人面岩
2026年(令和8年)11月19日午前7時【火星から2万3000km上空の衛星軌道 第2衛星『ダイモス』航空・宇宙自衛隊基地 】
ジャガイモの如く歪な形をした直径12.6kmの小惑星火星側に在る基地の司令室では、当直将校の指示で索敵訓練と称した綿密な地上観測が行われようとしていた。
「間もなくアルテミュア大陸シドニア地区上空に到達します。『人面岩』上空まであと1分」
薄暗い司令室でオペレーターがレーダー照射準備を行っている。
「合成開口レーダースタンバイ。センサーの用意はどうなっている?」
指令席に座る当直将校が、地上スキャナーの最終確認を行う。
「完了しています。広域レーザースキャンいつでも行けます!」
レーダー担当の隣に座るオペレーターが手を挙げる。
司令室のモニターには、リアルタイム撮影されているシドニア地区の人面岩が映し出されている。
「なんだか今日は機嫌が良さそうな面構えだな」
通信担当士官が呟く。
「気のせいだろう?いつもと同じ仏頂面じゃないか」
隣のレーダー担当士官が応える。
「集中しろ。タイミングを逃すな!観測開始!」
当直将校が指示を出す。
ダイモス宇宙基地の各所から、照射されたレーダー波やレーザー光線がシドニア地区の人面岩に降り注ぐ。
「熱源探知!人面岩上部、額の辺り!」
地上スキャナーを操作するオペレーターが報告する。
「熱源温度37.5度、微熱です」
真面目な顔で報告するオペレーター。
「熱でもあるのか?」
思わず間抜けなセリフを呟いてしまう当直将校。
次の瞬間、薄暗い司令室に赤色警告灯が点滅して異常を知らせる。
「電波障害!地上から強烈な電磁波が照射されています!センサーに障害発生」
「レーダー、ホワイトアウト。使えません!」
「無線電力供給システムに異常!電源喪失!非常電源に切り替えます!」
オペレーター達から緊張した声で報告が当直将校に寄せられる。
「まるで電子戦闘じゃないか!これ以上マルス人を刺激するのは拙い。観測中止!」
慌てて当直将校が観測中止を指示する。
騒然とした宇宙基地の在るダイモスがシドニア地区上空を通過すると、途端に宇宙基地の異常は治まった。同時に地上の人面岩両眼付近がチカチカと青く発光する。
「地上から発光信号!」
驚きの声を上げる通信担当士官。
「どこからだ?"もぐりの"ユーロピア開拓村か?」
当直将校が訊く。
「いいえ。発光源は『人面岩』です!」
「読み上げろ」
「はい。『マルス・アカデミー大使館より、バカめ』以上」
困惑した顔の通信担当士官がメッセージを読み上げる。
「……市ヶ谷へ報告だ。『我、太陽風によるダメージ発生するも状況は改善』以上だ」
憮然とした顔で防衛省本省に報告を命じる当直将校。
「ええっ!?地上からの電子攻撃じゃないんですか!?」
怪訝そうな顔で通信担当士官が首を傾げる。
「心配するな。これは市ヶ谷と打ち合わせた"符丁"だよ。君達に隠蔽容疑はかからないから安心しろ」
肩を竦めてオペレーターを宥める当直将校。
「了解。打電します」
それでも眉を顰めたままの通信担当士官を横目に見ながら、レーダー担当士官に状況確認をする当直将校。
「次の観測予定は?」
「12時間後です」
「よし。12時間後に再び地上索敵訓練を実施する。警戒態勢解除」
司令室の空気がようやく緩んだ。ローテーションの休憩を取りにオペレーターが動き出す。
政権交代直後、防衛省本省に赴任してきた新任政務官名で火星地上に在る全てのマルス・アカデミー施設に対する索敵訓練を実施せよと"私信"が当直将校宛てに送られていた。
立憲地球党支持者だった当直将校は、当直司令が交代する合間に索敵訓練を秘かに行っていた。古参の当直司令は、彼の不審な動きなどお見通しであったが、信望の厚かった"桑田隊長"から立憲地球党出身者に防衛大臣が交代した以上、告発する気力は失せ、黙認状態となっていたのである。
☨ ☨ ☨
2026年(令和8年)11月19日午前7時【火星北半球 アルテミュア大陸中央 シドニア地区 マルス・アカデミー地下研究施設『ヘル・シティ』】
巨大な人面岩の如き一枚岩がぽつねんと赤茶けた荒野に存在する地下には、マルス・アカデミー本部と共に、広大な研究施設が広がっている。
今日も広大な研究施設の片隅で三人の人影があくせくと作業に勤しんでいたが、新しい人影が加わっている。
「―――あれ?ここはどこかな?」「ほぇぇ~」
尖山か何処かで見た事のある、淡く光る金属製の壁に囲まれた広大な空間のど真ん中で、"冷蔵庫"から転送された満とひかりが、お上りさんの如く辺りをきょろきょろと見回している。
「お父さん。此処はアルテミュア大陸シドニア地区の研究施設よ」
何故かフンスと薄い胸を張る美衣子。
「そうなの!?今日は尖山でピクニックじゃなかったっけ?」
携帯でスケジュールを確認する満。
「甘いわお父さん。尖山ピクニックは監視を巻く為のフェイクよ。本命はこっち」
どや顔の結。
美衣子の隣で張り合わんばかりに薄い胸を張る結に連れられて、隣の区画へ移動する満とひかり。
隣の区画も転送されて来た空間と同じくらい広大だったが、その中央には赤茶けた色で長方形をした金属質の物体が2つ鎮座していた。
「何これ?」
首を傾げる満。
「船っス!」
左側に鎮座するのっぺりした表面の物体側面で、命綱でぶら下がりながら作業中の瑠奈が手を振る。
「あらあら。船って言っても、何処へ行くのかしら?」
頬に手を当てたひかりが美衣子に訊く。
「……お父さん。わかっている筈よ?」
美衣子が満の背中に飛びついてぶら下がる。
「ぐぇっ、苦しいっ!ごめん、ひかりさん。気付くのが遅れてですね、木星までちょっと遠足に行こうかなと……」
頭を掻きながら、バツが悪そうに答える満に頷くひかり。
「この前のアマトハさんからの通信は、美衣子から聞いたよね?」
満がひかりに訊く。
「確か、ダグリウスらしきものが木星に突入したと言っていましたねぇ……」
首を傾げて思い出すひかりが頷く。
「岩崎さんの話と最近のニュースを視る限り、みんなシャドウ帝国とかその黒幕なんか殆ど気にしなくなってきているよね。
だから、せめて私達だけでもダグリウスの行方を調べた方が良いかなと思って。どうせ僕らは今のところ失業中だし……」
説明する満。
「ダグリウスの事は、木星のマルス・アカデミー先遣隊が対応するんじゃなかったかしら?」
ひかりが指摘する。
「たぶんそれはない。木星先遣隊は、あくまでも木星再生作業の準備に追われるだろうから、別の任務を同時並行させる余力は無いと思う。
となると、日本から出発した天草さん達木星探索隊になるけど、木星最深部や"更に向こう側"を調べに行く装備が探索隊には足りないと思うんだよ」
説明する満。
「ふーん。それで美衣子ちゃん達とこそこそ動いていたの?」
若干スネ顔のひかり。
「ひかり。お父さんはそこまで綿密な事を考えられる訳無いわ。忖度できる優秀な私達三姉妹が先走って進めてきたのよ!」
満とひかりに向けて再びフンスと胸を張る美衣子。
「……優秀な娘が居て幸せだよ」
美衣子のフォローを受けた筈なのに、半分ディスられた感じとなり苦笑する満。
「ちょっと言いたい事は有るけども、取り敢えず分かったわ。けれど、ここから出発するの?」
ひかりが美衣子に訊く。
「それが一番ストレートなんだけれど、追手の事を考えると厄介だわ」
思案する美衣子。
「追手?政府が追って来るの?」
恐る恐る聞く満。
「新しい政府首脳は、私達姉妹を日本列島から追い出そうとしていたけれど、NEWイワフネハウスにいちゃもんを付けて差し押さえた。
ミツル商事を国策企業にして取り込んだ様に、私達の技術が関与したものを残らず接収したい意図が見え見えよ」
美衣子が鼻息荒く説明する。
「という事は、ここまで自衛隊が来るって事?」
ひかりが顔を顰める。
「直接は来ないだろうけど、衛星軌道上のダイモス基地から監視してこちら側の動きを阻止するかもね」
満が呟く。
「そういう点で考えると、衛星が通過する時間帯を狙って横浜から出発するのが意外とイケるっス!」
建造中の船から降りてきた瑠奈が、満の胸に飛びつきながら提案する。
「……うぐっ。そうだね、そうしようかな。分かったから、二人とも降りて。腰がっ……」
背中からぶら下がる美衣子に加え、胸にダイブしてきた瑠奈を根性で支える満の下半身に限界が訪れようとしていた。
「仕方ないわ。瑠奈、降りるわよ。……それと木星に向かうまでお父さんは筋トレよ」
満からぽとりと降りる美衣子と瑠奈。腰をさする満をひかりが苦笑しながら背中を叩く。
「それじゃあ、横浜沖から出るとして結。船の進捗はどうかしら?」
満の足元まで接近して、隙あらば腰にしがみ付こうとしていた結の首根っこを掴んで美衣子が訊く。
「—――—――クエッ!まずまずよ。90%の仕上がりかしら。残りは内装だから、発進してからでも対応可能」
腰ダイブを阻止されて悔しそうな結。
「瑠奈の方はどうかしら?」
美衣子が念のため声を掛ける。
「バリバリっス!レールガン砲台はあらかた取り付け完了っス!後は射撃訓練して微調整するっスよ!」
満の胸元から飛び降りるなり再び船に駆け寄ると、舷側をゴキブリのような動きでよじ登ってレールガン砲身を覗き込んだ瑠奈が応える。
「……間違って頭を噴き飛ばされないようにして頂戴」
はぁ、とため息をつきながら注意する美衣子だった。




