痕跡
2021年に発生した日本列島火星転移で再活性化した惑星規模のマントル活動は、火星の海と大気を形成し、ドライアイスと鉄さびに塗れていた大地を一変させた。
地中深く凍結していた氷とドライアイスは水と二酸化炭素に変化し、オリンポス山を始めとする再活性化した火山から吐き出された噴煙はマントルから発生する惑星磁場に引きつけられて大気圏に留まって火星全域を覆った後、太陽と第5惑星から降り注ぐ宇宙放射線や気化したドライアイス、地上の酸化鉄と化学反応を起こし、濃厚な大気を生み出していった。
濃厚な大気は惑星の自転によって渦を巻き、赤茶けた大地を風が吹き抜けていく。
北方アスクリス高原と南部タルシス山地から流れ落ちた気流が交わるウラニウス山周辺は、数か月単位で続く砂嵐に包まれている事が多い。
ただ、その砂嵐はウラニウス山外縁を囲む形で交わっており、カルデラ盆地となった中心部はエア・ポケットとして気流の乱れの無い安全地帯を形成していた。
このウラニウス山周辺を含む火星北半球各地には、1960年代から始まる地球人類の痕跡が残されているのだが、その事に思い至る者は現時点に於いて極僅かに過ぎない。
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【アルテミュア大陸中央部 ウラニウス山麓】
数か月振りに外輪山の向こう側で吹き荒れていた砂嵐が止み、澄みきった薄赤い青空の下、火星各地から来た行商人と夕食を買い求める住民で街の中央通りはごった返していた。
中国語と英語、日本語、ロシア語の混じりあった看板を掲げたホテルや雑貨店、飲食店の入った雑居ビルが立ち並ぶ異国情緒に溢れた中央通り沿いにズラリと並んだ屋台から、点心や焼売、串焼きに煮込み料理、鶏の揚げ物の香りが空高く立ち昇り、客を引こうと屋台の店主が声を張り上げる。
中央通りに面したオープンカフェで、屋台や道行く人を満足げに眺めながら優雅に烏龍茶を愉しんでいた劉市長の元へ、側近が足早に近づくと耳元で囁く様に報告する。
「劉市長。警備隊から報告です。外輪山西側から正体不明の飛行船が接近中です。如何されますか?」
側近の報告に、左眉をピクリと吊り上げる劉市長。
「……砂嵐が去って外の視界が開けたばかりだというのに、タイミングが早すぎる。
その飛行船は長崎新地か神戸南京町の同志か?それとも横浜本家か?」
「こちらの符丁に応答が有りません。外部からかと」
「次の商隊は3か月後だ。臨時便だったとしても……こちらの符丁に返事をする筈。警備隊との連絡は?」
「……こちらをお使い下さい」
劉が側近に目配せをすると、側近は背中に背負っていた背嚢から無線電話機を取り出して劉に差し出す。
「趙隊長、私だ。飛行船の所属は確認出来るか?……不明か。……何っ!?空に浮かぶ三本マストの帆船だと!?
……趙隊長。君の手腕にはかねてから高い価値を認めていたのだが、日の高いうちから海賊映画とリアルを混同するとは、流石に紹興酒が抜けきっていない様だな!」
突拍子もない報告に血圧が上がり、苦言を口にする劉。
「……とにかく、停船指示を出せ!相手に害が無さそうならば、市街地外縁部のターミナルまで誘導しろ」
「……君は警備隊に合流しろ。追って指示を出す」
ひと息ついて気持ちを落ち着かせた後、一連の指示を与えて通信を終えた劉は、無線電話機を側近に返す。
足早に店を出て行く側近を見送った劉は、烏龍茶を口に含むとしばし黙考する。
「……王の差し向けた追っ手だとしても、飛行船を使うとはやり方が大胆すぎる。……此処は私が出向いて確かめるしか無さそうだ」
烏龍茶の入った杯をテーブルに置いて立ち上がった劉は、店先で待機していたバイクタクシーの座席に収まると、運転手にターミナルへ向かうよう命令するのだった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・劉=未確認都市の市長。




