ディアナ号
2026年(令和8年)11月19日午後8時30分【静岡県 沼津港沖50kmの駿河湾深度1,500mの海底 恒星間宇宙船『ディアナ号』操舵室】
漆黒の深海底に横たわる朽ち果てた帝政ロシア時代の沈没した木造帆船の残骸に寄りそうかの如く『ディアナ号』が着床していた。
『ディアナ号』の原型である木造帆船は江戸時代末期1854年、幕府に開国を迫るプチャーチン提督率いるロシア帝国使節団を乗せて長崎出島に突如来航した後江戸へ向かう途中、嘉永大地震で発生した津波で沈没している。
時折海中を漂うダイオウイカや深海鮫が朽ち果てた残骸に代わる新たな寝床を見つけたとばかりに近寄ろうとするが、電磁シールドに弾かれるとびっくりして泳ぎ去っていく。
「海底お仕置き部屋に比べると、なんて快適空間かしら。あのダイオウイカは未来の妹候補ね……」
操舵室のメインスクリーンに映し出された、全長15m以上あるであろうダイオウイカが電磁シールドに弾かれて慌てて遠ざかっていくを姿をうっとりと満足気に視ながら、リクライニングシートに腰掛けて晩ご飯のマーボー丼をかき込む結。
美衣子は満とひかりに付いて通信機の所に居る。瑠奈はキッチンでデザートのプリンに舌鼓を打っている。
操舵室とは言っても当時のディアナ号とは違い、マルス三姉妹が長期間快適に過ごせる生活空間として魔改造・創作している為、操舵室には舵輪や通信機の他にNEWイワフネハウスと同様のキッチンやダイニングテーブルが備わっていたりする。
現在操舵室では満とひかりが、英国連邦極東に身を寄せる事となった岬渚紗や琴乃羽美鶴と別れの挨拶を交わしていた。
「岬さん、琴乃羽さん、私達と行かなくて大丈夫ですか?」
心配そうな満。
『私達は取りあえずソールズベリー商会の社員になる事で英国連邦極東政府が守ってくれるそうです。だから、大丈夫ですよ。
ケビン首相直々に五島列島の研究所で海洋開発の研究をしてくれと言われていますしね』
岬が満に説明する。
「そうか、良かった。でも、無理しないでくださいね」
ほっとする満。
「お二人とも、無茶は禁物ですからねぇ。特に美鶴さんは溶けないように気を付けてくださいです」
ひかりが念を押す。
『いやいや。むしろ、無理しそうなのは社長の方でしょう?木星に行くんですから。全くの別世界なのですから、そちらこそ用心してくださいね?』
手をひらひらとさせながら、満とひかりに応える琴乃羽。
「お父さん。横須賀基地から定時哨戒の自衛隊潜水艦が出る時間よ。そろそろ出立しないと」
美衣子が急かす。
「わかったよ美衣子。それじゃあ、二人とも元気でね!」
通信を終えた満が操舵室中央に在る舵輪に移動して舵輪を握ると、ひかりや美衣子を見回す。
「―――さあ、行こうか」
気負わずに、しかしはっきりと出立を宣言する満だった。
♰ ♰ ♰
――――――同日午後8時37分【静岡県 駿河湾上空 50,000フィート】
駿河湾上空で空自戦闘機と夜間飛行訓練をするユーロピア共和国空軍部隊。もちろんジャンヌ少佐も参加している。
「急に無理言ってごめんなさいね。なんだかフジヤマを見ながら戦闘訓練したくなっちゃって……」
夜の闇に包まれたラファール戦闘機のコックピットで軽く笑うジャンヌ・シモン少佐。暗いのでフジヤマは見えないのだが。
地上では急な無理を実現する為に奔走したジャンヌ姉クロエ・シモンが、交信を聴いて頭を抱えている。
『とんでもないです少佐。こちらこそ、我々にとって先日の火星新大陸上空飛行訓練は良い機会でした。……今度の首相は、我々を輸送部隊と災害派遣要員ぐらいにしか思っていない様です。実戦部隊は、肩身の狭い時代になるでしょう。再開された"事業仕訳"で、燃料や部品補充予算が却下された様です……』
ラファール戦闘機に並行して飛行するF2戦闘攻撃機のコックピットでため息をつく空自パイロット。
「同情するわ。でも、貴方の認識は少し甘いかしら。これから貴方達は地球で戦闘に参加するかもしれないわよ?」
さらりと予告するジャンヌ。
『ええっ!?』
寝耳に水の空自パイロット。
「これから貴方のお国がイスラエル連邦と仲良くなればなるほど、地球で燻っている争いに手を貸す羽目になることぐらい覚悟した方がいいわよ」
忠告するジャンヌだった。
その時、コックピットの操縦パネルに装着していた携帯電話が点滅する。
「はい。ジャンヌよ」
『私よ。あと3分』
「了解。通報は今度の時まで取っておいてあげる。こちらはスルガ湾上空に居るわ。これで借りは返したからね?」
『……ありがとう。自由の女神に幸あらんことを』
美衣子が礼を言うと通信が切れた。
「貴女が真面目に感謝するなんてレアね。明日は雪が降るかしら?さあ、もう一戦しましょうか」
ジャンヌの乗るラファール戦闘機が翼を翻すとF2の傍から急速離脱して背後に付く。
「今度は私達の番よ!」
♰ ♰ ♰
――――――午後8時40分。
南関東上空に見慣れない一筋の金色の光が駿河湾から天空へと昇っていく。天空へ立ち昇る光をよく見ると光の主は空飛ぶ巨大な帆船であり、この奇妙な飛行物体は富士市、沼津市、伊豆市に住む多くの人々に目撃され、警察や自衛隊に通報が相次し、動画がツイッターで拡散された。
アルテミュア大陸シドニア地区の監視とソールズベリー号の追跡に集中していた我妻新政権の自衛隊は、完全に虚を突かれた形となったが"たまたま"駿河湾上空でユーロピア共和国空軍と共同訓練中だったF2戦闘攻撃機部隊を用いて対応する事となった。
府中に在る航空・宇宙自衛隊航空総隊司令部を通さず、直接市ヶ谷防衛省本省からUFO追跡の緊急任務を与えられると、慌てて天空へ立ち昇る光の正体を確認しようと翼を翻すF2戦闘攻撃機。だが、訓練中のジャンヌ少佐達ユーロピア共和国空軍は「逃さないわ!」と嬉々として戦闘訓練を続行してF2の針路を遮るのだった。
何とかジャンヌ少佐達ユーロピア共和国空軍を躱したF2戦闘攻撃機が現場上空に飛来した頃には、黄金の光は遥か上空へと遠ざかっており、追跡・確認は出来なかった。
「ふぅ、これで借りは返したわ。ムッシュ澁澤、岩崎……」
呟くジャンヌ少佐。
「さ、私達もニューガリアへ帰りましょうか」
機首をアルテミュア大陸西岸へ向け、帰投するユーロピア共和国空軍戦闘機部隊だった。
♰ ♰ ♰
2026年(令和8年)11月20日午前4時30分【火星衛星軌道 第1衛星フォボス 英国連邦極東・ユーロピア共和国合同宇宙基地『ダンケルク』】
ダンケルク宇宙基地に到着した大月家一行は、両国のケビン首相やジャンヌ首相からの指示を受けて待機していた兵士達に歓迎され、木星最深部へ向かう前の補給と仮眠を取っていたが、急きょ司令室に呼ばれていた。
司令室のスクリーンには、ユーロピア共和国ジャンヌ・シモン首相がパイロットスーツを着たままで映っており、その顔は悲壮感が漂っている。
『……借りを返したばかりで早々に申し訳ないのだけれど。大月家の力を貸して欲しい』
険しい顔をした碧眼でじっと満とひかりを見つめるジャンヌ。
「一体どうされたのですか?」
流ちょうなフランス語で尋ねるひかり。
『ニューガリア郊外に在る開拓村が襲撃されているの』
引き攣った顔で答えるジャンヌ。
「誰にですか?いや、巨大ワームですね。それでしたら対抗策は―――」
『違う!巨大ワームなんかよりももっと凶暴で残忍な存在が現れたの!』
満の言葉を遮ってジャンヌが叫ぶ。
司令室のスクリーンが、ジャンヌを映していた映像から切り替わり、幾つもの巨大な黒い影が蠢いて開拓村の建物に体当たりで襲い掛かる画像が映し出されると、満は勿論、ひかりや美衣子達三姉妹、居合わせた司令室の隊員達が絶句する。
四足で蠢く巨大な黒い影は、20m程の高さになるワニに酷似した生物だった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・大月満=元ミツル商事社長。現在求職中。
・大月ひかり=満の妻。ミツル商事監査役を解任され現在求職中。
*イラストはイラストレーター 七七七 様です。
・大月 美衣子=マルス文明日本列島生物環境保護育成プログラム人工知能。
*イラストは絵師 里音様です。
・大月 結=マルス文明「尖山基地」管理人工知能。マルス三姉妹の二女。
*イラストは絵師 里音様です。
・大月 瑠奈=マルス文明地球観測天体「月」管理人工知能。マルス三姉妹の三女。
*イラストは絵師 里音様です。
・岬 渚紗=海洋生物学博士。ソールズベリー商会所属。元ミツル商事海洋養殖・医療開発担当。
*イラストはイラストレーター倖様です。
・琴乃羽 美鶴=言語学研究博士。ソールズベリー商会所属。元ミツル商事サブカルチャー部門担当者。少し腐っているかも知れない。
*イラストはイラストレーター 倖 様です。
・ジャンヌ・シモン=ユーロピア共和国首相。戦闘機も操る。
*イラストは、イラストレーター七七七様です。




