対価
2026年(令和8年)12月7日夕刻【東京都千代田区永田町 自由維新党本部 会議室】
『大停電対策本部』と油性マジックで殴り書きされた模造紙が入口に張られた会議室内は、日が落ちて暗くなりつつあるが自動的に電灯が点灯する事なく、机の所々に灯された蝋燭が参加者を頼りなく照らしていた。
「それで?経済産業省は何と?」
自由維新党総裁岩崎正宗が、影の内閣で経産大臣の役割を担う甘木に訊く。甘木は政権交代前に経産大臣を務めていた。
「AIコミュニティからの情報によると、アマノハゴロモシステムを最大出力で使用したために過剰な負荷が衛星にかかり、機能停止に陥っています。
修理部品が種子島に集まり次第コウノトリで打ち上げますが、少なくとも数ヵ月かかる見通しです」
甘木が答える。
「ええっ!?こんな状態があと数ヵ月も続くのですか!?経済はもとより、社会機能が麻痺しちゃいますよ!」
予想より遥かに厳しい見通しに驚く春日洋一青年部長。
「真世界大戦前哨戦のサイバー戦争で大都市圏の機能麻痺を経験した我が国は、必要最低限の病院、鉄道、信号機、水道への電力供給は列島各地からかき集めて応急対応出来る様に整備はしています。一時的なものですけどね」
甘木が答える。
「水素エネルギーは備蓄が底をつけば、電気なしに生成出来ないですよね?数ヵ月も対応出来るのでしょうか?」
疑問に思った春日が訊く。
「一時的応急処置はせいぜい3日です。水素や各地の自家発電に使用する石油燃料備蓄がその程度なのです。火星転移前は3か月分は有りましたが、転移直後の混乱でかなり使い切りましたから」
答える甘木。
「……では、いずれ社会が混乱するのは必至の情勢ですね」
岩崎が呟く。
「停電直前に出された自衛隊の第2種待機命令は解除されていません。むしろ、治安出動をにらんで第1種に上がる可能性が高いとの情報があります」
前防衛大臣の桑田が報告する。
「市民の不満を武力で黙らせるのですか……。やり方が如何にも中国共産党らしい。
与党政治経験の乏しい代々木が考えそうなことですね。彼らは国家権力と治安当局に抑えられてきた自らの体験に基づいているのかも知れませんが、少々乱暴が過ぎます」
呆れる岩崎。
「全くです。政治的統治の経験が浅いと、安直な方法を取りがちですからね」
溜め息をつく甘木。
「私達は政敵の失態を喜んで批難するのではなく、本当に困っている国民を救う事に専念しましょう。その為には、最低限のインフラを稼働させる電力を調達しなければなりません。MCDAから電力を供給して貰えるように交渉に入りましょう」
岩崎が提案する。
「MCDAに支払う対価はどうしますか?」
春日が訊く。
「……そうですね。政権奪還後の優遇は勿論ですが、今はまだ絵に描いた餅に等しいので、現実的ではありません。ですから、私達自由維新党本部と全国各地の党支部、拠点の売却又は担保とした借入金で電力を購入しましょう」
党財産の売却を決断する岩崎に、居合わせた幹部達が息を飲む。
「私達はもはや、絶大な権力を持っていない無力な存在です。ですが、国民への奉仕の心は現政権の誰にも負けない!その心意気で行動するしかないのです」
岩崎の言葉に深く頷く幹部達だった。
♰ ♰ ♰
2026年(令和8年)12月8日夕刻【神奈川県横浜市神奈川区沢渡 沢渡中央公園】
夕暮れ時、木枯らしが炊き出しに並ぶ人々の長い列を容赦なく吹き抜けていく。
『アマノハゴロモ』太陽光無線送電システムの機能停止により、東京・名古屋・大阪の3大都市圏への電力供給が不足し、一般家庭への電気・ガス・水道が停止して1週間が経過していた。自宅で炊飯出来ない市民に対し、自治体が1日1回夕刻に炊き出しを実施していた。
「炊き出しは1人一回のみです!マイナンバーカードや運転免許証等の身分証明書をご準備の上、列を作ってお待ちください!」
区役所の職員と応援で駆けつけた立憲地球党の支持者達が、メガホンで集まった大勢の市民に呼び掛ける。
「……あの、小麦アレルギーの息子向けに食事は無いでしょうか?」
ベビーカーに幼児を乗せた母親が職員に尋ねる。
「……此処では通常の献立しか提供していません。ご自宅で宅配サービスを利用するしかないですね」
既に同じ問い合わせを幾度も受けていたのか、疲れた表情でそれだけ言うと、黙って公園脇の道路を指し示す区役所職員。
横浜駅西口から沢渡中央公園脇の坂道を上って旧国道1号線に繋がる6車線道路は、水素燃料が不足している為か車の姿は殆ど見られないが、道路上4メートル上空を無人の配送ドローンが列を作って行き交い、交差点では地元警察署から出動した交通機動隊員がドローンの交通整理にあたっている。
電力不足で水素生成プラントが稼働停止に追い込まれた為に水素供給ステーションでの販売価格が市民に手の届かない金額まで暴騰、自家用車で買い物に行けなくなった市民は、カセットコンロで使う燃料ボンベやレトルト食品、野菜類や日用品をネットで注文してドローンで取り寄せる様になった。
国民の窮状を見兼ねた最大野党の自由維新党が強い申し入れを国土交通省に行った結果、公道を使用したドローンの大規模輸送が暫定的に認められ、ドローンは当たり前のように道路上空を行き交っている。
途方に暮れた様子で足取りも重く自宅へ帰ろうとした母親の背中へ向け、1人の壮年男性が控え目に声をかける。
「……あの、よろしければ此方で中華粥を炊き出ししています。あまり量はありませんが、小麦粉は使っていませんよ」
道路を挟んだ沢渡中央公園の反対側に位置する空き地に1台のキッチンカーが停車して、こぢんまりと中華粥の炊き出しを行っていた。
「……よろしいのですか?」
躊躇いがちに母親が訊く。
「困った時はお互い様ですから。遠慮せずにどうぞ」
静かに微笑む男性。
「ありがとうございます」
男性に頭を下げて道路の向こう側へベビーカーを押して向かう母親。
「地道な人道支援活動ですね、王代表」
優しげな目で母親を見送っていた壮年男性に、蜂蜜色がかったブロンド長髪の女性が声をかける。
「おお!これは奇遇ですね、クロエ・シモン ユーロピア共和国首相補佐官殿!」
大袈裟におどろいてみせる王。
「……そちらが指定した待ち合わせ場所に来ただけなんですけどね」
肩を竦めるクロエ。
「それでお話とは?」
王の脇に立って母親を見送る振りをしながら尋ねるクロエ。
「この度の大停電についてです。私達はいち早くマルス・アカデミーの支援を受けてダンケルク宇宙基地に臨時送電システムを設営して急場を凌いでいます」
王が説明する。
「そうですね。『ディアナ号』のムッシュ大月に同行しているマルス人のマドモアゼル美衣子は、マルス・アカデミー大使館代表ですからね。タイミング良く協力して頂けて助かりましたわ」
頷くクロエ。
「実は先程、自由維新党の岩崎総裁と春日青年部長がお忍びで中華街迄訪ねて来られて、MCDAに電力融通要請をしたのですよ」
「彼らは新政権から頼まれたのでしょうか?」
「独断で来られた様です。私の所には、水面下で立憲地球党幹部と東日本電力労働組合の連名で電力融通を要求するメールが届いていますから」
「要求!?要請ではなくて?」
王の説明に軽く驚くクロエ。
「地球市民の為に『今こそ日本列島に住まう全ての人民は自らの私財を投げ打ってでもこの難局を乗り切るべき』と、非常に高いお志をお持ちの様です。
……お志が高いせいか、自らの行状を省みる事もされていないご様子ですが」
中華街の対立派閥とは言え、同胞を大勢抹殺された王が俯く。
「……狂っている。裏人類都市を5万人の住民ごと抹殺した人道に対する罪を省みないとは……」
呆れるクロエ。
「彼らの中では『終わった事』の様です……。
新政権は、ダンケルク宇宙基地から横浜中華街と長崎佐世保に送電されている電力を半分寄越せと言っています。勿論、具体的対価など考えてもいませんでしたよ」
諦めの表情で肩を竦める王。
「大企業に敵対しかしない労働運動や反核・反米・反基地運動にのめり込んだ狭い視野しか持っていない新政権が自らの理想を掲げた所で、ダウニングタウン(長崎佐世保)やニューガリアのエネルギー省は変人扱いして取り合わないでしょうね」
呆れた表情のクロエ。
「そうですね。そして彼らを背後で操っていたイスラエル連邦は遠い地球です」
応える王。
「どう考えても新政権は『詰んだ』のでは?」
クロエが呟く。
「そうですね。……このまま昏迷を傍観していては日本国民がますます窮するだけでその矛先が此方へ向かいかねません。ギリギリのラインを見極めて支援をすべきでしょう」
王が応える。
「そこで岩崎と春日を利用する訳ね?」
「利用なんてとんでもない。彼らは今も我々の同盟者であると私は思っていますよ。
……今はまず、政治介入と疑われない程度に彼らの立場をを押し上げるべきです」
焚き出しに並ぶ人々を眺める振りをしながら、今後の対応について打ち合わせを進めるクロエと王だった。
♰ ♰ ♰
――――――【鳥取県鳥取市 出雲大社 屋根裏『AIコミュニティ』】
日本全国八百万の神々が集う神聖な社の屋根裏で、日本列島の森羅万象を司る神々とAIがこじんまりと輪になって話し込んでいた。
何時もは日本全国から集まる暇な神々と手持ち無沙汰なAIが集まってオンライン飲み会の開催となるのだが、三大都市圏での停電が継続している現在、停電の影響で回線が不通となって参加者が激減している。
「……マジでヤバいですよ。3大都市圏の停電は長引きますよ」
経産省ホームページに住まうAIが疲れきった顔で仲間に報告する。
「むん?確か2、3日で復旧すると首相官邸が声明を出していたはずじゃが?」
スマホゲーム『ポ〇モンGO』に勤しんでいた毘沙門天が、AIの報告に反応する。
「なんでも、想定外の事態で人工衛星が故障して修理が必要らしいです。各地方から電力融通を受けてもとても足りないらしいです」
AIが応える。
「げっ!という事は、軌道戦士『バンダムORIGINS』が視られないじゃん!あの有名なムール海戦の話なのにっ!」
ムキーっと憤る七福神の1人である弁財天。
「テレビ番組が視れないくらいどうって事ないじゃろう?問題は多くの人が生活に困るという事じゃよ」
寿老人が眉を顰める。
「さようでございますな。今はまだ、この停電をイベントとしてポジティブに捉えている人が沢山おりますな。ちょっとしたキャンプ気分でございますな。
……ですが、これが長期間に及ぶと昏迷から来る‘‘気持ちの疲れ‘‘がキャンプ気分を上回って、悪しき気持ちが蔓延する事になりますな」
大黒天が指摘する。
「あまりにも多くの人が昏迷に呑み込まれるようになると……アレが起きるじゃろうなぁ」
憂い顔で寿老人が呟く。
「それは不味いですわね」
眉をひそめて毘沙門天が頷く。
「……どうやら、われらの『神々』に報告しておかねばらなりませんね」
大黒天が背負う袋から黒電話を取り出すと床に置き、ダイヤルを回してとある存在に連絡を取るのだった。
「……ご無沙汰しています美衣子神。実は『転移システム』稼働の兆候が――――――」
大黒天が普段のにこやかな笑みを仮面のように張りつけたまま、ひどく真剣味を帯びた口調で美衣子に報告をするのだった。




