したたかな
【地球極東 人類統合第12都市『氷城』(旧中華人民共和国 黒竜江省)】
氷城防衛軍司令部内に併設された医務室のベッドに、一人の青年将校が荒い息をついて横たわっていた。額からは大量の赤みがかった汗が滝のように流れている。
「しっかりしろ!あと少しで補給薬品が到着するぞ!気をしっかり保つんだ!」
周暫定代表が昨晩まで元気に彼の補佐役をしていた青年将校を励ます。
「……大佐殿。申し訳ありません。私が不甲斐ないせいでご迷惑を」
熱にうなされながらも目を薄く開けて周大佐に謝る青年将校。
「気にせんでいい。今は、自分の事だけ考えておけばいいんだぞ」
青年将校を励まし続ける周大佐。
「はううっ!」
突然ベッドの上で身体が海老反りになる青年将校。
「おいッ!しっかりしろ!」
周大佐が慌てて声を掛けるが、海老反りとなった青年将校の身体が弾けるように破裂すると同時に液体化して医務室内にバシャッと溶液が飛び散る。
「……まただ」
青年将校の溶液を頭から浴びてずぶ濡れになった周大佐は、しばらく項垂れたまま医務室に立ち尽くすのだった。
暫く後、周大佐は本日5回目となる生体維持医薬品補給要請を日本国自衛隊の鷹匠准将に行うのだった。
† † †
人類統合都市住民の老化細胞の蓄積が人体器官の活動を妨げており、エリア51からの希少薬品が無い現在、代替品開発が急務となっていた。
岩崎新政権は、厚生労働省傘下にあるNIID(国立感染症予防研究所)とミツル商事の共同研究以外にも単独でミツル商事やマルス・アカデミーに独自のクローン住民救済方法がないか研究要請を行っていた。
2024年(令和6年)4月25日【神奈川県横浜市神奈川区 NEWイワフネハウス】
朝食後、地球極東のソールズベリー商会からの定時報告をオンラインで岩崎首相やケビン首相と共に聞いた後、ミツル商事の面々はクローン住民救済方法についてオンライン会議で模索していた。
「クローン人間のデータが地球人類側に無いのが最大の問題だな」
満が呟く。
「バンデンバーグみたいに黄星三姉妹が都市住民を丸ごと生体細胞を変質させてしまってはどうでしょう?」
ひかりが提案する。
黄星三姉妹は20万住民の細胞組織を老化抑制に変質させたが、それには大規模エネルギーが必要だった。
当時の目撃者はいなかったが、ロイド提督が目を離した僅かに期間でバンデンバーグが地面から切り離されてしまう程の物質変動があり、其処に生物が含まれているのは明らかだった。
「それな。だけど黄星三姉妹はバンデンバーグと第12都市が合流した後の”移動方法”について悩んでいるんだよ。
……おそらく二つの都市を同時に遠距離転移させると思うからそちらへ能力を使い尽くしそうだから転移前の細胞変質は難しいみたいだね。
転移後は元の力を回復させるまで200年はかかるらしい……」
険しい顔で答える満。
「細胞変質と言ったら琴乃羽の出番ね」
美衣子がヒトと溶液化を自由に行き来できる能力を持つに至った琴乃羽に話題を振る。
『”体質改善”ですよねぇ。……木星の"水素水"に漬かって毎日養命酒飲むとか、効能の有る衛星イオの温泉に浸かるとか、健康食品を多く摂るとかですかねぇ』
「……それは琴乃羽さんの日常そのままでは?」
真面目に答える琴乃羽に突っ込みを入れる満。
「……話を振った私のミスね。ごめんなさいお父さん」
『なんでっ!?そのごめんなさいは私に対してでは?』
満に頭を下げる美衣子に思わず突っ込む琴乃羽。
「まあまあ。琴乃羽さんのアイディアは普通のヒトの健康だよね。クローンの方にはちょっと……」
「健康食品の殆どは”個人の感想です”って注釈入ってるし、怪しいですよねぇ……」
美衣子に突っ込む琴乃羽にダメ出しをする満とひかり。
「でも姉様。琴乃羽のアイディアには一理あると思うわ」
いきなり琴乃羽をフォローし始める結。
「だけど日本人の飲食物がクローン住民の皆さんにどんな影響があるか分からないよ?」
否定的な満。
「こうなったら、この中で一番クローン人間に造りが似ている者に木星で治験を受けてもらいましょう――――――そうでしょかぐや姫、じゃなかった瑠奈?」
美衣子が瑠奈を指名する。
「……確かに縄文時代にイノシシに襲われて死んだ少女を冷凍保存して再生させた体を借りているっスけど、効果あるのか分からないっスよ?」
瑠奈が困惑しつつ応える。
『はいっ!ちょっと待った!瑠奈ちゃんに過酷な試練を受けさせるのは情操教育上良くないですよ。ここは溶液化ベテランの私がっ!』
琴乃羽が瑠奈をかばって立候補する。
「いやいや。妹に無茶はさせられないわ。ここは姉として私が……」
今度は結が手を立候補する。
「ダメダメ。妹の結や瑠奈に危険な事は出来ないわ。言い出した私が立候補するのが筋!」
遂に美衣子までもが立候補する。
「……だんだん分かってきた。つまり、皆なんだかんだ言って木星に行ってみたいという事だよね?」
ため息をついて立候補者達に尋ねる満。
『「「「「イエス!」」」」』
元気よく答える立候補者達だった。
☨ ☨ ☨
【地球極東 牡丹江郊外 ソールズベリー商会 多目的船『大黒屋丸Ⅱ』】
ミツル商事で行われている体質改善会議で交わされる議論をじっと聴いていたソールズベリー商会一行。
第12都市住民の健康問題が深刻化する中、クローン人間解析は進まず、老化予防薬剤の開発は進展の目途が立っていなかった。
『我々は残された時間、精一杯自由に生きてみたいものですなぁ……』
ミツル商事との会議後、ソールズベリーから状況報告を受けた第12都市暫定代表の周がしみじみと呟く。
培養カプセルで生まれた時から偽りの世界で戦う人生を刷り込まれ、偽りの世界が崩壊して途方に暮れる周を始めとする第12都市住民に同情を禁じ得ない会議参加者だった。
「精一杯に自由を……ですか」
印象的な呟きに感じ入るソールズベリー。
「商会長。第12都市住民だけでも冷凍睡眠カプセルで木星へ送れませんでしょうか?」
不意に岬渚紗が提案する。
「レディ。なぜそこで木星が出て来るのかね?」
ソールズベリーが訊く。
「方法や可能性は未知数ですが、私達が新たな薬剤を開発して大量に生産・処方するには莫大なエネルギーと資源が必要になります。
木星は衛星軌道では太陽風によって高エネルギー粒子が常時発生し、大気圏内では金属水素・ヘリウムとアンモニア大気の対流による放電現象が断続的に発生しています。これを利用しない手はないでしょう」
岬が理由を説明する。
「それだっ!」
思わず得心して叫ぶソールズベリー。
『ですがマスター。具体的に大人数を木星へ移送する手段を考えなければなりません。現実的に考えてみると、ミツル商事が木星原住生物から便宜を図れる異相空間規模は小規模の様ですし、持続時間も課題となるでしょう』
岬の発案について課題を指摘するクリス。
「商会長。ミツル商事からの情報収集と調整は私にお任せ下さい。木星原住生物の長と契約を交わした琴乃羽とも私は親しいですし、異相空間活用方法の情報も入手しやすくなりますよ」
岬がソールズベリーに申し出る。
「わかりましたミス・岬。ミツル商事との細かい調整や根回しをお願します。ケビン首相にも報告しておきます。首相からミツル商事への口添えもしてもらいましょう」
岬の申し出を受け入れるソールズベリー商会長だった。
☨ ☨ ☨
――――――2日後【火星日本列島 神奈川県横浜市神奈川区 NEWイワフネハウス】
ミツル商事第二回体質改善会議が開催されていた。
「なるほど~木星で治療をするのは良いかもですねぇ。此方側が自由に動ける環境だから今より状況は良くなるでしょう」
岬渚紗の報告になるほどと頷くひかり。
「細胞変質に必要と思われるエネルギー量の試算をしておいたよ。18万人くらいであればエネルギー面での不足は問題ないと思う。異相空間の稼働時間延長は、実験を重ねる必要がありますけどね」
岬に試算結果を報告する満。
「これで第12都市だけでも一気に18万人も配達員が増えるのですから、黄将木星店の実現がググッと近づきましたねぇ~」
おっとりしれっと第12都市住民をミツル商事のデリバリー要員にカウントするひかり。
『そ、そうですね……』『なんてしたたかな……』
したたかなひかりに恐れ入る岬渚紗とソールズベリーだった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・大月満=ミツル商事社長。
・大月ひかり=満の妻。ミツル商事副社長。
*イラストはイラストレーター 七七七 様です。
・大月 美衣子=マルス・アカデミー・日本列島生物環境保護育成プログラム人工知能。
*イラストは絵師 里音様です。
・大月 結=マルス・アカデミー・尖山基地管理人工知能。マルス三姉妹の二女。
*イラストは絵師 里音様です。
・大月 瑠奈=マルス・アカデミー・地球観測天体「月」管理人工知能。マルス三姉妹の三女。
*イラストは絵師 里音様です。
・岬 渚紗=ソールズベリー商会所属。海洋生物学博士。元ミツル商事海洋養殖・医療開発担当。
*イラストはイラストレーター倖様です。
・琴乃羽 美鶴 =ミツル商事サブカルチャー部門責任者。元JAXA種子島宇宙センター宇宙文字解析室長。木星原住生物と親しい為、木星探査隊に出向扱い。少し腐っている。
*イラストはイラストレーター 倖 様です。
・ソールズベリー=英国連邦極東企業『ソールズベリー・カンパニー』会長。元英国連邦極東外務大臣。クリスを引き当てた事で独立起業した。
イラストは七七七 様です。
・クリス=ソールズベリーの助手。大月家結婚披露宴の大ビンゴ大会で賞品としてソールズベリーが引き当てたマルス・アンドロイド。
イラストは七七七 様です。
・周=人類統合第12都市『氷城』暫定代表。大佐。




