貧者の核兵器
2027年(令和9年)3月27日午前10時【火星衛星軌道 第1衛星フォボス 英国連邦極東・ユーロピア共和国 ダンケルク共同宇宙基地 内宇宙ドック 多目的船『ディアナ号』】
テレビの消されたディアナ号の食堂で、満と美衣子達三姉妹はガツガツとやや遅い朝食を食べていた。
「さあさあ!じゃんじゃん食べて下さいね~。話はそれからですぅ」
豚キムチを炒めたフライパンとお玉を片手に仁王立ちするひかりが満達に宣告する。
昨晩の大阪都京橋のグランシャトーで行われた後白河副総理との疲れる交渉モドキに関わったひかりも流石に疲れていた為、何時もより遅い時間に起床してあくび混じりに食堂に入るなり、真剣な顔の満と美衣子達三姉妹がテレビに齧り付く場面に出くわすと「これはまずい!」と反射的にテレビから満達を引き剥がし、とりあえずご飯を食べさせている次第である。
ちなみに岬渚紗はダンケルク宇宙基地で下船し、ソールズベリー商会の多目的船『大黒屋丸』に搭乗してソールズベリー卿のサポートにあたっている。今頃は、有能な助手として活躍しているだろう。
夜遅くまで神経を使ったのだから睡眠で脳を休めるのは当然としても、起床するなり脳の連続酷使は充分な休息と栄養補給の後でないと疲労が蓄積しやすいと社会人になってからのひかりは経験している。もっとも、それを背中で見せて示唆していたのは満のはずだったのだが、と心の中で苦笑するひかりだった。
ひかりから見れば、満は一度関わった相手やコミュニティには非常な親近感(責任感かもしれないが)を持ち、自分の都合は後回しにして体力的にも無理をしがちである。
そして、満の体力消耗はひかりとの夜の営みに多大な影響を及ぼすため、満の温もりをなるべく多く感じたいひかりとしては、そこは断じて譲る事が出来ないのだ。
「まあ、昔の住処に近いところが被害を受けている様ですし、仕方ないでしょうけれど……」
食事の支度中にレシピを見る振りをしながらスマホで銚子沖に巨大ワームが襲来し、ワーム弾が各地に被害を与えたと報じるネットニュースを調べたひかりが呟く。
満と同様、現在の我妻新政権に全く親近感は無いが、元同僚だった春日や阪神大震災からずっと面倒を見てもらっている祖父の仁志野清嗣、最近では元官房長官の岩崎が彼処には居る。彼らの危機を見て見ぬ振りは出来ない。
だからひかりは考える。
「こんな時だからこそ、しっかりご飯を食べて冷静になって対策を練ろう!」
「あなた!ちゃんと溶き卵スープとトマトサラダも食べてくださいねっ!」
笑顔で満の背中を軽く叩くひかりだった。
♰ ♰ ♰
2027年(令和9年)3月27日午前10時10分【埼玉県さいたま市大宮区 JR大宮駅東口バスターミナル】
20分前の爆発で目も眩む閃光と同時に到来した衝撃波で指揮・通信車ごと何度も転がされて酷い船酔いの様な感覚で鈍っていた思考を、パンと頬を叩くことで取り戻した第31普通科連隊の連隊長が指揮通信車のハッチを開けて機銃席から周囲を見回す。
連隊長の視界には瓦礫の山と強烈な爆風の噴き戻しの突風が、瓦礫や木片を大宮1丁目の交差点方向へ噴き飛ばしていく光景が広がっていた。
20分前に存在した吉野家は跡形も無く、直ぐ近くで昭和の趣を残していたすずらん商店街は、煙の燻る瓦礫の山と化していた。
100ⅿ程離れた場所に在る、ワーム弾が落下した道路に面した大宮高島屋は、かろうじて倒壊を免れているが、看板は噴き飛ばされ白かった外壁は激しい燃焼爆発で黒く焼け焦げ、窓ガラスは全て破損して消失しており、噴き戻しの突風に煽られたカーテンや衣料品が窓から飛び出して空中に舞っている。
バスターミナルから市街へ延びる道路には、衝撃波で両脇の建物から落下したであろう大量の窓ガラスやオフィスで使われていた机や椅子等の破片が一面に散らばり、噴き飛ばされた自動車や路線バスの残骸が建物の入り口に叩き付けられたかのようにぐしゃっと積み上がっている。
奇妙な事に、破壊された建物から今もバラバラと落下する瓦礫や吹き戻しの風切り音だけが連隊長の耳に届く他は周囲は静寂に包まれ、人々の泣き叫ぶ声は皆無だった。
「馬鹿が!タイミングが早すぎたんだ!」
小さく毒づく連隊長。市ヶ谷防衛省からの緊急命令で全部隊に即時車内退避を指示した時は、東口駅前には避難する市民が改札口から大宮高島屋まで伸びる長い行列を作っていたのだ。
瓦礫の中にマネキン人形に酷似した人間の一部が無数に散らばっているのだが、敢えてそれを今は直視せず連隊長は己の任務に取り掛かった。
「連隊各員の無事を確認しろ」
直ぐにハッチ下で待機する通信士に指示する連隊長。
「各隊から報告—――—――全員無事」
少しだけ間を空けた後、通信士が報告する。
「第2、第5普通科中隊下車!小型ワームに警戒せよ」
連隊長の指示により、装甲車に避難していた完全武装の隊員達がばらばらと下車すると、自動小銃を足元や周囲の瓦礫に向けて警戒する。
「周辺警戒しつつ、生存者の救助に当たれ!生き残りの小型ワームには班単位で対処せよ!かかれ」
訓練通り、淀みない動作で行動を開始する隊員達だったが、瓦礫の山と無数に散らばる遺体という余りにも現実離れした光景に顔をひきつらせながら、窒息死を免れた生存者が居ないか捜索を開始するのだった。
♰ ♰ ♰
2027年(令和9年)3月27日午前10時30分【ダンケルク宇宙基地内 ディアナ号操舵室】
充分な食事を取った後、操舵室に集合した大月家一同は状況確認と今後の対策を練るべく、オンラインで英国連邦極東、ユーロピア共和国、台湾国等と情報交換を行っていた。
満とひかりは、MCDA(火星通商防衛協定)と安全保障”契約”を締結した自称マルス・アカデミー・シドニア地区代表である美衣子達三姉妹の”保護者”という位置付けで参加している。
『……東京の大使館からの報告では、大宮駅前で使用された特殊爆弾は、燃料気化爆弾との事だった。
可燃性薬剤を秒速2000mで空中に急速拡散させて爆発させる……数百メートルの範囲に居る兵士を急激拡散した薬品の爆発による衝撃波と火力、その後の酸欠で一気に排除するものだ』
英国連邦極東のケビン首相が、火の付いていない葉巻を咥えながら重々しく切り出した。
『”貧者の核兵器”と呼ばれているアレですか……』
爆発時の映像を目を逸らさずにじっと見つめて呟くジャンヌ・シモンユーロピア共和国首相。
『……BBCの速報では大宮の死傷者は2000人以上と報道されていますね。
あの様な大量破壊兵器を自衛隊が保有していた事に驚きます。あの爆弾に使用される燃焼剤は殺虫剤にも使用されていて爆発範囲を汚染するとも聞きます……それを躊躇いもなく使用するとは』
台湾国の王代表も、強張った笑顔を張りつかせたまま目を細めて爆発時のホログラム映像を注視しながらジャンヌやケビンの発言に反応する。
『前政権で防衛大臣だった桑田君によると、低コストで高い効果が見込まれる事から自衛隊で保有を検討したものの、日本の気象条件では気化燃料の拡散が不十分な事から国土防衛に適合しないと判断され保有を見送ったとの事でした』
自由維新党の岩崎総裁が各国首脳に説明する。
「保有していない筈の爆弾を何故、自衛隊が使用できたのでしょうか?」
当然の疑問を口にする満。
『大変動後の現在、燃料気化爆弾を保有する人類国家は2か国しかない。
湾岸戦争やアフガニスタンでのタリバン掃討で使用したアメリカ合衆国の後継国家—――—――ユニオンシティと、アメリカと親密だった中東のイスラエルだ』
ケビン首相が答える。
『我妻首相が地球タカマガハラで友好善隣協力条約をイスラエル連邦と締結した直後、東京の旧在日米軍横田基地に地球からの直行便がコンテナを下しているのを我が国の情報機関が確認している。
……そして、大宮駅前の爆弾投下15分前に横田基地で待機していた小松基地所属のF2攻撃機が出撃していた――――――イスラエル連邦から譲り受けたモノを使用したと考えるのが自然だろう』
横田基地を隠し撮りしたと思われる、イスラエル連邦のシャトルからコンテナが下ろされる場面、横田基地から飛び立つF2攻撃機を撮影した写真を、ホログラム映像で参加者へ提示するケビン首相。
『首都圏でのワーム被害拡大は、我妻新政権への不信感増大に直結する重大案件です。故に代々木の立憲地球党指導部は早期のワーム駆除を急ぐ為に手段を択ばなかった、というところでしょう。
……市民が退避していない中で市街地の砲撃や特殊爆弾投下は、わが党では絶対に決断出来なかったでしょうね』
岩崎が渋い顔で分析する。
「とりあえず、銚子沖から北上した巨大ワームのグループは討伐されたという事ですが……」
「南下したグループ……房総半島沖から東京湾を目指しているグループと、九州地区に進入した巨大ワームの迎撃はこれからです。首都圏で起きた事態を再現させるわけにはいきません!美衣子達と検討した対策をこれからご説明します」
満が首都圏の地図をホログラム投影してレーザーポインターで各地のワーム被害地点を示しつつ、九州地区の地図も並べて表示しながら参加している各国首脳に呼び掛ける。
日本列島周辺に侵入した巨大ワームを各国が迎撃する第二次日本近海攻防戦が始まろうとしていた。




