大月の選択
【東京都港区六本木 極東アメリカ合衆国大使館】
「……そうか。火星人を接待していたのは、カドベニの商社員なのだな?」
尖山で行われたマルス人向け試食会に参加した極東NASA研究員に、黒のサングラスと黒スーツに身を包んだ男性が質問をしていた。
「私から見た限り、彼はとても火星人と親し気に語らっていましたね……尖山の試食会よりも前に知り合っていたのかも知れません」
アジア地域では大気汚染がマシな地域である冬の澄んだ星空を日本で観測する為に来日し、火星転移に巻き込まれた経歴を持つ極東NASA職員が語る。
「……大使。ナハDCに繋いでもらえるかな?」
駐日大使を顎で使うのは、極東アメリカ合衆国CIA長官であり、元在日米海軍横須賀基地所属情報将校とCIA極東支局長を兼務する「M」ことダグラス・マッカーサー三世であった。
「この二ホンで火星文明と繋がりを持つ存在、ミツル・オオツキに我が国の水先案内人を任せてみよう」
マッカーサー三世はニヤリと微笑みながら電話機をとると、ミッチェル大統領に"彼"を水先案内人として同行させるように進言するのだった。
♰ ♰ ♰
2021年11月29日午前10時頃【東京都千代田区丸の内 総合商社角紅 火星流通営業室】
この部署はマルス人留学生イワフネの商社勉強サポートと、近い将来に実現するであろう"火星入植地"から物資売買を行う司令塔……と言う建前で、社長室の真下に設置された。
その営業室のすぐ外で、大月は電話で会話していた。
「……そうですか。
万一の場合は私が―――。はい。分かりました。では、失礼します」
溜め息をつきながら大月が営業室に戻ってきた。
「イワフネさん。この黒海老の養殖はどうですかね?」
春日がイワフネに質問していた。
「ハマチの養殖よりは現実性が有りますね。海老はプランクトンを食べますから。天敵が少ない今のマルス海洋には合いそうです」
可能性が高いとイワフネがコメントする。
「プランクトンを餌とするならば、牡蠣やホヤもいけるかな?」
大月が会話に加わる。
「牡蠣やホヤ?」
聞き慣れない言葉に首を傾げたイワフネが訊く。
「あれれ?……昨日宴会で、私が揚げたカキフライ食べてたじゃないですかぁ」
西野が言った。
「んん?……あれは美味しかったですね。……えーっと、海の……ミルク?でしたっけ」
縦長の瞳孔を細めながら、セールスポイントを思い出そうとイワフネが頑張る。
「春日、その品目は東南海大学の岬教授に相談してみたらどうだ?教授は海洋生物の研究者だ。今の仕事が一段落したらイワフネさんと一緒に話を聴きに行けばいい」
大月が春日とイワフネにアドバイスする。
「私はちょっと経産省と農水省の伝手を頼って、土壌が鉄分向きの植物探してきます」
さっさと身支度を整えると、鞄を掴んで足早に部屋を出ていく大月。
「いってらっしゃい。
……いつにも増して忙しそうな先輩ですね」
パソコン画面を見たまま大月を送り出す春日。
イワフネは春日の横で初体験となるエクセルソフトの取り扱いに集中し始めており「くっ!数字を入力したのに何故西暦表示に!?」などと苦戦の様相を呈していた。
二人の向かいで大月の行動予定表を確認していた西野は、営業室を出て行く彼の後姿をじっと見ているのだった。
「……半自動的なソフトは中々に難しい。
ところで、皆さんマルス大地の動植物育成に精を出すのは分かるのですが、マルス原住生物への対策は大丈夫でしょうか?」
ボソッと呟くイワフネ。
「……お返しのホームステイで見た巨大なミミズやトカゲなんかは、専門家が退治してくれるのでは?」
キョトンと首を傾げる西野。
「政府が対策を取ってくれると思いますよ。東山も同行していましたし」
春日がパソコン入力の手を休めるとイワフネに応える。
「……あれ?そうなんですか。
本当にいいんですかね……」
予想外に他人事な反応に少し驚くイワフネ。
"今の"火星原住生物に地球人類が敵うか大いに疑問符が付くところだ、とイワフネは思うのだった。だが、アマトハやゼイエスが「地球人類の動向を見守る」と言ったのを思い出し、口を噤むのだった。
♰ ♰ ♰
その日の晩、定宿となったホテルに帰宅した大月と西野。
「大月さん最近付き合い悪いですよねぇ。仕事帰りの宴会全然出ませんし。アフターファイブは職場の潤滑油ですよ?」
西野が頬を膨らませて拗ねる。
「……ええ!?それは今のご時世ではパワハラ、セクハラ呼ばわりされるだろうに。
こっちは、本当に"大口取引先"向け特別仕様の納品準備が忙しいんだよ・・・」
冷や汗を垂らしながら弁解する大月。
「とにかく時間が足りないんだ。
仕事で『海外』に出るのは初めてだしな・・・対抗武器の事も分からないし・・・」
ボソッと呟いた大月は、寝支度を済ませるとベットに潜り込むのだった。
やがていびきをかき始めた大月の寝顔を、心配そうに見つめる西野だった。
♰ ♰ ♰
―――12月3日午後7時【神奈川県横浜市 神奈川公会堂】
政府主催の国民投票に向けて、与野党の討論と国民からの質疑応答を受け付けるタウンミーティングが大月の地元で開かれた。
タウンミーティングでは、与野党の地元選出議員と党本部役員の他、マルス人のゼイエスがマルス・アカデミー側の説明役として招かれ、政府側からは首相補佐官の東山が司会を務めた。
大月は住民の一人として参加したが、西野が当然のように隣に座っており、西野は横浜市民だっけ?と考え込むのだった。
冒頭、ゼイエスがマルス・アカデミーについて簡単に説明、地球人類とは大いに異なる科学技術について紹介していく。
次に、地元与野党議員が技術承継の大切さ、地球人類文明との融合の難しさ、各国との技術競争激化について議論した。
タウンミーティングに詰めかけた住民は、マルス・アカデミーとの遭遇に強い関心を持っており、活発に質問や意見を述べていた。
住民の意見を聴いた限りでは、急激な変革よりも身の丈に合った変化が受け入れられそうだった。
そんなミーティングで、一人の住民がゼイエスに詰め寄った。
「そもそも、あなた方火星人が地球に生命の源を作ったのですよね?
それならば、火星人は地球生命体の創造主として、今まで地球人類が味わった艱難辛苦に対して謝罪と賠償を行った上で、私達善良な市民を助けるべきではないでしょうか?」
ビッグ・ゲストに対して行われた突然の糾弾に会場に居た皆が困惑する。
だが、一人の中年男性が手を挙げて立ちあがると反論する。
「それは違うのでは。お門違いも甚だしいですよ?」
大月だった。隣に座る西野が驚いて大月をみている。
「では貴方は、生け簀で養殖している鮭やハマチ、牡蠣や海老の"創造主"として、人生の面倒を見れるのですか!?無理でしょう?」
「貴方の言っている事は、親に『何で私を産んだの?』と言い掛かりをつける、反抗期の子供と同じ屁理屈でしかありませんよ」
「私達人類はもう大人です。いつまでも面倒を見ろ、なんて出来ません。
独り立ちも出来ない人類が、マルス技術を教えろと居丈高に主張する傲慢なやり方には到底納得出来ません!」
矢継ぎ早に大月が捲し立てると、相手は激高して掴みみかかろうと飛びかかってきて揉み合いとなり、会場は一時騒然となるのだった。
大月達は区役所職員と警戒中の警察官に会場の外へと連れ出されてしまうのだった。
♰ ♰ ♰
「どうしたんですか!?大月さん!焦りましたよ―――」
落ち着きを取り戻したタウンミーティングが終了した後、会場の裏口から出てきた東山が大月を見かけると駆け寄って文句を言おうとしたが、西野の有無を言わせぬ視線で制止された。
「帰る」
東山の呼びかけを無視してむっつり押し黙った大月は、呼び停めた人力タクシーに乗り込むと、さっさと横浜駅へ行ってしまうのだった。
西野と東山は、困惑した顔で走り去る人力タクシーを見送るのだった。
♰ ♰ ♰
西野が東京赤坂の仮住まいホテルロビーに帰ると、スーツケースを持って慌ただしく出掛けようとする大月にばったりと出くわすのだった。
「大月さん!?何処へ行くんですか?」
驚いた西野が慌てて大月に駆け寄る。
「……急に大口取引先から呼ばれたんだ。ちょっと那覇DCに行ってくる」
大月が答える。
「っ!私も準備するので待ってくださいね」
慌てて準備しようとする西野。
「待って、西野さん。……今度の仕事に西野さんは連れて行けません」
荷造りすべく部屋へ向かう西野の手首を、大月が掴んで制止する。
「今はまだオフレコだから言わないで下さいね?
……極東米露が近いうちに独力でアルテミュア大陸へ向けて出発します。
私は水先案内人として同行する事になりました。
澁澤総理を始め、首相官邸は危険な火星大地へ日本国民を派遣させる事を拒否したのですが、米露は核と駐留部隊を臨戦態勢にさせて無理矢理要請してきた様です・・・。
"あの"火星生物とまともにやり合おうなんて、米露は相手を見くびっています。ですから、私が同行して、出来る限り犠牲が出ない様にアドバイスしようと思います。
そう言う訳で、今回の仕事は危な過ぎるんです。自分の身を守るので精一杯ですから」
説明する大月。
「万が一の時は連絡をするので、ひかりさんの携帯アドレスを教えてください。
アマトハさんやゼイエスさんとも連絡が取れるように、ひかりさんは尖山で春日やイワフネさんと待機していてくれませんか?」
大月が西野に頼む。
西野から携帯アドレスを受け取った大月は、
「大丈夫。ちゃんと帰ってきます」
それだけ言うと、大月はホテルから出ていき、西野はロビーにポツンと残されるのだった。
大月に初めて下の名前で呼ばれた事にびっくりして少しだけ嬉しくなりつつも、不安の混ざった顔で大月を見送る西野だった。




