発想の転換
2027年(令和9年)5月3日【木星衛星軌道上 マルス・アカデミー・プレアデス級基幹母艦『ケラエノⅠ』】
「こちらケラエノⅠ。地球人類の戦略物資運搬シャトルが間もなく到着する。本日の木星原住生物群への定食支給は作業船2番から5番が担当せよ。ランデブーポイントは作業ポイントから20リー(約50Km)後退した地点とする」
広大な艦橋中央部中空のホログラフィック・モニターが木星衛星軌道上に展開する作業船団へジュピタリアン向けて食事準備の指示を行っていた。
『こちら作業船5。本日のメニューについて照会したい』
「こちらケラエノⅠ、メニューは”日替わり定食”だ。具体的なおかずの内容など詳細は開示できない。
ここだけの話だが、日替わりメニューとなった原因は火星からの補給が不安定らしい。
いいか、ジュピタリアンにそのことを感づかれるな!ばれたら暴動が発生して宙域が不安定となり作業船団存亡に繋がりかねん!」
軽い感じで基幹母艦に問い合わせたオペレーターに対し、基幹母艦オペレーターが深刻な声音で返答と指示を出す。
「ケラエノⅠから定食提供に従事する作業船に次ぐ。間もなく作業を終えたジュピタリアンが大挙して船団に向かってくる。
各作業船は秩序を保ってジュピタリアンを統制しつつ定食の支給にあたられたし」
ご飯の行列をちゃんとしようね、という日本人としては当たり前の事が、木星衛星軌道上のマルス・アカデミー作業船団では需要なミッションとして捉えられていた。
木星探査船『おとひめ』から無人輸送船コウノトリがケラエノⅠの管制宙域に到達した十数分後、木星各地から光り輝く水素クラゲが群れをなしてマルス・アカデミー作業船団に殺到すると、衛星軌道上は光り輝く輪が新たに形成されていくのだった。
そして唐揚げ定食から日替わり定食に変更された事で水素クラゲ群は激しく動揺し、傘を赤や黄色に明滅させ唐揚げが食べられない嘆きは高周波電波となって周辺宙域に拡散されるのだった。
【東京都三鷹市 国立天文台三鷹キャンパス】
「空良所長!ダイモス宇宙基地の電波望遠鏡が木星の輪を新たに発見しました。同じ衛星軌道上から高周波電波バーストが確認されました!」
宇宙科学上の歴史的発見だと思った若手職員が空良に駆け寄って報告する。
「モニターを此方へ回してくれ。確認する」
しかめっ面で自身の作業机で書類と睨めっこしていた空良所長が顔を上げ若手職員に応えて指示を出す。
「……これか。確かに衛星軌道上に光り輝く輪が形成されている。
付近に行動中の宇宙船や衛星は無いか?もちろんマルス・アカデミー作業船団の可能性も含めて確認だ」
ちらりとモニター画面を見た空良は睨めっこしていたとある書類との関連性を考えて慎重に確認するよう指示を出すのだった。
――――――2時間後
「……輪が消えた?だと」
「はい。『おとひめ』、マルス・アカデミー作業船団もそのような事象は観測していないと……高周波電波バーストも観測されません」
空良所長の問いにがっかりした顔で報告する若手職員。
「気を落とすな。木星もそうだが、宇宙空間は謎が多い。
我々人類は、未だ火星や木星のほんの一部しか調べられていないのだ。君の事象を発見する観察力は優れているのだから、引き続きよろしく頼むよ」
落ち込む若手職員を肩を優しく叩いて慰める空良所長。
空良は個人的な知り合いである琴乃羽美鶴からジュピタリアンとのコンタクト内容とミツル商事の計画について、相談や報告を互いに行っていたので今回の現象についてもおおよその推測は出来ていた。
「……おそらくミツル商事の食事に魅了された水素クラゲが殺到してパニックになったのではないか?」
確信を込めて呟く空良。
木星探査隊は楽しそうでなによりなことだ、と心の中で天草理事長や琴乃羽を羨む空良所長だった。
若手職員に休憩を取らせて観測室から退出させた空良は先ほどから睨めっこしていた書類をあらためて見返す。
空良が手にしている書類は『木星探査隊中間報告-大気圏水素雲内部での植物性プランクトンの発見及び木星知的原住生物との接触についてー』と記されている発表原稿だった。
「木星探査隊の報告が宇宙開発の転換点になれば……」
素直に呟いた空良が服装を整えた30分後、迎えの車に乗って首相官邸へ向かうのだった。
☨ ☨ ☨
【火星北半球 アルテミュア大陸中央部 ユーロピア共和国領『ネオ・ウラニクス』】
ウラニクス湖畔に停泊中のディアナ号食堂では、満がジョイントベンチャー先とオンラインで打ち合わせを行っていた。
『満君、マルス・アカデミー作業船団へのお試し定食提供は上手く行っとるみたいやな』
モニター画面の向こうから満足げな顔で角紅社長の仁志野清嗣が話し掛ける。
「おかげさまで。ですが、から揚げ定食を求める水素クラゲの需要に此方の供給が全く追いつかないのが悩みの種ですね。うれしい悲鳴を上げたいところですが、中途半端な対応をここで取ってしまうと全てが台無しになります」
口元を緩めつつも気を引き締めて応える満。
「水素クラゲは毎日1億づつ増えてるねん。このままやと、ウラニクスに運んだ鶏肉は殆ど使い切ってしまいそうやねん。お祖父ちゃん、何とか調達できへん?」
満の横にいたひかりが祖父である仁志野清嗣に訊く。
『むーん。あれで足りへんか……MCDA関連の心当たりを使ってウラニクスに運んだからなぁ。火星人類の需要を超えとるわ。
今頃日本国内の飲食店は一時的に鶏肉メニューが販売中止になっとる所が出てるはずやで。
そう考えると、食料生産プラントが出来たところで需要に応じられるか分からんへんなぁ』
片手でタブレット端末の情報を読み取りながら、顎に手を当てて考えながら話す仁志野。
「これでは持続可能なビジネスは不可能ですね。原材料について発想の転換が必要……なのかな」
うーむと考え込む満だった。
「発想の転換……ですかぁ。木星の食べ物は木星の人が一番詳しいんやから、長に相談したらどうですかねぇ?」
満と一緒に考えていたひかりが提案するのだった。
☨ ☨ ☨
――――――【太陽系第5惑星 木星 大気圏中層】
衛星軌道上の木星探査船『おとひめ』と大赤斑最深部の中間地点を、日本版スペースシャトルが最深部目掛けて降下していた。
シャトルの貨物室には木星知的原住生物群の長であるチューブワームに試食をさせる食材コンテナが満載されている。
「衛星軌道から地表までマッハで降下しているのに2時間もかかるなんてスケールが違いすぎる」
シャトルの操縦席に座る名取由美子が呟く。
「そうですわね。そして本来ならばマッハ20で長時間降下しているから気を失うか、自動操縦に任せてカプセルで仮眠状態ですわね」
隣に座る副操縦士兼航法士を担当する天草華子が応える。
「エスコート役の水素クラゲや水素クジラが降下のダメージをかなり軽減してくれるから普通に操縦出来て、デリケートな積荷を運べるっしょ」
操縦席の窓から見て右前方に巨大なクジラ型のシルエットと前方を誘導するように降下する淡く赤色に輝く水素クラゲを見て由美子が操縦桿を少しだけ左右へ動かす。
少しだけコースを変更したシャトルが、水素クジラや水素クラゲが生じさせる惑星磁力線由来のシールドでGを緩和しながら褐色の物体が広がる空間の合間を縫って降下を続ける。
「中間層にはこの黒いヤツが多すぎっしょ!」
うんざりした感じで褐色物体を躱していく由美子。
「……思うんですが、この褐色のヤツってひじき煮に似てません?」
こてんと首を傾げる華子。
「はあっ!?いくら朝ごはんのひじき煮が好きだからってそれに例えるのは無理があるっしょ!」
呆れる由美子。
「そうなのでしょうか~」
何事かを考える華子。
「ほら華子、褐色物体の次は緑色のヤツよ」
注意を促す由美子。
「今度はワカメですかね~」
「いやいや。いい加減朝食のイメージはやめるっしょ!」
マイペースな華子に突っ込む由美子。
ほのぼのした雰囲気で降下を続けるシャトルだった。
大赤斑最深部でひたすら中華メニューを作る琴乃羽美鶴に食材を届けて探査船『おとひめ』に戻る途中、ヒジキとワカメに似た物体が忘れられなかった華子は、イワフネ船長代理を通じて火星ウラニクスに居る大月美衣子に素朴な感想を伝えるのだった。
――――――2時間後【木星衛星軌道 木星探査船『おとひめ』 格納庫】
「……座布団1枚ですの?」
おとひめに帰投した直後にイワフネ船長代理から伝えられた美衣子の伝言にキョトンと首を傾げる華子だった。
華子の感想からとある可能性を見出した美衣子は、木星大気圏中層の生物調査をJAXAの天草理事長とイワフネ船長代理に提案するのだった。
美衣子の提案を受けたイワフネ船長代理と天草理事長は、華子と由美子を加えた調査チームを大気圏中層に向かわせるのだった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・大月満=ミツル商事社長。
・大月ひかり=満の妻。ミツル商事副社長。
*イラストはイラストレーター 七七七 様です。
・名取 優美子=神聖女子学院小等部6年生。瑠奈のクラスメイト。父親は航空宇宙自衛隊強襲揚陸艦ホワイトピース艦長の名取大佐。心的外傷療養目的で木星探査に同行中。
*イラストは、らてぃ様です。
・天草 華子=木星探査船『おとひめ』船長。神聖女子学院小等部6年生。瑠奈のクラスメイト。父親はJAXA理事長の天草士郎。木星探査船は大月家結婚披露宴のビンゴ大会で1位となった景品で取得していた。心的外傷療養目的で木星探査に同行中。
*イラストは、らてぃ様です。
・仁志野 清嗣=総合商社角紅社長。ひかりの祖父。
・空良 透=国立天文台所長。琴乃羽美鶴のJAXA時代の同僚。




