ジョーンズの選択
2022年1月7日午後9時20分頃【北海道稚内東方沖250kmの北太平洋『火星シレーヌス海』極東米露連合艦隊】
マルス・アカデミー尖山基地で人工知能『ミーコ』がワーム達の襲来を感知した頃、海中では既に異変が生じていた。
―――【極東米露連合艦隊前方2kmの海中 極東ロシア連邦海軍 アクラ型原子力潜水艦『K332』発令所】
「艦長!本艦直下の海底で爆発音!」
ソナー員が報告した。
「海底火山の噴火か―――」
艦長が言い終わらない内に艦全体が大きく揺さぶられた。
どこにも掴まっていなかった水兵が、艦内の至る所で身体を強く打ち付けられる。
潜望鏡を掴んでいた艦長は辛くも難を逃れたが、隣に控えて居た副長が前方に跳ばされて操舵員の頭に激突した。
操舵員は首の骨を折って即死し、副長も計器パネルに衝突して重傷を負った。
「状況報告!」
艦長が声を張り上げたが、返ってくるのは呻き声ばかりで負傷していない者は手近な何かに掴まって堪えるのが精一杯で返事をする余裕は無い。
再び艦全体ががくんと揺れ、艦長は後方に引っ張られる感覚に耐える。既に躯となった操舵員や床に倒れ伏していた瀕死の乗組員が後方に弾き飛ばされて再び計器類や隔壁に激突し、血の匂いが艦内に漂い始める。
やがて後方に引っ張られる感覚は、足元へ移動して潜望鏡を握る両手だけが艦に触れるだけとなった。
「傾斜95度!」
シートベルトで身体を固定していたソナー探知員が叫ぶ。
「本艦は急速沈降中!深度200を超えました!」
続いて副操舵員が報告する。
「全速前進、浮上せよ!」
潜望鏡を上半身で抱え込むようにしてしがみ付きながら、艦長が指示を出す。
「スクリューが動きません!」
「深度400突破!」
「バラストタンクブロー!脱出挺の準備だ!旗艦『ブルー・リッジ』にSOS発信!」
必死に浮上と脱出を試みる艦長。
「ブロー効きません!さらに沈降中!深度500超えます!間もなく圧壊深度!」
副操舵員が悲痛な声を上げる。
ギシギシと、艦内全体で金属的な軋み音が響き渡る。
「救難ブイを出せ!無駄死には御免こうむる!」
艦長が叫んだ。
次の瞬間、アクラ型潜水艦はくしゃっと圧壊して今度こそ、艦体に巻き付いていた巨大ワームの体内に収まり、放出させた直後の救難ブイまでもが一緒に呑まれた。
♰ ♰ ♰
―――【極東米露連合艦隊 旗艦『ブルー・リッジ』CIC(戦闘管制室)】
「前方2kmを哨戒中だった極東ロシア潜水艦『K332』の音信途絶。
レーダーから消えました!」
「左舷側2kmを哨戒中だった我が方の潜水艦『コロンバイ』も音信途絶。
レーダーから消えました!」
管制官が、夜間当直で静かに珈琲を嗜んでいたジョーンズ中将や幕僚達に報告する。
「ソナーに反応は?」
直ぐに反応するジョーンズ中将。
「二隻の反応有りません……が、ノイズ多数!」
ソナー探知員が引き攣った顔で報告する。
「ノイズだと?」
怪訝そうなジョーンズ中将。
「左舷のロシア巡洋艦『ウダロイⅡ』から報告!『我、多数のノイズ接近を探知せり』」
今度は通信オペレーターが報告する。
ノイズの"接近"が意味する所に気付いたジョーンズが、座席から立ちあがって叫ぶ。
「全艦隊対潜戦闘用意!哨戒ヘリは全機上げろ!艦隊各艦へ通達!近接火器はオートから手動へ切り替え。急げっ!」
ジョーンズ中将の指示を受けた幕僚達が、慌てて各所へ伝達を始めていく。
火星原住生物から先に仕掛けられた、と歯噛みするジョーンズ中将だった。
―――【強襲揚陸艦『イオージマ』居住区】
突然、艦内に鳴り響く警報サイレンに反射して、三段ベッドから飛び降りた大月満は舷側の窓に駆け寄ると、左舷側海中から出現した"黒い筒"が空高く伸び上がった後、斜め前方を航行していた極東アメリカ空母『ロナルド・レーガン』の飛行甲板に吸着したのを目撃した。
「ワーム!やはり来たか!」
黒い筒を巨大ワームだと直ぐに看破した大月は、ヘルメットを被り枕元のリュックを掴むと、慌ただしく持ち場へ向かう水兵の間を縫って艦橋を目指すのだった。
―――【極東アメリカ合衆国海軍 航空母艦『ロナルド・レーガン』】
航空母艦の飛行甲板は分厚い複合装甲で覆われており、海中から現れた巨大ワームの吸着を持ち堪えたが、身体を艦に巻き付けながら甲板に乗り上げた巨大ワームは、飛行甲板上を這いずり廻って甲板で発進待機していた戦闘機や哨戒ヘリコプターを弾き飛ばし、パイロット、作業員達クルーを巨大な口を開けて掃除機の様に次々と吸い込んでいく。
巨大ワームに弾き飛ばされたり又は下敷きになったヘリや戦闘機の燃料が炎上して弾薬が誘爆すると、ワームは煩わしそうに巨体を捻り、巨大な口から金属片や航空機の残骸をブベッ!と吐き出す。
吐き出された残骸は、奇跡的に難を逃れていた戦闘機や対空ミサイルランチャー、アイランド(艦橋)部分に激突すると、火花を飛び散らせて爆発する
飛行甲板を持ち場としていた作業員達は、突然発生した地獄に悲鳴を上げて逃げ惑い、恐怖に堪えかねるあまり暗く冷たい海上に飛び込む者も居たが、着水するなり、即座に海上で得物定めをしていた別の巨大ワームに吸い込まれていった。
ようやく冷静さを取り戻した一部の水兵が、M16自動小銃を巨大ワームに射撃したが、強靭な筋肉質の塊の前には豆鉄砲の如く無力だった。
『全艦隊に告ぐ!現在艦隊は火星原住生物の襲撃を受けている!
乗組員は外に出るな!喰われるぞ!
搭乗している海兵諸君は、ジャベリン対戦車ミサイルで応戦しろ!
爆雷と魚雷を持つ艦は、全弾発射!アスロック(対潜水艦魚雷)も初見策定で構わんから撃て!そして生き残れ!
オールウェポン・フリー(全兵器使用許可)!』
ジョーンズ中将の直接指示が全艦隊に流れる。
♰ ♰ ♰
巨大ワームの群れは、更に艦隊を襲い続けた。
艦隊各艦に搭載されたガスタービンエンジンや原子炉の熱源は、休眠状態から覚めたばかりで飢えと寒さに凍える巨大ワーム群に、自ら格好の獲物だとアピールする様なものだった。
航空母艦『ロナルド・レーガン』左舷側を航行する極東ロシア艦隊旗艦サイル巡洋艦『ウダロイⅡ』の艦橋に、海中からニョキッと唐突に現れた巨大ワームがブチュッと吸い付くと、艦橋に居たロシア海軍司令官や艦長以下将兵を吸い込むと瞬く間に海中へ消えていく。
原子炉と操舵担当クルーを失った巡洋艦『ウダロイⅡ』は航行不能となり、艦列から離れた所を別の巨大ワームが艦中央煙突から艦内に突入、隔壁を破ってガスタービン機関にめり込むと、核燃料制御棒を破壊されて水素ガスを噴き出した機関部と弾薬庫が同時に爆発して巡洋艦は轟沈した。
極東ロシア海軍艦船は米ソ冷戦時代に建造された艦が多く、レーダーアンテナ等はステルス性を考慮せず高く長い為、艦を飛び越える様に動き回る巨大ワームの身体が引っ掛かるとバランスを崩し、横転する艦船が続出した。
横転した艦船には暖かい場所を求めた巨大ワームが群がり、船体に巻き付くとあっという間に海中へ引きずり込んでいく。
搭載した爆雷が設定深度に反応して爆発し、ワームもろとも沈んでいく艦もあった。
火星転移前の弾道ミサイル攻撃に於いて、自衛隊と共に迎撃で活躍した米海軍イージス巡洋艦『ウィルバー』も、船体舷側に体当たりする巨大ワームになす術も無く蹂躙され、艦橋や舷側に大穴を空けられて乗組員が吸い出される地獄絵図が展開された。
艦前方から現れたワームは、艦橋手前のVLS(垂直発射筒)に頭を突っ込んでイージスミサイルを吸い込むと、身体の内部でミサイルが爆発して酸性の体液が大量に船体に降り注いだ。
船内から身を乗り出して対戦車ミサイルを撃っていた海兵達は、降り注ぐ体液に触れるとその場で溶けていった。
―――【極東米露連合艦隊 旗艦『ブルー・リッジ』CIC(戦闘管制室)】
「巡洋艦『ウィルバー』大破、航行不能!」
「極東ロシア強襲揚陸艦『イワン・ロゴフⅢ』より入電!『我、航行不能。救援を求む』」
「『ロナルド・レーガン』火災尚も延焼中!巨大ワームの襲撃が止まず、消火活動が出来ません!」
矢継早に入る報告を聴いて顔面蒼白となっていく海兵師団幕僚達。
「中将。艦隊の6割、上陸部隊も5割が損害を受けています。これ以上は……」
「……無線封鎖解除。那覇DCへ至急連絡だ」
幕僚の進言を受けたジョーンズ中将は、那覇DCのミッチェル大統領に撤退を具申して許可されると直ぐに作戦中止を宣言した。
『全艦隊、面舵一杯!横須賀に帰投する。諸君!生き残れ!』
巨大ワームの襲撃で『ブルー・リッジ』周囲の艦が軒並み破壊されていく中、どれだけの艦が生きて横須賀まで辿りつけるのかジョーンズ中将には全く分からなかった。
「国際周波数帯で救難信号を上げろ。少しでも助けが必要だ」
そう指示すると、巨大ワームの迎撃と僚艦の救助に集中するジョーンズ中将だった。
―――【強襲揚陸艦『イオージマ』】
ジョーンズ中将が撤退指令を出した頃、大月の乗る『イオージマ』はワームが飛行甲板に乗り上げ、乗り組んで居た海兵隊がジャベリン対戦車ミサイルや携帯バズーカ砲で撃退を試みていた。
飛行甲板端のアイランド(艦橋)の陰から発射された対戦車ミサイルが巨大ワームの脇腹に突き刺さって爆発する。
巨大ワームから苦痛の叫びが聞こえる事は無いが、痛みに耐えかねて激しく左右に悶え、脇腹の傷口から青色の酸性体液が周囲に噴き出す。
「ダメだ!生きていやがる!ジャベリンミサイル1発当てただけじゃ効かないぞ!」
盛大に体液を撒き散らしながら、巨大ワームの動きが鈍る事は無い。
降り注ぐ体液が、破壊されたオスプレイ輸送機やF35B戦闘機の残骸を腐食させ、バッテリーからショートした電気が燃料に引火して火災が発生する。
「ミスター・オオツキ!なんかアイデアないか!?」
CICに辿り着く直前に、巨大ワームの襲撃で足止めを食らっていた大月を見かけた先任軍曹が必死に対処法を問いかける。横須賀での打ち合わせ以来、大月はこの叩き上げ軍曹から相談を受ける機会が多かった。
巨大ワームから身を隠そうと身を翻した大月だったが、顔馴染みとなってしまった手前、無視出来ずに軍曹の元へ戻ってアドバイスを試みる。
「20㎜CIWS(近接対空火器)を手動に切り替えて弾幕を撃ち込むか、ジャベリンミサイルを一斉に撃ち込むか、甲板に残っているアパッチ対戦車ヘリの30㎜ガトリングで撃つか、C4爆薬を巻き付けた肉の塊でも喰わせて体内で爆発させるか、といった所ですかね!」
思いつく限りの対処法を伝える大月。
「感謝する!お前も生き残れよ!」
大月に礼を言うなり、弾薬庫へ向かう軍曹。
居住区へ戻りながら、ホームステイ中のイワフネが「巨大ワームの生態ですが、シドニア地区の観測システムによると、最近は海中にも短時間居れるようですね」と言っていたのを思い出し後悔する大月。
「くそっ!!」
失念していた自分に憤り、大月は通路の壁を殴り付けた。
次の瞬間、唐突に大月の直ぐ後ろの通路に大穴が空いて巨大ワームの口が現れると、ズズズーッと周囲の全てを吸引した。
通路に居合わせた水兵や海兵隊員達は悲鳴を上げる間もなく、ワームの口の中へと吸い込まれていった。
大月は咄嗟に通路の非常灯にしがみついていたが、起動に成功したアパッチ攻撃ヘリの30㎜バルカン砲がワームの巨体を貫通し、痛みに耐えかねたワームが激しく暴れ回り、巻き付いていたイオージマの艦体を激しく揺さぶる。
激しく揺さぶられた衝撃で非常灯を掴んでいた汗塗れの手が離れ、大月はワームの口に吸い込まれていくのだった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の主な登場人物】
・大月 満 = 総合商社角紅社員。内閣官房室に出向している。
・ジョーンズ=極東アメリカ合衆国第3海兵師団司令官。中将。




