だからこそ
2027年(令和9年)3月27日午前9時【長崎県五島列島沖 北西150kⅿ 多目的船『大黒屋丸』】
21世紀の日本近海にはひどく不釣合いな千石船がゆらゆらと南下を続けていた。
「……ミス・ミサキの紅茶が美味しいのは大変素敵な事なのだが」
マルス・アカデミー・アンドロイド”クリス”に命じて千石船の甲板にテーブルと日傘を立てて優雅なお茶会風に紅茶を楽しむソールズベリー商会会長のソールズベリーだったが、紅茶の香りを愉しんだ後、静かにカップを皿に戻しテーブルに置く。
「先程から何をしているのですか?」
白衣を着て舷側から鶏がらスープをザバーと海上に垂れ流す岬渚紗に突っ込むソールズベリーだった。
「……あらあらまあまあ。お褒めにあずかり恐悦至極にございます」
三つ編みのお下げを揺らして振り向いた岬渚紗博士が、白衣の裾をちょこんと摘んで淑女の礼をする。
「いやいや。鶏がらを入れた寸胴鍋を足元に置きながら畏まられても……」
非常にミスマッチなシチュエーションに毒気を抜かれて口ごもるソールズベリー。
ダウニングタウンのケビン英国連邦極東首相から領海外周の警戒を依頼され、ダンケルク宇宙基地から五島列島沖へ降下したのだが、宇宙基地で合流した助っ人である岬渚紗海洋生物学博士の行動に困惑していた。
岬は佐世保市長崎新地中華街の台湾国領事館を通じて大量の鶏がらを入手、空母『クイーン・エリザベス』搭載ヘリで五島列島沖までお取り寄せしたのである。
ヘリコプター乗員が緊張した面持ちで香しいスープをなみなみと湛えた寸胴鍋を大黒屋丸まで運んできたのは、朝食後のお茶を甲板で楽しんでいた時だった。
岬の指示で海面まで着水した大黒屋丸は、ゆっくりと領海外周を南下しつつ大量のスープを海中に流し込んでいく。
ソールズベリーはマルス・メイドアンドロイドのクリスが淹れた紅茶を味わいながら、鶏がらスープをなみなみとたたえた寸胴鍋を甲板でくつくつと煮込みながら時たま「ここから再び飯テロターイム!」などと独り言を呟きながら舷側からゆっくりとスープを海中に流し込む岬に困惑するソールズベリーだった。
「……うーむ。豚足や牛骨も入れるべきだったかしら」
寸胴鍋に顔を突っ込んでスープの匂いを嗅ぎながらブツブツ呟く岬。
「あ、あのですね、ミス・ミサキ。我々の任務は五島列島沖で巨大ワームの襲来を探知することですよ?こんな所でラーメン・スープの研究に励む場合ではないのでは?」
やっと突っ込みに成功するソールズベリー。
傍らでマルス・アカデミー・アンドロイドのクリスがよよとメイド服のポケットからハンカチを取り出して涙を拭う仕草をする。
『……マスターガ、ヤットトシゴロノジョセイニモノモウシタ』
「クリス君。私は何時から奥手キャラになったのかね?」
思わずクリスに言い返すソールズベリーだが、頬がやや赤いのは五島列島沖の日差しのせいではないのかも知れない。
「……そんな小芝居はいいですから。広大な海域の何処かから侵入した巨大ワームを探すのは骨が折れるのです。巨大ワームの嗅覚を美味しい食べものの匂いで刺激して此方へおびき寄せればいいのです!」
ソールズベリーにどや顔で力説する岬。
「うーむ。一理ありますが、海のど真ん中でちょっと垂れ流しただけでヤツは来るのでしょうか?」
懐疑的なソールズベリー。
「ソールズベリー卿。この海域の特徴をご存知ですか?」
「……英国連邦極東領土である離島の近くだが」
岬の質問の意図が分からないが、首を捻ってとりあえず答えてみるソールズベリー。
「ブッブー!違いますっ!」
バツマークをソールズベリーに出す岬。なぜか傍らに控えるクリスまでもバツマークを主に向かって出す。イラッとするソールズベリー。
「ソールズベリ-卿。右舷側から海の底を良く視てください。何色に見えますか?」
「……明るい水色だな」
「そうですね。では、左舷側の海底は何色ですか?」
「……むう。暗い青色……か」
「正解です!明るい水色は、日本列島転移後に出来た火星の海、暗い青色はもともとの日本の海です」
「違いは分かるが、ワームは海底の色に反応するのか?」
「いいえ。巨大ワームには視覚がありません。口の周囲に有る無数の触覚と鼻腔で障害物や餌を感知していると思われます。
日本近海は4年たったとは言え、火星に新しく出来た海はまだまだ動植物が定着していませんからプランクトンが希少な薄い水と言えるでしょう。一方、日本の海は豊かな生態系に育まれて豊富な動植物プランクトン、陸地から流れ出る栄養素で巨大ワームからすればご馳走の山と感じる筈でしょうね」
岬の説明に納得するソールズベリー。
「ふむ、なるほど。だからわざわざ栄養素の薄い海域で鶏がらスープ――――――豊富な栄養素たるご馳走を垂れ流して領海に侵入した巨大ワームをこちらへ誘導するわけだな」
頷くソールズベリー。
「ブラボー!大正解!なるべく陸地から遠く離れた場所で迎撃するには、これが一番分かり易いかと思いまして」
暑い太陽を背景ににっこりとソールズベリーに微笑む岬。
「……なかなかエクセレントなアイディアだ。脱帽だよ」
三つ編み白衣のオリエントな美人に微笑まれて言葉少なに答えるソールズベリー。
外交と商売を得意としてきた彼だが、時々才女か変態か分からない行動を起こす魅力的な女性に対する免疫は持ち合わせていなかった。
海が少し荒れてきたのか、甲板が揺れ始めてきた。
「……ところでミス・ミサキ」
「なんでしょうか?」
揺れ始めた甲板からそそくさとお茶会セットを片付け始めるクリスを横目に見ながら岬に問いかけるソールズベリー。
「あちらからうねうねと見え隠れしながら此方へ近づいて来る黒いヤツが8体は居ると思うのだが、どうする?」
「逃げるに一択です!!」
ソールズベリーに答えながら、慌てて甲板下に逃げ込む岬と後を追うソールズベリー。
「クリス!急速上昇だ!」
ゆっくりと海面から上昇し始めた大黒屋丸目がけて、海中から踊り上がる様に身をくねらせて襲い掛かる巨大ワームの群れだった。




