千石船
2026年(令和8年)11月19日午後4時【火星北半球 アルテミュア大陸中央 シドニア地区 マルス・アカデミー地下研究施設『ヘル・シティ』】
広大な地下研究施設のど真ん中で美衣子達三姉妹が製作中である船の船首側に近づいて、下から巨大な船腹を見上げる満。
今まで船の喫水線から上の部分しか見たことがない満にとって、船の全景を眺める事は初めてであり、その巨大さに圧倒されるとしみじみと呟く。
「……あらためて見ると、デカいなぁ」
「みんなが生活する空間も有るから、宇宙キャンピングカーといったところよ」
いつの間に着たのか研究者らしく白衣を纏う結が、とてとてと満に近付くとフンスと胸を張って説明する。
「この船は木星までどの位で行くのかな?」
満が美衣子に訊く。
「そうね。光速の4分の1程度に"抑えた"巡航速度で1か月位かしら。勿論その間は冷凍睡眠も有れば家族団欒も充分取る予定よ」
事も無げに答える同じく白衣を纏う美衣子。
「……まあ。……遠足には丁度いいのかな?」
飛行機よりも早い乗り物に乗った事の無い満は、光速と言われてもピンと来ず、何となく凄いんだなと遠い眼をして口走ってしまうのだった。
「あらあら、あなた。現実逃避は脱出してからですよぅ?先ずはみんなが無事に今を乗り切らないとですっ!」
人差し指を立てて、メっと満を諫めるひかり。
「という事で、お父さんとひかりはこれから船内居住区の整理をよろしく。あと晩御飯はマーボー丼で良いわ」
美衣子がクールに注文する。
「まっかせなさい!」
満の前で食材コンテナを積んだ浮遊台車を押すひかりが、腕まくりをして美衣子にサムズアップで応える。
「……なんか、此処に来てからご飯作る事多くね?」
羽毛布団を背中に背負って運びながら、機械いじりの苦手な満がぼやく。
船内へ物資を運び込む満とひかりを眺めていた美衣子の携帯端末が振動すると、仁志野家の冷蔵庫が"無事作動"した事を知らせる。
「やっと来たわね」
そう呟くと白衣を翻して、隣の区画へてくてくと歩いていく美衣子だった。
♰ ♰ ♰
「……えっと?」
仁志野清嗣の自宅キッチンに在る、冷蔵庫を模した『どこへもドア』から飛ばされてきたソールズベリーが、ヘル・シティの広大な地下研究施設を目にして呆然と佇んでいた。
英国連邦極東人でこの施設を目にしているのは、ケビン首相以外で言えば、かつてマルス・アカデミーとのコンタクト直後に取材で訪れた極東BBC放送クルーと、不法に侵入を試みた際、マルス・アンドロイド兵士で構成されたターミネイター兵軍団から恐怖を植え付けられたSAS(空軍特殊部隊)隊員だけである。
この地下研究施設を『ヘル・シティ』と名付けたのはSAS隊員達である。
「マスター、退いてください。邪魔です」
クリスが冷蔵庫を模した『どこへもドア』から飛び出してくると、ソールズベリーのすぐ後ろにふわりと着地する。
「ようこそ、クリス」
背後から聴こえた声にクリスとソールズベリーが振り向くと、隣の区画から白衣を纏った美衣子が片手を上げながら歩み寄って来る。
「お久しぶりです、美衣子姉さま」
クリスがワンピースの裾を軽く摘んで挨拶をする。
クリスの挨拶に軽く頷いて応えた美衣子は、てくてくとソールズベリーの前まで歩み寄ると、フンスと胸を張ると当たり前のように告げる。
「ソールズベリー。そういうことだから協力してもらうわよ?」
「……分かりました。貴方方の行動に最大限の便宜を図るようにと、英国連邦極東ケビン首相から依頼されております。それで、どうされるのです?」
なし崩し的な展開にため息をついたソールズベリーは、具体的な方策を美衣子に訊く。
「囮作戦よ」
顎に手を当てて決めポーズを取ると、ビシッと虚空に現れたホログラム画像を指さす美衣子。
「クリスとソールズベリーは、お父さんと私達が乗る船と同じタイプの船を用意したから、それに乗って此処から衛星フォボスの宇宙基地へ向かって頂戴。その間にこちらは東京湾から出発して、日本列島から脱出するわ」
「分かりました。追手の目を此方へ向けさせるのですね……って、これで同じタイプですか!?」
ソールズベリーが佇んでいた空間の中央付近に2隻の船が並んでいた。
1隻は大航海時代の西洋帆船を再現したような外観であり、隣の船は米俵を積んだ江戸時代に日本各地を結んでいた弁財船に酷似している。
「ソールズベリーはこっち、米俵を積んだ千石船『大黒屋丸』に乗りなさい。この作戦後は貴方にその船を差し上げるつもりよ」
「……見た目からして同じタイプとは思えないのですが?」
おずおずと疑問を口にするソールズベリー。
「細かい事は気にしたら負けよ」
取り付く島もない美衣子。
「……そうですか。しかし最新鋭宇宙船なんて、一般人が持っても良いのでしょうか?」
ちょっと腰の引けるソールズベリー。
「……貴方。マルス・アカデミー謹製アンドロイドを所有している段階で今更だわ。有り難く頂いておきなさい」
呆れてため息をついた美衣子がそっけなく言う。
「これでよし。結、"ミツル号"を粒子状にして海流に乗せて頂戴。3時間後に駿河湾海底で固体化させる様にタイマーよろしく」
「分かったわ姉さま。では、"ミツル号"分子化!ポチッとな」
結がホログラム端末を操作すると、木造帆船風恒星間航行多目的船『ミツル号』が黄金色の光に包まれると船体が光の粒子となって渦を巻き、漆黒の生け簀に吸い込まれていく。
「私達は一旦日本列島に戻るけど、クリスとソールズベリーは4時間後に"此処から"出発して頂戴。それじゃあ、お達者で」
隣の区画からひかりと共に現れた満の背中にしがみ付いた美衣子は、結、瑠奈と共に、広大な空間片隅にちょこんと置かれている冷蔵庫に吸い込まれていくのだった。
「……いつの間に『ミツル号』になっていたのだろう?」
当然の成り行きで命名された宇宙船の名前について、満が口にした呟きには誰も応えなかった。
♰ ♰ ♰
大月家一行とソールズベリーが分かれた4時間後――――――午後8時【火星から2万3000Km上空の衛星軌道 第2衛星『ダイモス』 日本国航空・宇宙自衛隊基地 】
「なんだあれは!?」
地上観測モニターを視ていたオペレーターが思わず声を上げる。
「どうした?」
当直将校が訊く。
「衛星軌道を先行している光学情報収集衛星『あさがけ』15号から、シドニア地区の映像が送られて来たのですが……」
オペレーターが司令室のメインスクリーンに画像を投影する。
メインスクリーンには、監視対象である人面岩が映し出されているが、その口が開いて中から何かがせり出しているように見えた。
「まさか、ミサイルか!?」
緊張する当直将校。
「全員持ち場につけ!非常呼集!司令をお呼びしろ!市ヶ谷に緊急連絡」
当直将校が指令席にある非常ボタンを押す。
けたたましい非常ベルの音が宇宙基地に鳴り響くと、非番だった隊員達が持ち場につき始める。
メインスクリーンに映し出された人面岩の口は発声しているかのように大きく開き、口の中からは長い棒状の物体がせり出している。
「あの長い棒は何だ?拡大しろ」
遠隔操作で光学情報収集衛星のカメラをズームさせると、口の中から出ている物体は長い筒のような形状をしており、その筒の先端は穴が空いているように見えた。
「あれは、砲口か?」
遠隔操作をする隊員が呟く。
「まずい!あれは衛星を狙っているのではないのか!?」
慌てる当直将校。
「市ヶ谷を通じてマルス・アカデミーに問い合わせますか?」
「照会急げ!衛星が撃ち落とされるぞ!」
その時、長大な筒から青白い火花が弾けると、稲妻の様なプラズマが空へ向けて放たれる。
「撃ったのか!?」
騒然となる司令室。
「衛星は?」
「シグナル健在!」
「警戒管制レーダーに反応!シドニア地区から高速物体1基が上昇中!」
「ミサイルなのか!?」
「物体から電波受信。IFF(敵味方識別信号)確認。ミサイルでは有りません!」
「どこの国だ?」
「RSF(英国宇宙軍)です!」
「正真正銘のロイヤル・フォースではないか!英国連邦極東ではないのか?」
「はい。識別コードは、地球連合防衛軍欧州イングランド方面抵抗軍のものです」
「『あさがけ』15号をサポートしている19号から飛行物体の追尾映像来ています!」
別の管制オペレーターが声を上げる。
「よし、メインスクリーンへ回せ!」
当直将校が指示する。
「……何だこれは?」
司令室のスクリーンに映し出された飛行物体を目にした隊員達がその場で唖然とする。
人面岩の電磁カタパルトから射出された飛行物体は、木造の帆掛け船に見えたからである。だが、今も尚大気圏を離脱する勢いで上昇を続けている木造船など誰も目にしていない。
「…空飛ぶ宝船?」
オペレーターの誰かが間の抜けた声で呟く。
「よく見てみろ!米俵を積んでいるぞ!」
別のオペレーターがモニターを指さして叫ぶ。
「まるで千石船ではないか……」「宝船じゃないのか!?」
飛行物体の異様な様相に、騒めき始める司令室隊員達。
「静かに!今は飛行物体の正体を確認するのが先だ。通信回線開け!」
イライラして小指を噛む仕草をする当直将校。
「こちらJASSDF(日本国航空・宇宙自衛隊)ダイモス宇宙基地。貴艦進路上を我が国の衛星が通過予定だ。針路変更を求む。それと、貴艦の行動目的を明らかにせよ」
通信担当士官が直接呼び掛ける。
『こちらRSF(英国宇宙軍)所属「ソールズベリー号」。針路変更は受諾した。貴国衛星の安全は保証する。本艦は女王陛下の代理人として、正当な任務を遂行中である。以上』
取り付く島もない返答に言葉を詰まらせる通信担当士官。
「くそっ!下手に手出しすると国際問題になる。見逃すしかないのか?」
当直将校が躊躇する間に、ぐんぐんと地上から上昇してきた千石船は、情報収集衛星を大きくかわすとダイモス宇宙基地から遠ざかっていく。
「ソールズベリー号の針路は第一衛星『フォボス』です」
「あそこは英国連邦極東とユーロピア共和国の合同基地か。お手上げだな。市ヶ谷に報告しろ」
どっかと脱力して指令席に座る当直将校だった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・大月満=元ミツル商事社長。現在求職中。
・大月ひかり=満の妻。ミツル商事監査役を解任され現在求職中。
*イラストはイラストレーター 七七七 様です。
・大月 美衣子=マルス・アカデミー・日本列島生物環境保護育成プログラム人工知能。
*イラストは絵師 里音様です。
・大月 結=マルス・アカデミー・尖山基地管理人工知能。マルス三姉妹の二女。
*イラストは絵師 里音様です。
・大月 瑠奈=マルス・アカデミー・地球観測天体「月」管理人工知能。マルス三姉妹の三女。
*イラストは絵師 里音様です。
・ソールズベリー=多国籍多目的企業「ソールズベリー・カンパニー」社長。元英国連邦極東外務大臣。クリスを引き当てた事で独立起業した。
イラストは七七七 様です。
・クリス=ソールズベリーの助手。大月家結婚披露宴の大ビンゴ大会で賞品としてソールズベリーが引き当てたマルス・アンドロイド。
イラストは七七七 様です。




