨ ☨
2027年(令和9年)5月5日午前3時【旧中華人民共和国 遼寧省瀋陽市郊外 イスラエル連邦軍大陸派遣軍前進基地】
大変動で壊滅した瀋陽市郊外の空港を前進基地として利用しているイスラエル連邦軍は、瀋陽市内で中国人民解放軍が放棄した軍事車両や航空機を回収して再整備していた。
東側兵器に精通していた第11都市『成都』の市民技術者によってT90戦車や対空高射機関砲が補充戦力として、最前線で戦っている羅大佐率いる人民防衛部隊へ送られていく。
復旧された滑走路脇に在る仮設格納庫の内部では、一面に並んだ"無人戦闘機"の出撃準備が慌ただしく行われていた。
イスラエル連邦空軍主力戦闘機のF15、F16の他にも、人民解放軍が放棄したロシア製スホイ35戦闘機や旧ソヴィエト製のミグ21戦闘機もエンジン整備を終えて弾薬を搭載している。
中国人民解放軍のソヴィエト製機体についてはエンジンと弾薬搭載部分の整備を優先させたため、国籍をイスラエル連邦軍用に塗装し直す程度で迷彩塗装は行われていない。
そのため、グレーを基調とした迷彩で統一されたイスラエル連邦軍機と比べ、旧ソヴィエト製の戦闘機は緑や砂漠迷彩が入り混じった雑多な印象が強い。
唯一統一されているのは、クローン人間パイロットが搭乗するコックピット部分が黒く塗りつぶされているところである。
「パペット中隊は保有全機の全力出撃だ!急げ!」
整備隊長が部下に指示する。
「隊長。地上でシミレーション訓練しかしていないミグやスホイ用の人形もかなりいますが良いのでありますか?」
不安げな表情の整備兵が人民解放軍のスホイ、ミグ戦闘機を指して尋ねる。
整備兵が不安になるのは、自らが整備した戦闘機が故障せずに稼働するかであって、クローン人間パイロットの生存率を心配している訳ではない。
コックピットのパイロットは戦闘機を動かす部品の一つに過ぎないとパペット中隊専属整備兵は認識しており、人道的な配慮は意識していない。
「離陸できれば後はどうにでもなる……。飛んで爆弾が落とせればそれでいいのだ。
司令官は次の攻撃で全てを決めるつもりらしい。戦力の出し惜しみはするなと作戦参謀から指示が出ているのだ」
部下に答える整備隊長。
「パペット中隊全機に告ぐ。今回の出撃は最終攻撃であり、次は無い!パペットリーダーの命令を何としても完遂せよ!」
携帯端末を通じてコックピット内のクローン人間パイロットに命令する整備隊長。
『パペットリーダー。君が率いる部隊の目的は敵の防御を何処でも良いから突破しろ。それに尽きる。搭載した”全て”を使え!』
「イエス。マスター」
パペットリーダーにだけ伝わるマイクで命令する整備隊長に抑揚のない口調で応えるパペットリーダーだった。
「……この任務を終えたら除隊してのんびり火星を開拓したいものだ」
能面だった表情を僅かに歪めて呟く整備隊長だった。
整備隊長の家族はヨルダン川西岸で集団農場を営んでいたが、大変動と巨大ワーム襲来で人工日本列島へ避難、エリア・富士で新たなキブツを再建中だった。
家族からの手紙では、エリア・富士の開拓は東アジア特有のモンスーン気候であり、中東地区の気候と異なるために農産物の育成に苦労しているらしい。
イスラエル国時代からの国民は環境の異なる人工日本列島よりも、新天地である火星南半球ヘラス大陸での開拓を夢見ている者が実は多いのである。
ユダヤ人主導による地球圏復興を推し進めるニタニエフ首相により、国民の火星渡航は2026年時点では政府の許可制となっている。
『パペットリーダーより中隊全機に告ぐ。我に続け』
30分後、パペット中隊全機は瀋陽前進基地から無事に飛び立つと、パペットリーダー指示のもとアフターバーナーに点火して全速力で人類統合第12都市『氷城』へ向かうのだった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・大月 美衣子=マルス・アカデミー・日本列島生物環境保護育成プログラム人工知能。
*イラストは絵師 里音様です。
・黄星 輝美=真世界大戦時、突如火星日本列島に出現した”介入者”。
美衣子達マルス・アカデミー三姉妹と何らかの関連が有ると思われるが詳細は不明。美衣子に諭され現在は人類統合第2都市『バンデンバーグ』住民と行動を共にして罪滅ぼし中。
舞と守美の妹的存在。
*イラストは、しっぽ様です。
・名取=日本国航空・宇宙自衛隊 強襲揚陸護衛艦『ホワイトピース』艦長。大佐。
・羅=人類統合第11都市『成都』暫定代表。人民防衛部隊司令官も兼務。大佐。
・アシュリー=イスラエル連邦軍中佐。
・マイケル・バーネット=イスラエル連邦軍陸軍中将。ユーラシア大陸派遣軍司令官。




