コマリゴト
2026年(令和8年)11月29日午後5時【アルテミュア大陸中央部 裏人類都市『ウラニクス』郊外の湖】
「ということは、あと72時間でこの現象は終息に向かうと?」
満が訊く。
『ええ。木星の衛星『イオ』周辺に展開しているマルス・アカデミー作業船団の作業開始が72時間後です。彼らの手法と規模は此方の想像を遥かに凌駕しますが、これで木星から大量のイオン粒子が近隣惑星に降り注ぐ異常事態は終わる事になります』
探査船『おとひめ』に乗っている天草治郎が、満の問いに答える。
「……そうなると火星に来ている木星のお客人は、その時までにワームホールを通って木星へ戻らないといけないですねぇ」
ひかりが頬に手を当てて、目の前の空中に浮かぶ水素クジラや水素クラゲを見て思案げに呟く。
『岬博士の送って頂いたデータを見る限り、木星環境が再現されているから彼らは生存出来ているのは確かです。生物自らが惑星磁場を反転させて浮遊させる技は、人類には未だ理解の及ばない事ですが。
ともあれ、ワームホールが閉ざされたら最適な生存環境は消え去るので、72時間以内に木星へ戻ることを原住生物の皆さんに伝える事をオススメするよ』
「全く。私も同感です」
天草の説明に頷く満。
「……だって、このままだと此方の食糧確保に深刻な影響が生じてしまいそうですから」
満がタブレット端末に備え付けられたカメラを目の前の水素クジラ達へ向ける。
『……ムグムグ』『ガツガツ……』
水素クジラや水素クラゲ、水素カニは、ひかりや琴乃羽が大量に作り上げた中華料理のコースを夢中で堪能していた。
「美鶴!麻婆豆腐出来たから、そこのバケツで空中にぶちまけなさいな!後はクジラさん達で勝手に食べてくれるから」
芋煮会で使う大鍋一杯に満たされた麻婆豆腐を、お玉で指し示したひかりが美鶴に指示する。
「ラ、ラジャ……ひぃぃ」
額に大粒の汗を浮かべたエプロン姿の琴乃羽美鶴が、あたふたと大鍋から清潔に保ったバケツへ麻婆豆腐を移し換えると、空中へエイヤッとぶちまける。
意外に怪力な腕力を持つ琴乃羽によって遠心力を効かせ空中へぶちまけられた麻婆豆腐は、水素クジラの反転磁場で地面へ落下することなく、水素クジラやクラゲの方へと豆板醤の辛く香ばしい匂いと共に漂っていく。
空中に拡がった麻婆豆腐に向け、水素クラゲの触手や水素カニのハサミ、水素クジラがヒゲを盛んに使って口へ運んで食す。
ひかりと琴乃羽は、今も湖から現れ続ける後続の木星知的原住生物の旺盛な食欲に応えるべく奮闘し続けているのだが、いかんせん巨大生物の胃袋を満たすには程遠いのは明らかだった。
「……これは。早々にディアナ号の冷蔵庫が空っぽになるなぁ。それとも美衣子と結にお願いして食材を巨大化させるか……いやいや、お客様に食の安全は必要だしなぁ……お腹が膨れる錠剤?」
今夜の夕食は缶詰かレトルト食品が有ればいい方で、むしろウラニクス市から善意で送られていた放射能汚染された農産物を放射能分解処理して成分だけ抽出した錠剤を服用する可能性に思い至った満が遠い目をして呟く。
「……お父さん。アッテンボローから緊急通信。『北部クナイカ山地で巨大ワニ発見』よ」
満の袖をくいっと引いた結が告げる。
「ええっ!?アッテンボロー博士は大丈夫!?」
驚く満。
「取りあえずは無事。一時通信が途絶えたけれど、巨大ワニを撃退したみたい」
不思議そうに首を傾げる結。
「そうか。よかったぁ」
ほっと胸を撫で下ろす満。
「……アッテンボローのピンチを救ったのは、クナイカ山地に出現した巨大煙突に住み付く木星チューブワームとその仲間達らしいけど」
安堵したばかりの満に新たな状況発生を伝える結。
「ええっ!そっちにも木星原住生物が現れたの!?」
「木星原住生物が現れたのは此処とクナイカ山地みたい。……ちなみにアッテンボローは原住生物達にポ〇モンGOのレア・モンスター扱いされたそうよ」
タブレット端末を操作してあらためて状況を確認した結が応える。
「そっちもポ〇モンGO!?」
「……ちなみに撃退した巨大ワニは南に逃走したみたい」
「……ポ〇モンGOよりそっちの方が大事だよね?」
思わず突っ込む満。
「うーん。やる事が多過ぎる……けど。んん?何の音?」
思わず頭を抱える満の耳に、ジェットエンジンの轟音が聴こえて来る。
暫くしてウラニクス市を囲む外輪山を超えて現れたのは、ハコフグの様なミル25メガ・ガンシップだった。
みるみるウラニクス市に近づいたメガ・ガンシップは、湖の畔に移動したディアナ号を見つけると隣に砂塵を巻き上げて着陸する。着陸するなり、ガンシップからウラニクス市警備隊隊長の趙が機内から飛び出して満達に駆けてくる。
「おかえりなさい趙隊長。そんなに慌ててどうされたのですか?」
息を切らせて駆けてきた趙隊長に満が声を掛ける。
「緊急事態だ!南東ラベアディス地溝帯で巨大ワニ発見した!真っ直ぐ北へ向かっている!」
ぜえぜえと息を荒げながらも、しっかりと伝える趙隊長。
「南北から巨大ワニが接近中……」「挟み撃ちですねぇ」
顔を顰めて事態を理解しようと努める満とひかり。二人の傍らに立つ美衣子は、携帯タブレット端末片手に何事かを離れた場所に居る瑠奈と話し合っている。
『ドウシタノダ?コマリゴトカ?』
満が顔を上げると、空に浮かぶ水素クジラが満の困った様子を見て声をかけていた。
「ええ。実は大変困った事になりまして……」
巨大ワニが襲撃する可能性が高い事を、満は正直に話すのだった。
♰ ♰ ♰
――――――同時刻【裏人類都市『ウラニクス』南東20Kmの荒野】
何かに取り付かれたかの様に北上し続ける巨大ワニの背中に、1機のパワードスーツがしがみついていた。
「……どうしてこうなった」
ドスドスと激しく振動する巨大ワニ背中にしがみつくパワードスーツのコックピットで舌を噛まない様に注意しながら思わず呟く瑠奈。
試し撃ちの際に遭遇した巨大ワニの咢にかみ砕かれようとした瞬間、咄嗟に背中のバーニアを噴射してジャンプすると、巨大ワニの鼻先に着地、突然の感触に悶える巨大ワニの顔面を一気に駆けあがり、背中の幾つか有る突起に身を潜ませやり過ごす事に成功した瑠奈だった。
「嘆いていてもしょうがないっス!こうなったらあたって噛み砕けろっス!巨大ワニの成分分析してみるっス!」
半ばやけくそ気味の瑠奈が、掴まっている背中に生える突起をほんの僅かに削り取ると、背中のバックパックに収納して成分検知器にかける。
「う~ん。ケイ素と金属水素の混合物っスかね?成分的には木星由来の元素が多いっスね。もしかして巨大ワニは木星由来生物っスか?」
むーんと分析結果に首を傾げる瑠奈。
首を傾げる間にも、瑠奈操るパワードスーツを乗せた巨大ワニは荒野を北上していき、やがてウラニクス市を囲む外輪山の頂上に達する。
「やっと帰ってきたっス!……って、ちょっ!?タンマ!タイム!待つっス!」
全砲門を巨大ワニに向けるディアナ号が視界に入り、焦る瑠奈だった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・大月満=ディアナ号船長。元ミツル商事社長。
・大月ひかり=ディアナ号副長。満の妻。元ミツル商事監査役。
*イラストはイラストレーター 七七七 様です。
・大月 美衣子=マルス・アカデミー・日本列島生物環境保護育成プログラム人工知能。
*イラストは絵師 里音様です。
・大月 結=マルス・アカデミー・尖山基地管理人工知能。マルス三姉妹の二女。
*イラストは絵師 里音様です。
・大月 瑠奈=マルス・アカデミー・地球観測天体「月」管理人工知能。マルス三姉妹の三女。
*イラストは絵師 里音様です。
・琴乃羽 美鶴=ディアナ号生物調査・通信担当。ソールズベリー商会所属。元ミツル商事サブカルチャー部門担当者。言語学研究博士だが、少し腐っているかも知れない。
*イラストはイラストレーター 倖 様です。
・岬 渚紗=海洋生物学博士。ソールズベリー商会所属。元ミツル商事海洋養殖・医療開発担当。
*イラストはイラストレーター倖様です。
・天草 治郎=JAXA理事長。仮想世界大戦で心的外傷を負った娘の華子の療養に付き添う為、木星探査隊に参加している。
・趙=裏人類都市『ウラニクス』警備隊長。




