トリセツ
2026年(令和8年)12月7日【火星衛星軌道 第1衛星『フォボス』英国連邦極東・ユーロピア共和国 ダンケルク宇宙基地 格納庫内「臨時発電所」】
「現在電力正常。無線送電システム異常なし」
「ソーラーパネル展開80パーセント!」
歪な岩塊の片面に羽根が生えたかのように、幾つものソーラーパネルが八方に展開され、太陽光を受けて輝いている。
「充電率は?」
プレハブ造りの臨時発電所の制御室で、組み立て図面や取り扱い説明書とにらめっこしていたアッテンボロー博士がオペレーターに確認する。
「85パーセント!」「バッテリー温度は正常値を維持」
ダンケルク宇宙基地の隊員でもある臨時作業員が報告する。
「では、そろそろ送電シークエンスに移行。……手書きで「120%まで溜めること」と書いてあるが、無視だ!」
ため息を発しつつ指示するアッテンボロー。
120%も溜めたら送電では無く、ビーム兵器の発射と同じである。
「無線送電指向先『ニューガリア』『ナガサキ』『ヨコハマ』へアンテナを向けます」
「充電率90パーセントに到達次第、送電だ」
やがて、歪な岩塊の一角から細い緑色をした光線=高周波数帯に収束された強力な電磁波が立て続けに三つ、火星地上へ向けて発射された。
「送電成功。アンテナ、バッテリー正常」「ソーラーパネルが自動充電再開しました。充電率15パーセントからカウント自動再開されました」
太陽光発電・無線送電システムは正常に稼働しており、直ぐに次の送電へ向けて休みなく充電を続けており、臨時作業員が忙しなく計器類から目が離せない。
「……ぶっつけ本番だが上手くいきましたね」
臨時作業員を見ながら、一人のんびりとカフェオレ片手に制御卓の椅子に身を預ける『宇宙発電所長』のアッテンボロー博士だった。
「失礼します、博士。首都ニューガリアのジャンヌ首相から電文です」
通信用紙を手にした司令部付きの隊員が、プレハブ制御室の入り口からアッテンボロー博士に声を掛ける。
「ご苦労様。その辺にでも置いてくれ。私は今とても忙しいのだ……」
「……はあ。では、此方に置かせていただきますね。失礼しました!」
のんびりとカフェオレ片手に、椅子に寄りかかって天井を眺めるアッテンボローをジト目で見る隊員が図面や説明書が散乱する制御卓の端に通信用紙を置くと、敬礼して退出していく。
「……君達。後は私が引き継ぐから、しばらく食堂で休憩したまえ」
「「ありがとうございます!」」
臨時作業員の背中にアッテンボローが声を掛けると、発電所備品が到着してから不眠不休で働いていた隊員は素直に応じ、制御室を出て食堂で仮眠すべく移動していく。
「さて。どんな指令が待っている事やら……」
制御室内が一人になった事を確認したアッテンボロー博士は、通信用紙を手に取って目を通す。
「……どうやって木星まで行けばいいのだろうか?」
ユーロピア共和国”木星駐在全権大使”に任命されたアッテンボロー博士は、深いため息をついて制御卓に突っ伏すのだった。
『アマノハゴロモ』システムの過剰使用により、火星日本列島を大停電が襲った翌日には、ソールズベリー商会がデブリ掃討の傍ら、払い下げられた戦闘艦『バルフォア』を使ってミツル商事とマルス・アカデミーが開発した無線送電システムの予備パーツをマルス・アカデミーの協力でシドニア地区から取り寄せて展開、僅か3日で稼働に成功していた。
送電システムはアルテミュア大陸西海岸、英国連邦極東の在る長崎県佐世保市、台湾自治区の在る神奈川県横浜市に電力を供給している。
故に、MCDA(火星通商防衛協定)加盟国は停電に悩まされる事なく社会機能が維持されていた。
☨ ☨ ☨
――――――【日本列島上空の火星衛星軌道 多目的船『ディアナ号』】
遥か眼下には夜になっても人口密集地のネオンに包まれた日本列島がその輪郭をドラゴンの様に露わにしている筈なのだが、現在は幾つかの光点が点々と灯るだけでひっそりと日本列島は夜の帳に包まれていた。
「……思ったよりも停電の影響が大きいのですね」
操舵室から眼下の日本列島を見て満が呟く。
「気象条件の影響を受けやすい地上の太陽光発電に代わって、無線送電システムが確立されてからは、大都市の需要は殆ど衛星軌道からの太陽光発電に切り替わりましたからね」
岬が応える。
「転移直後から少し前までは、食料生産すべき土地にソーラーパネルを設置するのは『非国民』とさえ言われていましたからねぇ……」
ひかりが呟く。
「日本列島の食料自給率は未だに100%を達成していないわ。当然の流れよ」
美衣子がフンと無意味に胸を張る。
「それでも転移直後の60%台から80%に上昇したのは画期的なのですけれどねぇ……」
ため息をつくひかり。
「お父さん、無駄口はそこまでよ。ソールズベリー商会の船ともうすぐランデブーよ」
結が満に告げる。
「お、おう……そうだった。ありがとう結。ひかりさん、こちらも速度を落としてソールズベリー商会『大黒屋丸』とドッキングします」
「ラジャ―ですぅ」
ごめんと結の頭を撫でながら、ひかりに指示する満。
「……今度は宇宙空間で臨時発電所の設営か」
ソーラーパネルと機材を千石俵に満載した『大黒屋丸』が接近するのを見ながら呟く満。
「やることが沢山あった方が、イヤな事に煩わされず気晴らしにはいいでしょう?
これから設営する発電所が稼働すれば、少しは困っている人達を救えるかもしれませんよぉ?しっかりしてくださいね?旦那様?」
振り向いて満を宥めるひかりだった。
「……そうだった。そうだね。先ずは体を動かそう」
自分に言い聞かせる様に呟きながら、ダンケルク宇宙基地で別れたアッテンボロー博士から送信されてきた『宇宙発電所設営取扱説明書』を読む満だった。




