外交儀礼
2026年(令和8年)12月17日【地球衛星月 月面都市『ユニオンシティ』行政庁舎 代表執務室】
2年前、宇宙国家『アース・ガルディア』のアメリカ人派閥を束ねるソーンダイク代議員が日本国特別全権大使だった東山龍太郎とヨーロッパ救出作戦時に交渉した結果、マルス・アカデミー第3惑星観測ラボ=”月”は、美衣子と結、日本国の支援を受けて人類が居住可能空間を改修建設され、透明なカーボン樹脂の断熱パネルで覆われた人口10万人を擁するドーム型月面都市『ユニオンシティ』が誕生した。
その月面都市『ユニオンシティ』行政機構を束ねる長の執務室は、柔らかく湿った腐葉土の表面にウッドチップが敷き詰められており、湿り気のある少しひんやりとした清々しい朝の空気の如く空調管理が絶妙になされている。
その執務室の長である高さ3メートル程の樹木に向かって、一人の若手日本人官僚が深々と頭を下げていた。
これは自然信仰ではない。外交儀礼上――――――いや人として当然の行為だった。謝罪なのだから。
「ソーンダイク代表。宇宙ターミナルの首脳会談における我が国総理の無礼な振る舞い、誠に申し訳ございませんでした!
……なにぶん野党時代が長かった総理の活動範囲は日本国内限定でして……今回初めて正式な外交デビューだったのです」
恐縮しきりの東山龍太郎 駐在ユニオンシティ地球方面日本国全権大使兼ミツル商事地球方面支社長が枝を震わせて怒りを露にする”樹木化人類”ソーンダイク代表に詫びる。
『ヴォーボボボ……ヴォーブブズ(渋澤や岩崎とは大違いだ。とても同じ日本の政治家とは思えませんね)』
幹の中程から少し上にある洞のような口から出される、呻き声のようなソーンダイク代表の音声は、枝にぶら下げて携帯している声紋振動探知型翻訳機で言語変換されて翻訳機モニター画面に文字が表示される。
火星から3か月に及ぶ長期間航行を終えてユニオンシティに到着した我妻日本国内閣総理大臣一行は、宇宙ターミナルで出迎えたソーンダイク代表以下樹木化人類が大半を占めるユニオンシティ住民の心を込めた歓迎には関心も興味も示さなかった。
初めてとなる首脳会談でも、コピー用紙に書かれた挨拶原稿をソーンダイク代表の背後に控えていたユニオンシティ義勇軍当直司令(普通の人類)へ向けて読み上げると、お茶会もそこそこに会談を打ち切って東山の手配した宿舎にさっさと引き籠り、ユニオンシティ政府主催の歓迎夕食会や市民との対話集会、義勇軍司令部表敬訪問を全てキャンセルしてイスラエル連邦との首脳会談に向けた準備に1週間も熱中してしまうのだった。
「……色々な人物がいるのですよ。
かつて貴国やヨーロッパにも同じ様なパフォーマンスだけで大衆の支持を得て成り上がった政治家—――—――『政治屋』は居たでしょう?それと同じです。
それに我妻総理の反応も、初めて貴方に会った人の反応とそう変わらないでしょう?」
諭す様にソーンダイクを宥める東山。
ヒト型人類と形態の異なる人類への恐怖心故か、樹木化人類を無視する我妻総理大臣の無神経な振る舞いは、ソーンダイク代表を始めとする樹木化人類の日本国歓迎ムードを雲散霧消させ、パイプ役である東山は大いに胃を痛めている。
尚、樹木化人類同士はテレパシー(念話)でコミニュケーションを取っているが、人類との意思疎通は発声器官が未発達な為、筆談かモニター画面への視線入力と限られている。
『ブブズ!ヴォーオンオン!(その気持ちは分からなくもない。だが!あれはあんまりであろう?)』
それでも怒りの静まらないソーンダイク。
幹が震え、怒りに我を失った木の葉が数枚床に舞い落ちていく。
「……ええ。そうですね。さすがにお茶の代わりにお米の磨ぎ汁を差し出すのは、素人レベルの植物栽培法以下ですし、何より相手を人間扱いしていないマナー違反ですね」
ガックリと項垂れる東山。
「だから首脳会談前のシェルパ(官僚同士の事前打ち合わせ)は必要だったのだ!」と心の中で首相官邸と立憲地球党代々木本部へ恨み節を込めるが、今となっては後の祭りである。
『ヴォーババ、ブバズズ、ヂヂヂワーブ(あの失礼な振る舞いはユニオンシティCNNテレビを通じて世界中に広まるだろう)』
「うーん。どうでしょうね。
火星日本列島への宇宙通信回線は最近故障が多発している様です。何でも特定の話題になると画面がブラックアウトしてしまう『技術的トラブル』らしいですよ。
実に都合の良いタイミングで発生する技術的トラブルです」
肩を竦める東山。
我妻新政権はマスメディア操作に異常な関心を示し、中国や旧ソヴィエトのプロパガンダ政策を熱心に研究し、イスラエル連邦共和国の情報機関=モサドの支援も受けながら、自らに好意的な在京左派系マスコミを通じて新政権の政策を内外に発信し続けていた。
反面、報道の自由を標榜する海外メディア――――――英国連邦極東BBC放送、ユーロピア共和国チャンネル2(ドゥ)テレビ、ユニオンシティCNNテレビからの取材要請には消極的対応に終始しており、特にアドリブを必要とされる生中継への出演要請には一切応じていない。
この為、海外メディアの放送が突然中断する事態が多発する状況下では、日本国総務省電波監視班の関与がまことしやかに囁かれる様になっていた。
『……ヴーヴ―。バアアア(……そうですか。やり切れませんね)』
「ええ。まったく同意します」
諦念交じりのため息を吐く様に幹を震わせると、地球からユニオンシティ上空に到着した航空・宇宙自衛隊の強襲揚陸護衛艦『ホワイトピース』を東山と共に窓から見上げるソーンダイク代表だった。
『……ボウボウ。ズーズー、グイッ(この後、寿司屋で一杯いっとく?)』
「時々、代表のお言葉が翻訳機無しでも分かるような気がしますよ……」
ストレス発散とばかりに、枝から伸ばした蔓を東山の腕に巻き付けてズルズルと引きずりながら、火星日本列島から月面へ出店したばかりの『ずしざんまい』へフワフワと宙を浮いて向かうソーンダイク代表だった。
♰ ♰ ♰
我妻総理大臣は、ユニオンシティから地球タカマガハラへ向かうにあたり、マルス・アカデミーシャトルに搭載したJAXAの日本版スペースシャトルを使用し、月面都市ユニオンシティから極東タカマガハラまで航空・宇宙自衛隊の護衛を防衛省に命令するのだった。
12月22日、体調を整え、宇宙時差ボケを解消した我妻総理大臣一行は、見送る人のいない宇宙ターミナルをJAXAシャトルで出発した。
月面都市上空で待機していた形ばかりの護衛を務めるユニオンシティ義勇軍F45スターファイター戦闘機小隊と合流、航空・宇宙自衛隊 強襲揚陸護衛艦『ホワイトピース』と搭載されたパワードスーツのエスコートを受けながら、2日かけて地球大気圏へ向かうのだった。




