海兵の選択
――――――【神奈川県横須賀市 極東アメリカ合衆国海軍 横須賀軍港内『コマンド・ケイプ』司令部】
「それで?"本命の"水先案内人から、電波は届いているのかね?」
薄暗い司令部内に在る巨大な壁面スクリーン前で、不機嫌そうな顔をした海兵隊司令官が振り向きもせずに背後に立つ背広姿の男性に尋ねる。
「ああ。日本列島を覆っていた障壁が解除されたというのは本当らしい。
岩国基地のカンパニー(CIA)が設置したアンテナが信号をキャッチしたよ。29年前にNASAが登録した"マーズ・オブザーバー探査機"の信号と一致した」
薄暗い室内でにも関わらず、サングラスをかけたまま背広姿の男性が答える。
「それはおかしいぞ、ダグラス。あの探査機は火星到着直前に燃焼剤が逆流して爆発して失われた筈だ!」
海兵隊司令官が指摘する。
「ジョーンズ中将。NASAの発表を真に受けるのは頂けませんな。
敵に対して常に疑いを持たないと、いつか足元をすくわれてしまいますよ?」
あの探査機の管制は、火星到達前に我々CIAが引き継いだのです。勿論、仕事仲間が動揺する姿を見るのは忍びないので、適当な情報を信号に混ぜて仮初の原因究明に貢献させていただきましたがね」
サングラスに隠された縦長の瞳孔を更に細めると、肩を竦めてダグラス・マッカーサー三世が嘲笑する。
「ダグラス!君という奴は!」
怒気を孕ませた顔でマッカーサー三世を睨み付けるジョーンズ中将だったが、MPが入室して来客を告げた為、話を中断せざるを得なかった。
「ミツル・オオツキが到着しました。入室を許可しますか?」
「許可する」
……不貞腐れた顔を鉄面皮の下に隠し、囮役に祭り上げられた水先案内人を待ち受ける運命に内心申し訳なさを感じつつ、入室を許可するジョーンズ中将だった。
♰ ♰ ♰
2022年1月7日午前7時【神奈川県横須賀市 極東アメリカ合衆国海軍 横須賀軍港内『コマンド・ケイプ』司令部】
極東アメリカ合衆国首都 那覇DC(特別行政区)で入植調査隊に参加予定の科学者達と打ち合わせを行った大月は、辺野古海兵隊基地から連絡便のオスプレイに便乗すると、実働部隊本拠地である横須賀基地へ移動した。
オスプレイから降りて直ぐに、待機していたMP(軍憲兵)が運転するジープに乗り込む大月だった。
大月を乗せたジープが軍港背後の岩窟山裏手側へ廻ると、後部座席に座る彼の視界に、山の下半分が抉り取られた地形に密集する施設群が入って来た。
巨大な鉄扉の手前に設けられたチェック・ポイントは、完全装備に身を固めた海兵隊員が厳戒している。
海兵隊員が全員のIDを照合し、無事にチェック・ポイントを抜けて巨大な鉄扉の内側に入ると、青白い昼光色の街路灯に照らし出された幅15mは有る道路が、緩やかな螺旋を描いて地下へと続いている。
横須賀軍港に所属する海兵達は、旧日本軍が戦時中に建設したこの施設を『コマンド・ケイプ(洞窟司令部)』と呼んでいる。
30分ほど掛けて螺旋状の道路を下りきって最下層に到達した大月は、司令部の入り口に辿り着いた。
ジープから下車し、MPに案内された大月の入った薄暗い司令部壁面には、アルテミュア大陸東部と北海道周辺を映し出した巨大な壁面液晶スクリーンが設置されていた。
「ようこそ、ミスターオオツキ」
壁面スクリーン前で話し込んでいた第3海兵師団司令官のジョーンズ中将と、スーツに身を包んだ極東CIA長官のダグラス・マッカーサー三世が、入り口で思わず足を止めていた大月に歩み寄ると歓迎した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
我に返った大月が慌てて腰を曲げ、日本のサラリーマンらしくお辞儀をした。
そんな大月の仕草に苦笑するジョーンズ中将とマッカーサー三世。
「……ところで中将閣下、火星原住生物の対策は如何でしょうか?」
戸惑いながら挨拶を終えた大月は、真摯な顔つきにあらためて確認する。
「流石は仕事熱心な日本人だ。此方へ来たまえ。幕僚達を紹介しよう」
憐れみの混じった目元を伏せながら、ジョーンズ中将は大月をブリーフィングルームへ案内するのだった。
♰ ♰ ♰
那覇DCで半信半疑な顔つきの科学者達に説明した時の様に、大月は海兵隊幕僚ら相手に、イワフネの案内で火星大地を廻った際に遭遇した火星原住生物について、懸命に説明していた。
特に、砂漠で遭遇した巨大ワームへの注意を大月は喚起していた。
仕事帰りの駅前留学で叩き込んだ、拙い英語を駆使して火星原住生物の危険性を懸命に訴えた大月に対し、彼より20歳近く若い年齢層が大半の海兵隊幕僚達は、慎重な日本人が思い込み過ぎて盛った法螺話として受け止めるのだった。
「HAHAHA!ニッポン人はジョージ・ルーカスやジェームズ・キャメロンの映画を見過ぎなんじゃないか!?
そんな化け物が居たら、とっくの昔にNASAが空軍に泣きついてタイタンミサイル(*米軍の代表的核ミサイルの名称)を打ちこんでテラフォームしているさ!」
情報担当の幕僚が大月を笑い飛ばす。
「―――恐れながら。彼の話を信じないのなら、部隊が全滅いたしますぞ!!」
ブリーフィングルームの片隅に同席していた、大月と同年代の先任軍曹が立ち上がると、笑い声を上げていた幕僚達を大声でどやしつける。
軍曹の一喝で幕僚達の態度は多少改まったが、火星原住生物を地球のサファリパークで飼いならされたライオン並の動物と認識する姿勢は、改まっていなかった。
内心大いに絶望する大月だが、自身が生き残る為に伝えるべき事は伝えたかったのでめげずに懸命に訴え続けた。
「砂漠に潜む、全長200mの巨大ワームは全身が鱗に覆われており、耐久力は相当なものと思われます!」
「巨大ワームの他にも、低空を音もなく翔んで襲い掛かる体長2m前後のサソリモドキ群のしっぽから噴射される毒液の威力は、消火飛行挺が森林火災を一気に鎮火させる様に我々の命を呆気なく奪うに等しいレベルだと考えてください」
唯一人、大月の証言を真摯に受け止めた先任軍曹主導で、可能と思われる兵器と不意打ちを避ける対策について検討が進められていく。
「ミスターオオツキ。巨大ワームやサソリモドキはジャベリン対戦車誘導ミサイルとグレネード弾、M1A3戦車の120mm砲とブラッドレー装甲車の12.7mm重機関砲で対処する事になるな。
ロシア熊は虎の子のT80戦車とRTG(対戦車ミサイル)の大量運用でなんとかなるだろう。
機動歩兵は基本的にブラッドレ-装甲車又はアパッチヘリ護衛のもと、ブラックホークヘリを使う事で、生身のまま襲われるのを防ぐ予定だ」
12時間後、軍曹が取り纏めた対応マニュアルをジョーンズ中将が読み上げる。
「現状では最善でしょう。それと、ワーム接近を探知する地中レーダーと、虫が嫌いな周波数の電波も試して貰えませんか?」
朝からぶっ通しの打ち合わせで疲れた目を瞬かせながら、考え付く限りのアイデアをジョーンズ中将に具申する大月。
「・・・OKミスターオオツキ。空母艦載機部隊の電子攻撃機とヘリボーン部隊の指揮官に打診してみよう」
苦笑して応対するジョーンズの姿は、僅かに後ろめたい気持ちが表れている様に大月の目には見えた。大月の見たところ、ジョーンズ中将は実直な性格であり、幕僚達をどやしつけた先任軍曹と同じ気質を持っている様だった。
「部下の幕僚達が失礼な振る舞いをしたので、申し訳なく思っているのかな?」
ジョーンズ中将の人物評価を上方修正する大月だった。
♰ ♰ ♰
「ところでミスターオオツキ、作物の準備は大丈夫かね?」
軍事的会話に飽きた文官のマッカーサー三世が、ジョーンズ中将の隣へ進み出ると疲労困憊の大月に構わず質問する。
マッカーサー三世の態度に渋面となるジョーンズ中将。
「火星大地特有の鉄分が多い土壌で育つものを選びました・・・ニンジン、ジャガイモ、ホウレン草、ベリーにトマトです。
それと、アルテミュア大陸海岸沿いでは海水の有機成分を餌とするシュリンプ(海老)を養殖する予定です」
疲れ切った身体をおして、鞄から資料を取り出してマッカーサー三世に差し出す大月。
「グレイトだ!」
満面の笑みを浮かべたマッカーサー三世が大月から資料を受け取る。
「よくもこれ程の物を……感謝する。ミスター大月。
これ程の希望の種が有るならば、我々海兵達も守りがいが有るというものだ」
感謝の言葉と共に、がしっと大月と握手するジョーンズ中将。
「身に余る光栄です中将閣下。
火星原住生物は人類にとって未知の部分が余りにも多過ぎます。警戒は怠るべきではありません!」
海兵隊将校の態度を思い出しながら、大月があらためて念を押す。
「背広組とは違い、我々海兵隊は精強なプロ集団だ。幕僚の出来が悪かったとしても、いざ戦場に飛び込んだら遅れなど取らんよ」
「「・・・」」
自信に満ち溢れたジョーンズ中将が応え、隣のマッカーサー三世と背後に控えた幕僚達は、冷ややかな眼差しでジョーンズ中将を見るのだった。
♰ ♰ ♰
その日深夜、大月はジョーンズ中将や海兵隊幕僚達と共に、ヘリに乗り込むと沖合で待機していた航空母艦『ロナルド・レーガン』に移動した。
翌朝午前8時に横須賀軍港を出発した旗艦『ブルー・リッジ』を始めとする極東アメリカ海軍機動部隊は、強襲揚陸艦と輸送船団を護衛しつつ本州東方沖を北上、その日夜半に択捉島沖に到着した。
ヒトカップ湾で待機していた極東ロシア連邦海軍上陸部隊と合流した連合艦隊は最後の補給を終えると、北海道東方沖を北上して一路アルテミュア大陸を目指すのだった。
航空母艦『ロナルド・レーガン』から強襲揚陸艦『イオージマ』に移乗した大月は、艦内居住区に割り当てられた三段ベットの一番下で横になると、一人溜め息つく。
ジョーンズ中将率いる海兵隊は、人間相手にはプロとも言えるが、未だ殆ど解明されていない未知の火星原住生物が潜む大地でその実力をどれだけ発揮できるか、大月は大いに疑問を持ちながら、心から「西野を連れて来なくて良かった」と思い仮眠を取るのだった。
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―――1月8日午後8時30分【北海道東北沖110kmの火星シレーヌス海 航空母艦『ロナルド・レーガン』CIC(戦闘管制室)】
「シーホーク哨戒ヘリが、艦隊針路前方10km地点に到達」
航空管制官が艦長のスティーブン大佐に報告する。
「よし。予定通り巡航速度でソノブイ投下!」
スティーブンが指示する。
赤く薄暗い海上を低空で飛行する対潜水艦哨戒ヘリが、全長50cm程の円筒形をした海中探知用ソノブイを次々と投下していく。
投下されたソノブイは、海面に到達する直前に小型パラシュートが開いて落下速度を落とすと、静かに着水して海中へと沈んでいく。
「ソノブイ投下完了!データ受信!」
「解析したデーターは、艦隊リンクシステムに連動させるんだ」
「アイ、艦長!」
CIC中央モニターに、ソノブイから送信されたデータが解析されて表示されていく。
「……艦隊針路前方の海水温は2度。
6時間前に測定した、宗谷海峡付近の海水温10度と比較して、明らかに低温海域へ進出したと判断します」
データを解析していた同行科学者が報告する。
「……遂に我々は、日本列島の”外”へ出たのだな」
スティーブン大佐が感慨深げに呟く。
「これより艦隊は未知の海域に進出する!
総員、アルテミュア大陸から南下するワームを警戒せよ!」
スティーブン大佐は、隔絶区間調査時に同行した日本人海洋学者の岬渚紗教授が発した警告を忘れていなかった。
岬は「隔絶空間外に拡がる火星海洋には、人類にとって大いな希望が有ると同時に、決して友好的ではない生物も居るはずです」とブリーフィングに出席していた水兵達に警告していた。
「先行する哨戒ヘリに連絡。アクティブソナー作動させろ!
既にワームが近づいているかもしれん」
『アイ、艦長。ソナー、アクティブ!』
哨戒ヘリが投下したソノブイから、海中に向けて強力な音波が発信される。
『探知せず!20km前方まで針路クリアー』
哨戒ヘリが報告する。
「念の為、針路左右の海域もソナー探知するべきだと思う。
右舷海域は潜水艦『コロンバイ』、左舷海域はロシアの『K332』からソナー探知を開始せよ!
私は外周護衛艦によるソナー探知を『ブルー・リッジ』司令部に具申するぞ!」
スティーブン大佐が決断する。
間もなく連合艦隊の左右から強力な音波が海中に発信されたが、その音波が海底で低温休眠状態だった巨大ワームを目覚めさせ、呼び寄せる事になろうとは、まだ誰も想像していなかった
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―――同時刻【富山県立山市 尖山】
尖山基地最深部で空腹の為失神していたミーコは、西野ひかりの手厚い看護で目を醒ましていた。
ミーコは、西野が基地の即席厨房で作ったかぼちゃポタージュを美味しそうに食べていたが、急にスプーンを置いて虚空を視た。
『・・・ワーム達が来る』
ミーコが呟いた。




