国民の選択
―――これは大月の隣室に住む、とある男性の再起の記録である。
【神奈川県横浜市神奈川区神大寺2丁目 アパート「サンライズ」206号室】
中国とロシアのミサイルが日本を直撃する三年前から、俺は勤め先の銀行を病気で長期休職しながら横浜の部屋に引き籠っていたんだ。
大阪に住んでいる両親や嫁いだ姉は心配してくれた様だが、今更サラリーマンだった父の所へ戻ったところで、ごく潰しになるのは確定する未来が分かっていた。
だから部屋から出るわけにも行かず、復職して戻ったところで職場はスーパーマンばりの意識高い系の社員ばかりでついて行ける自信などなかった。
かといって路頭に迷うわけにも行かず・・・まったく辛いぜ。
今月で銀行の家賃補助が打ち切られて、預金の取り崩しやサラ金のキャッシング、こそこそと物流倉庫の棚卸アルバイトをやってみたが自転車操業……もう人生どうでもいいわ、早く死にたい……。
明日、近所のタワーマンションから飛び降りてやろうと思ってふて寝していたところにミサイル警報を告げるJアラートが鳴って避難命令が来た。
これで死ねる。楽になれるぜラッキー!次はチートキャラに転生したいぜ!と俺は喜んでいたんだ。
……実際には核ミサイルでアパートごと消滅する事も無く、赤く染まった夜空の下で呆然とテレビを視ているだけだった……実に残念だぜ!
落ち込んだ気分で灰色の日々を布団にくるまって過ごし、携帯電話が鳴るのも放置した10日後、早朝に突然警察官を伴った両親と姉が、市役所の職員と共に部屋に乱入してきた。
正確には、親族や管理人の連絡に応じなかった為に、警察官立会いで強制的に玄関を開錠させられたのだ。
警察署に連れて行かれる事はなかったが、その場で踏みこんで来た姉から猛烈な右パンチを喰らったぜ!
でもその後、姉が号泣しだしてな。年老いた両親は言葉少ないながらも俺の事を案じていてくれたぜ。
姉が泣き止んだ後、市役所の方から来た人の車に乗せられて近所の公民館に連れて行かれ、農林水産省の方から来た人と話すことになった。
俺は正直に話したよ?
ここまでの大事になったんだ、今更取り繕っても始まらない。案の定、市役所職員の視線が蔑む視線に早変わりだぜ……。
それが普通の反応だよ!ちくしょう!
だけど農林水産省の方の人は、少し違ったな。
その人は俺の話を聴いて少し黙った後にこう言ったんだ。
「なるほど。あなたの様な方は多いと思いますよ?」
そして、
「どうせなら、今の休職期間ぎりぎりまで会社に在籍したまま、海とか山でお仕事してみませんか?」
ときたもんだ。
「……会社は副業を禁止しているんですよ?」
俺は答えたが、
「そちらは、政府から火星転移に係る特別立法や、食糧管理法改正で副業が解禁されたので大丈夫ですよ。勤務先に届け出るだけで問題は無いでしょう」
その人は、はっきりと自信たっぷりに言ってくれた。
だが、海や山でのお仕事に興味はあるが、50歳目前の俺は未経験者だ。
新しい仕事や面倒くさい地元との近所付き合いなど出来ん。
「今のご時世は、国を挙げて食糧増産に乗り出しているんです。
あらゆる業態の企業が地方に農地や漁船を買い求め、社員を畑や漁場へローテーションで送り出しています。
今時は週休2日、週農2日、本業3日の会社員が多いのですよ?」
うえっ!?マジですかっ!?
引き籠っている間に世の中どうなっちゃったの!?
……まあ、俺は取りあえず仕事に「戻る」気持ちが薄いから畑や海からだな。
俺の答えを聴いてくれたその人は、
「分かりました。その辺の手続きは私の方で代行してお勤め先に提出しておきます。
手続きに必要な書類は明日届けに参りますね。それまでは身支度とか整えておいてください」
・・・あれ?
「わかりました。久しぶりの世の中ですが、よろしくお願いします」
なんで俺素直に頭下げているの?
「こちらこそ、よろしくお願いします」
その人も頭を下げて握手を求めてきた。俺は握りしめたぜ!
アイドルの握手会よりもドキドキしたぜ!くっ!相手は男だけどなっ!
帰り際に初めて名刺を貰ったのだが、名刺には
『総合商社 角紅 株式会社 総合流通営業部 大月 満』
『総合商社 角紅 株式会社 水産物営業部 春日 洋一』
と書いて有った。農林水産省の人じゃないんだな。やられた。委託業者かよ。
まあ、いい。取りあえず、久しぶりに風呂にでも入るか。もしかしたら今日よりはマシな明日が来るかも知れないな―――
アパートを出た大月と春日は、待たせていた電動人力タクシーに乗って本社に戻った。
「なんか俺の2年前を思い出した」
大月が不意に呟いた。
「・・・そうですか。海の仕事に興味を持ってもらえたようでうれしいっス」
静かに応える春日だった。
翌週、3年間アパートに籠っていた大月の隣人は、東北地方の漁村で角紅が直売契約を結んでいる牡蠣養殖業者に出向いて養殖の手伝いを始めた。
彼は漁村で目立った実績を挙げる事はなかった。しかし、港の作業場を乱す振る舞い等は見られず、作業の一つ一つを丁寧に真面目に取り組む姿を見た地元の漁民は、素人の余所者だと蔑む事はなかった。
翌月、漁村の仕事で何かが吹っ切れたのか、復調した彼は銀行の子会社に復職し、簡単な事務仕事を始めるのだった。
彼はゆっくりと前進する未来を選択したのである。
♰ ♰ ♰
2021年11月12日正午【NHKニュース】
国営放送のアナウンサーにもかかわらず、政権与党に対して批判的な態度を取ることで有名な女性アナウンサーが、嬉々としてニュースを伝えていた。
『澁澤総理大臣は8月25日に政府が締結したマルス科学技術文明の段階的承継を『国民の充分な議論、検討が為されないまま締結されてしまった不十分な内容の承継方法だった』として、国民投票による協定の追認を得たいとの考えを示しました』
『今回の国民投票は国民投票法が国会で成立してから初めて、具体的事案に対する澁澤政権の信を問う選挙……失礼しました、投票になります』
あからさまに自分の願望を思わず口にしたアナウンサーが、失言に気付いて顔を顰めた。
「……やっぱりこうなったんですねぇ」
社員食堂で大月やイワフネ、春日と共に昼食を取る西野が言った。
「本来、政府が対外的な条約を国民の意見が違うから等と情緒的な理由で反故にする事は、国際的な信頼を著しく失墜させる大失策なんだけどな……」
大月が、西野の作ったツナサンドをもしゃもしゃ食べながら言った。
「だが、国際的信頼と言った所で火星に存在する我が国に、その様な事は関係無くなってしまった。
むしろマルス側に対して『日本国はちゃんと考えていますよ』という姿勢を見せる事の方が大事なんだよ」
「それと、マルス文明というオーバーテクノロジーを承継する事の意味を国民全員が真面目に考えることで、これから発展、開発される新技術を使う免罪符にもなるんだよ」
大月が政治的な見解を一気に喋った。
西野は大月のいい所をまた見つけた!と目がハートになり、東山は頷くばかり。イワフネは黙って聞いていたが、
「そんなにいちいちみんなの意見を聴いていたら、物事が全然進まなくなりませんかね?」
疑問を口にする春日。
「確かにな。でも、火星に転移しても我が国は建前上『民主主義国家』だ。
なるべく多くの民意を政府に集めない事には、何事も進められないのさ」
大月が応えた。
「じゃあ、極東アメリカ、極東ロシアも選挙?国民投票するのですかねぇ?」
西野が訊いた。
「いや。"向こうは"1度選挙で勝った政党が政権を握ったら、全ての政策に信任を得た、として政権の決定を推し進めるだけだ。だから―――」
大月は言葉を切って、東山を見る。
「日本国と方向性の違う承継の選択をした極東米露に、日本国が明確に意思表示をしたというアピールを、マルス人に示したかったんじゃないかなぁ……」
東山は大月の分析に同意しながら、
「大月さんの言われる通りです。
もう少し過激な見方をすると、極東米露は近い将来、我が国に牙を剥くと官邸は考えています」
かなり衝撃的な発言をした。
大月、西野、春日は近い将来の暗い見通しを想像すると、黙々と昼ご飯を食べていた。
そんな彼ら彼女らをイワフネは、じっと見つめるのだった。
『マルス文明に係る段階的承継の国民投票』は、1月12日に投票、即日開票と日本国政府は発表した。
2か月間に渡り与野党が全国各地を回りながら、澁澤政権が掲げる政策の是非を問う長い闘いが始まったのである。
♰ ♰ ♰
仕事が終わり、『イワフネハウス』でアマトハ、ゼイエスが乱入した"恒例"のアフターファイブが終わると、大月と西野はSPが運転する車に乗って政府が用意した赤坂の「仮住まいのホテル」へ向かった。
「そう言えば今頃地球はどうなったのですかねぇ?
北欧のお世話になった人達が心配です」
車中で西野が、ふと思いだして言った。
「そう言えば、全然考えてなかったなぁ……」
大月は相槌を打ちながら、
「でも極東米露や他の国は、故郷をずっと忘れていないだろうな」
一人呟く大月。
彼らが日本列島の外へ出たがるのは、地球の『本国』と連絡を取りたいから、又は本国より有利になりたいからではないのだろうか?と大月は少し思った。
だが、話し始めた当の西野が寝息を立てて大月の肩に頭を乗せてきたので、思考を止めて西野の"寝たフリ"に付き合う大月だった。




