MCDA(火星通商・防衛協定)
2026年(令和8年)11月22日午後3時30分【神奈川県横浜市 中区山下町 横浜中華街『台湾自治区』総合庁舎】
「貴国、台湾自治区、英国連邦極東、マルス・アカデミーの四者で通商協定を結びましょう」
「うええっ!?いきなり過ぎませんか?
本国のジャンヌ首相と一度打ち合わせをしてからにしないと」
にこやかに右手を差し出した台湾自治区代表 王とは対照的に、突然の申し出に動揺して素を曝け出してしまうクロエ・シモン首相補佐官。
動揺するクロエを見た王は、肩を竦めると執務机の上に置いていたリモコンを操作して壁面モニターの電源を入れると、再びクロエの前に座ると語り掛ける。
「クロエさん。驚いているのは貴女だけではありませんよ。落ち着いてください」
王の言葉で顔を上げたクロエに、王は視線を応接セット脇の壁へ向ける。
王の視線につられて壁面のモニターへ目を向けたクロエは、モニターに妹のジャンヌ・シモン首相が映っているのを視る。
「……あなた、どうして。ジャンヌ首相閣下、ご存知だったのですか?」
思わず飛び出した素の言葉遣いに気付いたクロエが言い直す。
『……どうやら姉さんも同じようね。私もさっきケビンから聞かされた所だから』
そう言って苦笑するジャンヌ首相。
ジャンヌの苦笑を見た王が更にリモコンを操作すると、モニター画面が二分割されて英国連邦極東のケビン首相が映る。
『唐突だったかもしれんが、貴国にとって喉から手が出る程おいしい話だと思ってね。もちろん、我が国にとってもいい話だ。遠慮せずに感謝してくれても構わんよ』
ニヤリと微笑むケビン首相。
『ふんっ!』
そっぽを向いたジャンヌの耳は僅かに赤かった。クロエから見た彼女の仕草は、照れ隠しであることは明らかだった。おかげでクロエも落ち着きを取り戻す。
「それでは、そろそろ始めましょうかね?」
王代表が執務机に戻ると、画面に映るジャンヌ首相、ケビン首相に呼び掛けると、両首脳が頷く。
「本当はこの場にもう一方、参加して頂きたい方が居るのですが、今はアルテミュア大陸中央部で巨大ワニ探索中の為、通信が繋がりにくい状況です。ただ、事前にジャンヌ首相閣下とクロエ首相補佐官殿宛にメッセージを預かっているので、先にそちらを聴いていただきましょう」
そう言うと、画面に緊張した様子の満が映し出される。
『ジャンヌ首相、クロエ首相補佐官殿。いきなりのお話を持ち掛けてすいません。ですが、今日は話だけでも聴いていただけないでしょうか?
決してユーロピア共和国にとって悪い話では無いと思うのです』
額に脂汗を滲ませながら真摯な顔で語り掛ける満が、ユーロピア共和国、英国連邦極東、台湾自治区、マルス・アカデミーによる通商・防衛協定について説明していく。
満が説明する通商・防衛協定は、アルテミュア大陸西海岸を開拓したユーロピア共和国で産出された生産物を、空母や戦略原子力潜水艦を持つ英国連邦極東が機動戦力で都市や輸送船団ごと護衛し、日本国内外に流通網を持つ台湾自治区が日本列島内外に流通させ、マルス・アカデミーが設備や技術力を活用して三者の行動を支援する内容である。
『つまるところ、この協定は日本国に頼らない共同体を目指す事が目標になるでしょう。……個人的には、その中に日本国やイスラエル連邦が加わって欲しいのですが、地球連合防衛条約が破棄された今となっては望み薄です。
日本国やイスラエル連邦が、事態の深刻さに気付いてこちらへ目を向けるまでは、この四者で目下の最優先課題である火星巨大ワニからユーロピア共和国を防衛する事に専念すべきだと思います』
そう締めくくると、満が頭を下げてメッセージが終わった。
画面が暗転して暫くは「お父さん。やる時はやるのね。新しい発見」と感心する美衣子や、「大仕事お疲れさまでした、あなた」労うひかり、「堅苦しいっス!気楽に仲良くやろうぜ!と話せばいいんっス!あだっ!?痛いっス!結姉さま!」「瑠奈をもう一度、砂嵐の中へ投入しようかしら?」と騒ぐ瑠奈、結の声が残っており、真剣に聴いていた各国首脳が思わずブフッと笑えを堪えられずに噴き出していた。
画面が再びジャンヌ、ケビン、王の三者に戻ると、烏龍茶で喉を湿らせた王が満の提案について背景を話し出す。
「この通商・防衛協定は、政権交代でマルス・アカデミーに友好的でなくなった日本国を見た大月満さんが、美衣子さん達三姉妹の行く末を案じ『マルス・アカデミーと人類が友好的に過ごせる場所はないか?』と角紅の仁志野さんや、元官房長官の岩崎さんに相談したのが始まりの様ですね」
「そこから、大月さんと岩崎さんが各国のニーズを分析し、仁志野さんが具体的な仕組み作りと"根回し"で皆さんの所へお声を掛けたのです。
私も、そろそろ日本列島外へ本格的に商売を拡げようと思っていたのですよ。地球での商売はまだまだ先になりそうですからね」
そう言うと、椅子の背もたれに身体を預ける王代表。
『この話は我が国にとってリスクが無いに等しい。実に有益すぎる話で裏があるんじゃないかと疑いたくなる位だ』
笑顔を噛み殺そうと、火の付いていない葉巻を咥えるケビン英国連邦極東首相。
『これで当面の防衛体制は安心出来るわね。ひと息つければいいのだけれど』
少しだけ安堵の表情を見せるジャンヌ首相。
「では合意文章はオンライン認証で交わしましょうか。マルス・アカデミーの通信を使用すれば盗聴の心配が無い様です」
王がジャンヌとケビンに呼び掛けると頷きが帰ってくる。
「……あの!いいでしょうか?」
三者会談の様子を見守っていたクロエが声を上げる。
「何でしょうか?」
王がクロエに目を向ける。
「三者の利益は分かりましたが、マルス・アカデミーの利益とは一体何でしょうか?マルス・アカデミー側から見ると、施設提供や技術供与だけで何も得られていないと思うのですが?」
王や、まだ回線を閉じていないジャンヌ、ケビンにも視線を向けて尋ねるクロエ。
『ふむ。……そうだな。
マルス・アカデミー側から見ると、人類の活動範囲の中で居場所が確保出来る事……だろうな』
葉巻を咥えたまま、腕組みをしながら宙空をみて呟くケビン首相。
『美衣子さん達マルス・アカデミー三姉妹は、地球で困窮していた我が国国民を保護して火星まで導いてくれた恩人だ。
彼女達は地球におられる女王陛下からサーの称号も得ているし、勿論我が国の名誉国民でもある。 政権交代ごときで掌を返す薄情な日本国とは違って、我が国は何時でも三姉妹と大月夫妻を受け入れる事が出来る』
ケビンが答える。
『私もその答えに同意するわ。居場所の確保がメリットね。
此方は……ケビンと差を付けたいから、西海岸の海産物を好きなだけ提供しようかしら』
ケビンに同調しながらも、ちょっとだけ対抗心を見せてニッと小さく微笑むジャンヌ。
「……そうなんですか?」
二人の回答を聴いて王の顔を伺うクロエ。
「ウチはですねぇ……。
以前、大月家の皆さんが外人墓地にいらした際、此処にお招きして広東料理のフルコースをご馳走したんですよ。
そうしたら、喜んだ美衣子さん達三姉妹が『好きな時に食べ放題にしてくれたら何でも言うことを聞く』とおっしゃったんですよ……ほほほ」
朗らかに答える王だった。
「……そうですか。既にマルス・アカデミーの胃袋を掴んでいたのですね」
したたかな王に納得するクロエだった。
こうしてユーロピア共和国、英国連邦極東、台湾自治区、マルス・アカデミーの四者によるMCDA(マクダ:Ⅿartian Commerce Defence Agreement=火星通商・防衛協定)が誕生した。
MCDAが締結されたその日夜、日本列島マスコミでこのニュースを伝えたのは極東BBC放送とユーロピア・チャンネル2(ドゥ)の2局だけであり、日本国内はNHKBSが海外ニュースのダイジェストでさらりと報じただけだった。
台湾自治区総合庁舎の在る横浜中華街、領事館を置く神戸南京町、長崎新地中華街だけはMCDA締結を祝した"四色まん"が観光客に振る舞われてお祭りムードに包まれたが、その他の日本各地はいつもと変わらない夜が過ぎていくのであった。
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――――――同日夜【東京都千代田区永田町 首相官邸】
地球へ出発した我妻首相の留守番役として火星日本列島に留まる外務大臣兼副総理の後白河 政徳が、執務室に備え付けの壁面液晶テレビでMCDA締結を伝える極東BBC放送を外務次官と共に視ていた。
「彼らが率先して火星生物と戦ってくれるのだ。我々の税金を使わずにな。いい時間稼ぎになるだろう」
素っ気無く呟く後白河。
「我が国は先日ユーロピア共和国と火星生物研究に共同で取り組むと公表したばかりです。拙速な戦力投入を避ける為とは言え、MCDAに我が国が関わっていないのは如何なものかと……」
言葉尻を濁しつつ、懸念する外務次官。
「君、我が国の人口は1億2000万人だ。つまり我が国は生き残った人類で最大勢力なのだ。
あの三か国との人口比で言えば114対1だぞ?圧倒的ではないか、我が国は」
そう言うと後白河は、大月満の身柄引き渡し要求を拒否した場合にユーロピア共和国と英国連邦極東へ課す、懲罰的関税引き上げの打ち合わせを再開するのだった。
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――――――同時刻【東京都千代田区永田町 自由維新党党本部】
対馬から一時的に帰京した自由維新党党首の岩崎が、党総裁室で春日洋一参議院議員と共にMCDA締結を報じる極東BBC放送を視ていた。
政権交代を機に引退した叔父の後を継ぐ決意をした春日は、ミツル商事を退職して補欠選挙に出馬した。野党として逆風に晒された選挙活動に苦戦しつつも当選を果たし、報告しようと上京した所にMCDA締結の報道がに出くわしたのだった。
「これ程までに日本マスコミがMCDAを無視するとは……」
ミツル商事時代に英国連邦極東、ユーロピア共和国との商談や海洋開発でアルテミュア大陸西海岸にも出張した経験を持つ春日は、日本国内マスコミの無関心さに驚きを隠せない。
「我妻政権は、国民の目を地球で行われるイスラエル連邦との首脳会談に向けさせる事に執着している。この対応が後々自分達にどの様に跳ね返ってくるか想像出来ないのでしょうか。
留守番役の後白河君は、基本に忠実で決め事を守る姿勢は党内随一でした。平時ならば総裁・総理大臣にまで成りえたでしょう。
ですが、大幅な政策転換、融通が不得手な彼では、火星生物の襲撃という突発事態には後手の対処を繰り返すと予想されますね」
ため息をつく岩崎。
「では、私達は"影の内閣"として、MCDA締結四者と友好的に連絡を取り合いましょう。
我妻総理は地球へ向かっていて帰国は半年後……。
自由維新党出身として、様々な派閥がある事を知る後白河副総理なら、此方から適度に情報提供すれば大目に見てくれるのではないでしょうか?」
春日が岩崎に提案する。
「大目に見てくれるかは向こうのさじ加減次第で変わりますから、過度な期待はしないでいきましょう。春日さんは影の内閣では外務大臣ですかね?」
「勿体ないです!外務大臣には党員ではありませんが、月面都市に居る東山さんが適任だと思いますよ。私は……さしずめ経済産業副大臣でしょうかね?」
岩崎と春日は表舞台に出れない野党の悲哀を実感しながら、出来る事を話し合うのだった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・ジャンヌ・シモン=ユーロピア共和国首相。戦闘機も操る。
*イラストは、イラストレーター七七七様です。
・クロエ・シモン=ユーロピア共和国首相補佐官。妹のジャンヌ・シモンはユーロピア共和国首相。
*イラストは、イラストレーター七七七様です。
・ケビン=英国連邦極東首相。
・王=台湾自治区代表。
・岩崎 正宗=自由維新党党首。元内閣官房長官。
・春日 洋一=自由維新党参議院議員。元ミツル商事社員。
*イラストはイラストレーター 倖 様です。
・後白河 政徳=日本国外務大臣兼副総理。元自由維新党党員。澁澤総理大臣暗殺未遂事件の後、離党して立憲地球党を離党した我妻と共に新党を結成、政権交代を成し遂げた。




