対策
2026年(令和8年)11月20日【火星北半球 アルテミュア大陸西海岸 『人類都市ニューガリア』】
夜が明け、赤みを帯びた太陽に照らし出されるニューガリア中心部、第二エッフェル塔・新凱旋門から郊外へ放射状に伸びる街路の一つ、新シャンゼリゼ通り上には依然として、東の方角へ砲口を向けた砲兵車輌がずらりと並んでいる。
その車列の脇には、黒焦げになった何かを積み重ねた上にブルーシートが掛けられている。
他の管轄行政区から応援で駆け付けた警官や消防士達の中の幾人かは、何かが焦げた匂いと独特な臭いの源に関心を持ってシートを捲り上げ、隠されたモノを視るなり堪え切れずに嘔吐するのだった。
火星生物接近警報が解除されて6時間が経過しても尚、砲兵隊が配置されたこの通りだけは全面封鎖されており、規制線の内側では野戦憲兵と警察・消防合同チームが負傷者の救出と遺体回収を行っている。
『―――ガラスの破片を浴びたり、砲撃の衝撃波で鼓膜を破損した負傷者1250名は全て救出、総合病院へ搬送しました。
―――死者は265名……確認出来た範囲になりますが。生存者の救出を優先しておりました』
死臭から鼻腔を守る為にマスクをした野戦憲兵が、くぐもった声で司令部に報告する。
「分かりました。負傷者の治療に万全を期してください。グリナート大佐、件の砲兵隊指揮官は?」
ニューガリア中央政庁内に在る防衛軍司令部で、ジャンヌ・シモン首相とクロエ・シモン首相補佐官が被害状況の報告を受けていた。
「新シャンゼリゼ通りに配置した砲兵隊指揮官は、戦闘終了後に自走電磁砲車内で拳銃自殺したとの報告がありました」
苦虫を噛み潰した表情で答えるグリナート大佐。
「自殺!?」
息を呑むクロエ。
「はい。避難中の市民を砲撃の巻き添えにした事に苦悩していた様だ、と同乗していた砲手からの報告がありました。
指揮官は地球から避難して3か月で志願入隊、即席任官でこの戦闘に臨んでおりました。
非戦闘員が混在した戦闘は、日本のワッカナイを除き火星では誰も未だ経験しておりませんでした……」
状況を説明するグリナート大佐。
「心が持たなかったのですか……」
沈痛な面持ちで呟くクロエ・シモン。
「これからは、市民の避難方法や交戦規定の見直しが必要ね……」
パイロットスーツのまま、クロエの隣に座るジャンヌ・シモン首相が呟く。
『これからは、と言うことはこの事態は未だ進行中なんですね?』
青い顔をした琴乃羽美鶴が訊く。
「そうですね……火星生物が気紛れで人類都市を襲撃して立ち去った、だけでは無いでしょう。
奴らは人類という獲物の"味"を覚えたのです。再び此方へ来るのは時間の問題でしょう」
アッテンボロー博士が指摘する。
『あの火星巨大ワニは何処から来たのでしょうか?』
満が誰に聞くわけでもなく呟く。
「火星巨大ワニは東に広がる未開拓荒野に消えました。現在、ダンケルク宇宙基地からのレーダー探索および地上から偵察機を出していますが、火星巨大ワニの捕捉には至っていません」
グリナート大佐が報告する。
防衛軍司令部のメインスクリーンがニューガリア東部郊外上空をゆっくりと飛行する『ディアナ号』を映す一方、サブモニターにはディアナ号に乗って警戒を続ける大月家一行、長崎沖から空港に辿り着いたばかりで戦闘機酔いの残る岬渚紗と琴乃羽美鶴が映っている。
いつ再び襲ってくるかもしれない火星巨大ワニの迎撃態勢維持と警戒監視をしつつ、今後の対応も考えねばならない為、時間が惜しいシモン姉妹の決断により、モニター越しの対策会議と化していたのだ。
「マドモアゼル美衣子。シドニア地区のマルス・アカデミー設備でもあの生物は追えないのですか?」
ジャンヌ首相が訊く。
『今は無理。ニューガリア東部郊外からアルテミュア大陸中央部にかけて大規模な砂嵐が発生しているわ。地球の砂嵐と違って磁力を帯びた鉄分が多い火星の砂嵐は、激しい磁気異常を起こすから磁力線も乱れるの。Pエネルギーを利用したアカデミーラボの観測機器ではあの砂嵐の中を探索出来ないわね』
首を横に振る美衣子。
「……ふむ。では、地道に地上から探索するしかありませんね。
ムッシュ大月。そちらの船で私を大陸中央部に送ってくれませんか?」
しばらく考え込んだ後、唐突に満へ申し出るアッテンボロー博士。
「お一人で行かれるのですか!?」
唖然とするクロエ首相補佐官。
「フィールドワークに強い専門家は、ユーロピアでは私だけだと思います」
さらりと答えるアッテンボロー。
『その探索、"私達"も行きますっ!』
モニター越しだが両手で志願する岬。
『えっ!?渚紗、待って。砂漠は未経験なんですけど!』
慌てる琴乃羽。
『大丈夫よ美鶴。『ディアナ号』で行けば案外簡単に行けるかもよ』
『そうかなぁ。でも……地上から車で行くよりかはマルス・アカデミーの船なら遥かに安全かも。その話、乗った!』
岬の説得に乗せられる琴乃羽。
『ええっ!?いくらマルス文明謹製の船でも、相手は得体の知れない火星巨大ワニですよ?危険な事に変わりませんよ?』
慌てる満が指摘する。
『お父さん、大丈夫。私達三姉妹にかかればワニ如きチョチョイのチョイよ』
満の背中にしがみ付いた美衣子が肩越しに応える。
『美衣子、油断は禁物なんだ。もっと緊張感を持たないと』
美衣子をしがみつかせたまま、窘めようとする満。
『あなた!娘の美衣子ちゃんが太鼓判を押すのだから信頼してあげないでどうするのですかっ!めっ!』
画面の外からひかりの手が伸びて満の脇腹をつねる。
満が「むぐぅ」と苦悶の声をあげて蹲る様に画面の下へ消えるのと入れ替わりに、横からひかりがひょいと顔を出す。画面からは美衣子達三姉妹がキャッキャとはしゃぐ声と、満の小さい呻き声が聞こえてくる。
大月家のヒエラルキーを何となく実感してしまい、思わず押し黙る会議参加者一同。
『それで、探索に行くとしても、その間の守りはどうするのですかぁ?』
けろりとした顔でひかりが問う。
「そうですね、英国連邦極東からはソールズベリー卿を派遣しましょう。
彼はミス・ミイコ謹製『大黒屋丸』に乗り込んで日本のダイモス宇宙基地近くで陽動に励んでいましたが、今はダンケルク宇宙基地へ向かっている途中です。基地で補給を受けた後、ニューガリア防衛に就いて貰いましょう」
グリナート大佐が提案する。
「ありがとう大佐。ケビン首相によろしく言っておいて頂戴」
感謝するジャンヌ首相。
『では、ソールズベリー卿が到着したら、空港までアッテンボロー博士と渚紗と美鶴を迎えに行きますね。そのまま大陸中央部に向かうという事で』
ひかりが纏める。
「よろしくお願いしますマドモアゼルひかり。
クロエ姉さんは、日本に兵力と物資の増強をして貰うよう交渉して頂戴。
皆の健闘に期待するわ!」
そう言って会議を締めくくるジャンヌ首相だった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・大月 満=ディアナ号船長。元ミツル商事社長。
・大月 ひかり=ディアナ号副長。満の妻。元ミツル商事監査役。
*イラストはイラストレーター 七七七 様です。
・大月 美衣子=マルス・アカデミー・日本列島生物環境保護育成プログラム人工知能。
*イラストは絵師 里音様です。
・岬 渚紗=海洋生物学博士。ソールズベリー商会所属。元ミツル商事海洋養殖・医療開発担当。
*イラストはイラストレーター倖様です。
・琴乃羽 美鶴=言語学研究博士。ソールズベリー商会所属。元ミツル商事サブカルチャー部門担当者。少し腐っているかも知れない。
*イラストはイラストレーター 倖 様です。
・ジャンヌ・シモン=ユーロピア共和国首相。戦闘機も操るアクティブな性格。
*イラストは、イラストレーター七七七様です。
・クロエ・シモン=ユーロピア共和国首相補佐官。妹のジャンヌ・シモンはユーロピア共和国首相。
*イラストは、イラストレーター七七七様です。
・ロンバルト・アッテンボロー=ユーロピア共和国学芸庁火星生物対策班長。生物学博士。
・グリナート=大佐。英国連邦極東軍提督代理。火星方面英国連邦極東・ユーロピア共和国連合軍司令官。




