鈍色の巨体
2027年(令和9年)3月27日午前7時40分【千葉県銚子市沖 15Kmの海上】
早朝からチャーターした漁船に乗り込んでいた観光客の一団が思わぬ光景に歓喜の声を上げていた。
双眼鏡を必要としない程、至近距離の海面を飛び跳ねる様にコンドウイルカの群れが漁船の鼻先を掠める様に東から西へ泳ぎ去っていく。
漁船から100m程離れた所では、ニタリクジラが潮を盛大に噴き上げながらイルカの群れの後に続いて西へ向かって泳いでいる。
「すごいすごい!イルカがいっぱい!」「お母さん!あっちにはクジラがいるよ!」
寒さと波しぶきから身を守る為にもこもこしたダウンジャケット着込んでいる母子がイルカの群れやクジラを指差して歓声をあげる。
「漁師さん。此処では毎日素敵な光景が見れるのですね」
目を輝かせた母親が後ろを振り向いて、操舵室から身を乗り出している老いた漁師に話しかける。
「……いんや。こんの季節のこの時間帯にあんだけの大群なんて、滅多に見れるもんじゃないですよ」
運転席から身を乗り出してイルカの群れを見定めながら、舵輪を操る老漁師が母子に訛りの混じった声で答える。
老漁師は長年の経験からこの状況が異常であると直観しており、無邪気に歓声を上げる心境とは程遠かった。
「へえぇ、そうなんですか。じゃあ、さっきの飛行機が低空飛行で何か煙を出す物を落としたのが原因ですかね?」
漁師の答えに首を傾げる母親。
手をつないでいる娘は、引き続きイルカの群れを指差してはしゃいでいる。
「おおっ!?お母さん!別のおっきいクジラが来たよ!」
テンションMAXな娘がニタリクジラの更に東側を指差す。
娘の差す方向に、ニタリクジラの後ろを追うように、鈍色をした鱗に覆われた背中を見え隠れさせる巨大な背中があった。
「漁師さん!あれは何クジラ?」
新たな海の生き物との出会いに目を輝かせた母親が老漁師に声をかける。
「……んん?」
クジラを追う事に飽きたのか、鈍色の生物が方向を変えて漁船へ近づいて来る、鈍色の巨体に目を凝らす老漁師。
イルカの群れやクジラが怯えて逃げ出す程の巨大生物に老漁師は心当たりがなかった。
「うわあ!クジラがどんどん近づいてくるよ?」「絶好のチャンスよ!」
喜びの声を上げながら携帯電話のカメラを鈍色の生物に向ける母子。
「ああっ!?」
老漁師が声を上げた次の瞬間、漁船の斜め前の海中から勢いよく飛び出した直径5mの口を開けた巨大ワームが母子と老漁師に上から覆い被さる様にべちゃっと船上に吸いつくと、そのまま漁船もろとも海中深く潜り込んでいくのだった。
♰ ♰ ♰
――――――同日午前7時10分【東京都新宿区 市ヶ谷 防衛省総合指令センター】
「銚子沖の哨戒機は燃料切れで館山へ向かいました。厚木と木更津から後続の哨戒機が急行中」
「USOの動向は?」
情報将校が通信オペレーターに訊く。
「……データリンクシステムがオフとなっています。横須賀自衛艦隊司令部の判断で外部機関へデータ流出中」
信じられないといった顔で答える通信オペレーター。
「バカな!」
唖然とする情報将校。
「統合幕僚長はどちらへ行かれた?」
軍事機密漏えいは一大事であり、情報将校は直ちに制服組幹部に報告する必要があった。
「首相官邸へ行かれました。防衛大臣と共に、後白河副総理に状況の説明をするとの事です」
当直司令席にいた政務隊員が答える。
「副幕僚長は?」
「副幕僚長も、代々木の立憲地球党本部へ状況説明に行かれています」
「馬鹿な!?何故オンライン回線でやらんのだ!?出向く必要などないだろう?」
「それが、閣僚や党幹部の皆さんから直接対面で報告が欲しいと……」
「今さら悔やんでも仕方ない。誰が統合指揮を執っている?」
「当直の政務隊員将校—――—――つまり私です」
「正気か?そこは統合副幕僚長たる航空幕僚長か海上幕僚長の筈だ!」
「……シビリアン・コントロール(文民統制)を徹底させたいとの代々木党本部の意向だそうです」
「徹底させねばならんのは、USO対応に決まっているだろう!」
呆れて物が言えない作戦将校だった。
「海保から緊急。直接スピーカーへ繋ぎます!」
『こちら海上保安庁第三管区。千葉県銚子沖で観光客を乗せた漁船が巨大な生物に衝突して沈没した。捜索に協力されたし』
「……こちらは現在、USOの対応で忙しい。救難機の手配は後にしてくれ」
巨大生物との言葉に一瞬USOとの関連を考えたが、海上保安庁の協力要請をすげなく断る作戦将校。
作戦将校としては、USOの素性確認と侵攻阻止が最優先であり、舟遊びに興じる者を助ける余裕はない。巡視船で十分対応出来る状況だと作戦将校は判断したのである。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m




