飯店にて
2027年(令和9年)4月27日【神奈川県横浜市中区 台湾国中華街 『白楽飯店』】
「……クェェェ。美味しい」
思わず本能的な爬虫類的鳴き声を漏らしながらうっとりと頬をおさえ、ゆっくりとズワイガニの身をふんだんに使った天津飯を味わう美衣子。
美衣子の隣に座る結や瑠奈、反対側に座るひかりも美衣子と同じうっとりと魅入られた様に天津飯を堪能している。
「クエッ!エビチリはやはりこの味付けが神。五目チャーハンの味付けも身体に染みるぅぅ……」
チリソースに塗れた口元を拭おうともせずにガツガツとエビチリとチャーハンをかき込む結。
「……むぐむぐ。お父さんの美味しい話についてきて良かったっス!」
ニンマリ笑顔の瑠奈が二階へ続く階段に視線を向ける。
「瑠奈ちゃんはお父さんの事が心配なの?」
レンゲを持ったまま動きを止めた瑠奈に気付いたひかりが声をかける。
「お父さんの事だから何とかなるっス!心配ないっス!」
笑顔で答える瑠奈。
「……ありがとう瑠奈。それじゃあ私もちょこっと2階に顔を出しきますね~。好きな物があればどんどん注文してくださいね~」
瑠奈の頭を撫でた後、美衣子達に声をかけると2階の満に付き添うべくひかりは階段を上っていくのだった。
☨ ☨ ☨
中華街に古くから在る老舗中華料理店2階では、ミツル商事社長に復帰した大月満、内閣官房長官の春日洋一、ユーロピア共和国首相補佐官のクロエ・シモンが丸い中華テーブルを囲んでいた。
木星大赤斑最深部に住むチューブワームの長や水素クラゲ、水素カニを始めとする木星原住生物を顧客層としたフード・デリバリーサービスを展開するに当たり、ユーロピア共和国の協力が必要だった為、満はクロエ・シモンとの仲介役として官房長官の春日にも出席を要請していた。
木星におけるフード・デリバリーサービスの展開は、本来の目的であるイスラエル連邦から逃れる為に避難場所を探すシャドウ帝国生き残りである第2都市『バンデンバーグ』、第12都市『氷城』住民の惑星間輸送を可能とする具体的手段の確立をカモフラージュする為の”表の話”である。
火星日本列島には南半球ヘラス大陸開発の為に訪れるイスラエル連邦人も少なからず居り、一部は日本国の動向を探る為に日本各地に潜入していると思われる事から、この場でもクロエや春日との交渉をカモフラージュする為に、ひかりや美衣子達三姉妹を引き連れて中華を楽しむ大月家一行として振るまっている。
1階個室で中華料理に舌鼓を打つひかりや美衣子達三姉妹は見事にその役目を演じているのだ。
階段を上がってきたひかりが春日やクロエに挨拶して会合に参加すると、満からクロエに向けてユーロピア共和国に協力して欲しいと話を切り出すのだった。
「ミツル商事はこの度、木星原住生物の皆さんにフード・デリバリーサービスを展開する事になりました」
「まあ!おめでとうございますムッシュ大月」
満の話に目を輝かせるクロエ。
「生産場所、配達員の確保や食材の手配、資金面など課題はありましたが一番の問題は、火星から木星への輸送です」
「……確かに。火星日本列島の食材を木星へ持ち込みするか、現地生産にしても火星から木星までの距離は通常では数年がかりですからね」
満が上げた課題に頷くクロエ。
「ですがその問題は偶然、というか”たまたま木星にいたうちの社員”が解決への道筋を見つけてくれたのです」
満が琴乃羽美鶴と大赤斑最深部に住むチューブワームの長との中華料理紹介から始まった一連の出来事を明かしていく。
「……なるほどなるほど。時間経過の無い異相空間を通る……ですか。それでウラニクス郊外にいきなり水素クラゲが”黄将どこ?”と質問するようなアンビリバボーが起こった訳ね。
……うん。ジャンヌ首相が切れるのも無理はないわね」
妹であるジャンヌがキレた理由に納得して一人頷くクロエ。
ひかりはアンビリバボーに振り回されたジャンヌの心情を慮って視線を伏せる。
「妹はそのうち勝手に立ち直るでしょう。でなければ厳しい欧州政界で生き残れませんでしたからね。
さて、状況から察するにムッシュ大月は異相空間が発現出来るウラニクス郊外の湖を木星への輸送拠点として使用したいと言う事ね?」
「おっしゃる通りです。ウラニクス郊外のあの湖は木星との異相空間を何度も繋いできたので空間設定は安定していると考えます。
この環境を活かして旧ウラニクス市に大規模コンビナートを建設し、ミツル商事料理生産工場と”物々交換”で木星から運ばれてくる資源を集積管理するスタッフを常駐させ、木星との相互輸送を考えています」
状況を整理したクロエの問いに答える満。
「……人類初となる惑星間輸送拠点」
満の答えを聞いたクロエは烏龍茶を口に含みながら「ふむー」と考え込んでいたが、やがて満とひかりに顔を向ける。
「その話乗った!」
「決断早っ!」「さすが首相補佐官!」
クロエの答えに驚く満とひかり。
「ただし条件があるわ」
「なんなりと」「うかがいましょう」
「ユーロピア共和国もこの事業に”プレイヤー”として加えて欲しい」
クロエが満の話を了承しつつも条件を提示する。
「ユーロピア共和国はアルテミュア大陸の開拓に力を入れていたのではないですか?木星との相互輸送事業まで手が回るのでしょうか?」
眉を顰めたひかりが訊く。
国の規模が小さいユーロピア共和国が火星と木星両方に国力を投入するのは無謀である事をひかりは懸念していた。
「”日本国に頼りきりにならない”これはユーロピア共和国建国時からの国家運営方針でした。
……しかしイスラエル連邦が火星南半球の開拓を進め、地球復興でも主導的役割を果たそうとしている現在、我が国がこれ以上火星に発展の余地を探せるとは思えないとジャンヌ首相は考えています」
ひかりの懸念に答えるクロエ。
「MCDA(火星経済防衛協定)加盟国と共同してイスラエル連邦の勢力拡大に対抗して火星開拓や地球圏復興を推し進める方法もありますけど?」
「激減した地球人類同士でこれ以上争うのは愚か過ぎます。
火星や地球だけに執着せずに済むのならば、木星もありではないかと思うのです。ジャンヌ首相はその思いを強くしていました」
ひかりの問いかけに答えるクロエ。
満は思案する。
木星原住生物の旺盛な需要に応えるためには、ミツル商事だけではなく角紅や菱友グループだけではなくユーロピア共和国や英国連邦極東など多国籍企業とのJV(企業連合)を組んで地球人類側の総力を挙げて対応しないと事業運営は破綻するであろう。
「……わかりました。ユーロピア共和国の参加を歓迎します!
中華料理だけだといずれ木星の皆さんも飽きてしまうでしょう。フレンチが加わると鬼に金棒です。よろしくお願いしますクロエ首相補佐官」
満がクロエ・シモン首相補佐官に右手を差し出す。
「こちらこそよろしく。料理人の手配は既に済ませてあります」
予測された事に驚いた満の手を握るクロエは満面の笑みだった。
「日本列島からウラニクスまでの輸送ルートは我が国が責任を持ってガードします。話がまとまって良かった。この明るいニュースは不安定な世情で動揺する国民に元気を与えるでしょう」
安堵の笑顔を浮かべた春日官房長官が満とクロエに宣言する。
「それでは!商談成功を祝して乾杯!ほらっ!ムッシュ春日も飲みなさいっ!」
「……うぇぇぇ。今日はお手柔らかにお願します」
ユーロピア共和国にとっても有意義な結果に満足したクロエが紹興酒を並々と注いだクリスタルグラスを手に春日と乾杯する。
「クロエさん程々に願いますね。明日からやる事が山ほどありますよ」
助けを求める春日の目を意識してクロエ向けに忠告する満。
「分かっていますとも。明日の仕事に備えて今日は大いに飲もう!さあ!ムッシュ春日も」
「助けて大月先輩……」
満に応えつつ、既に高揚しているクロエは再び紹興酒をじゃぶじゃぶと自らと春日のグラスに注ぎ込む。
ひかりもクロエの祝杯攻勢に巻き込まれる寸前「美衣子ちゃん達が呼んでいる(気がする)わ」と口にするとそそくさと1階の個室へと戻っていく。
「駄目だこりゃ……」
クロエの自制と春日の救出を諦めた満は一人温かい烏龍茶を飲みながらエビチリを堪能する。
料理を堪能しながら満は思考を巡らせていく。
満や美衣子達三姉妹が目指す目的――――――人類統合第2都市、第12都市住民の保護。
「一時的とは言え大挙して膨大な住民がウラニクス郊外に押し寄せる可能性をユーロピア共和国政府に告げるのは時期尚早だな」
事業参加の話題のついでに切り出そうと満は考えていたのだが、惑星間輸送拠点開発運営だけで話が大きくなってしまった。
結局、目的ついて話さないまま中華料理のフルコースを満喫する満だった。
☨ ☨ ☨
満とクロエが協議した3日後、ミツル商事、総合商社角紅、菱友グループの三社は共同で木星開発を本格的に推進すると発表、食糧生産コロニーを建設する技術者や宇宙建設機材を満載したマルス・アカデミー大型シャトルが羽田国際・宇宙空港から木星へ向けて出航したのだった。
同日、ユーロピア共和国と台湾国はミツル商事と共同でアルテミュア大陸中央部の開拓を進めると発表し、長崎佐世保空港から両国のチャーター機に乗った大勢の人員がアルテミュア大陸中央部ウラニクスへ向けて飛び立った。
満達大月家一行もユーロピア共和国や台湾国に合わせ、横浜のNEWイワフネハウスからディアナ号に乗ってアルテミュア大陸中央部ウラニクス湖へ向かっていく。
木星宇宙開発や火星新大陸の開拓は本来であれば新しい時代の到来を予感させるポジティブなニュースとして大々的に取り上げられる筈だったが、長期間に及ぶ大規模停電と巨大ワーム群首都圏襲来で被害を受けたインフラ設備復旧は道半ばであり、影響を今も受ける日本国民の目には、日本を見捨てる動きが加速していると悲観する者が多かった。
日本列島生態環境保護育成システムに影響を及ぼす人々の意思は、悲観的方向へ密かに蓄積していくのだった。
――――――【島根県出雲市 出雲大社屋根裏】
「およよ?美衣子神様から『明るいニュースで人々の意思は上向くのよ』と言っていたのにこの数値は……」
各地の八百万神から送信されたデータを分析していたトイレ神花子は、日本列島生態環境保護育成システム内で計測していた危機を感じたヒト意思日本列島地殻転移エネルギーが徐々に上昇している事に気付き、眉を顰めて首を傾げるのだった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・大月 満=ミツル商事社長。
・大月 ひかり=満の妻。ミツル商事副社長。
*イラストはイラストレーター 七七七 様です。
・大月 美衣子=マルス・アカデミー・日本列島生物環境保護育成プログラム人工知能。
*イラストは絵師 里音様です。
・大月 結=マルス・アカデミー・尖山基地管理人工知能。マルス三姉妹の二女。
*イラストは絵師 里音様です。
・大月 瑠奈=マルス・アカデミー・地球観測天体「月」管理人工知能。マルス三姉妹の三女。
*イラストは絵師 里音様です。
・春日 洋一=日本国内閣官房長官。自由維新党参議院議員。元ミツル商事社員。満の後輩。
*イラストはイラストレーター 倖 様です。
・クロエ・シモン=ユーロピア共和国首相補佐官。酒豪。妹のジャンヌ・シモンはユーロピア共和国首相。
*イラストは、イラストレーター七七七様です
・花子=マルス・アカデミー・日本列島生態環境保護育成プログラム人工知能八百万端末444番。瑠奈が通う小学校のトイレ神。




