遥かなる道程
2026年(令和8年)10月28日午前10時【東京都新宿区 JR新宿駅前】
投票日まで残り2週間を切り、与野党は各地で活発な選挙活動を行っていた。
1日の利用旅客数が350万人を超える新宿駅前のバスロータリーに、選挙カーで乗りつけた立憲地球党我妻代表がマイク片手に、先を急ぐ利用客らへ地球回帰政策を訴えていた。
「大企業の内部留保を棚田開拓と地球復興へ!」
「戦車からヒトへ」
「地球へ帰還する国民に政府はノービザと渡航費全額補助を!」
「マルス・アカデミーとの癒着を排し、異星人との対等な関係樹立を目指そう!」
「新幹線・高速道路・公共料金無償化」
「"日本列島人民評議会"設立と、"全ての日本列島人民"に国境を越えたフリーパス選挙権を付与し地球回帰を実現しよう!」
次々と理想的なマニフェストを打ち上げつつも、しれっと日本国の主権を侵害するマニフェストを混ぜ込んで訴える立憲地球党我妻代表だった。
動員された立憲地球党党員がマニフェストを掲げる我妻に鐘や太鼓を叩いてシュプレヒコールを送り、その光景をさも大多数の国民が賛同している風にリベラル系マスコミが大々的に伝えていくのだった。
† † †
――――――その日の昼【東京都千代田区丸の内 総合商社角紅 社長室】
『大企業の内部留保を棚田開拓と地球復興へ』
社長室のテレビから流れて来る立憲地球党マニフェストを聴いた角紅社長 仁志野清嗣が顔を顰める。
「なんや、商売がしづらい世の中になってきたで……。
ひかり。気い付けや?国有化されたミツル商事なんか、真っ先に財務省のお役人達が社長の椅子を乗っ取りに来るかも知れへんで?」
「……まさか。気にしすぎやでお祖父ちゃん」
苦笑するひかり。
「……財務大臣の後白河は、自由維新党の中でも主流派とは違って弱小派閥や。
せやけど最近、どうも後白河に関してきな臭い噂が流れとるんや……。……野党や”火星外勢力”と裏で繋がっとるっちゅう話も有るで?」
ひそひそ声で伝える仁志野。
「それこそ、まさかやでお祖父ちゃん」
想像力豊かな祖父を嗤うひかり。
「ひかりの言う通り取り越し苦労やったら、ええんやけどなぁ……」
心の奥底で、経営者としての危機意識が急速に高まって警告音を鳴らしているのを仁志野は感じていた。
☨ ☨ ☨
――――――その日の夜【神奈川県横浜市神奈川区 NEWイワフネハウス】
リビングのテレビが、澁澤総理大臣と立憲地球党の我妻代表による民放テレビ討論の中継を映していた。
澁澤が、地球回帰議論の矛盾点を論理的に追及したところ、我妻代表が逆切れを起こし掛けていた。
『よろしい!本音で話そうじゃないか。
私は、地球人はマルス人から決別すべきだと思いますよ。
我々日本国国民は、過去のシャドウ・マルスによって操られて来た愚かなクローン人間とは違うのです。我々は我々の力のみで、文明を築き上げてここまで来たのです。
ミツル商事が保護するマルス・アカデミー三姉妹は速やかにプレアデス星団に在る母星へ戻るか、日本国に従属すべきでしょう。当然の事ですが、マルス・アカデミーが富山や横浜、火星衛星軌道の小惑星や月面に設置した施設は無条件で正当な承継者である日本国民へ”返還”すべきです。
勿論テクノロジーも段階的承継では無く、即時無条件開示させるべきでしょう。
そして、三姉妹が統べる日本列島生態環境保護育成プログラムについても、速やかに日本政府管理下へ置くべきであり、その為に自衛隊の防衛出動もやむを得ないと考えています。
有史以来、人類から搾取し続けてきた果実を我々が取り戻すのは当然の権利だからです!』
自らの発言で興奮して真っ赤になった顔で鼻息荒く言い切ってしまう我妻代表。
テレビで我妻の発言を黙って視ている三姉妹は無表情だったが、どことなく瞳が悲し気に潤んでいると満には思えるのだった。
「……ひかりさん。美衣子、結、瑠奈。ちょっと相談があるんだけど?」
満はひかり、美衣子達三姉妹にとある決意を話すのだった。
☨ ☨ ☨
満が家族にとある決意を話した3日後、筆頭株主である日本国政府財務省が臨時株主総会招集をミツル商事に要求、急遽株主総会が開催された。
臨時株主総会では、後白河財務大臣から大月家の一員である美衣子達三姉妹の不用意な行動が”仮想世界大戦”を誘引、西東京市を始めとする地方自治体への巨額賠償でミツル商事に損害を与えたとして、代表取締役社長である大月満の監督不行き届きを理由とした解任動議が発議され、日本国財務省の議決権行使により、満の解任が決議された。
また、家族的経営により経営・財務面での監視が疎かであったとして、監査役大月ひかりの解任が新しい取締役会議で議決され、大月夫妻はミツル商事を去る事となった。
少なくとも数百億円単位に上る巨額賠償請求が大月夫妻に行われた事により、NEWイワフネハウスは横浜地方裁判所から差し押さえ命令を受けて封鎖され、居住していた大月家及び岬渚紗や琴乃羽、春日洋一らミツル商事社員は、殆ど着の身着のままの状態で角紅社長仁志野の自宅へ転がり込む事となった。
財務省や国土交通省、農林水産省から派遣された役人達がミツル商事経営陣として就任し、傘下企業にあたる日本マルス交通及びミツル商事海洋養殖部門は、急速に国策企業として経営転換していくのだった。
☨ ☨ ☨
2026年(令和8年)11月8日午前8時【長崎県対馬市】
衆議院議員選挙投票日前日の早朝、肌寒いフェリー乗り場前広場で選挙カーの演台に立った澁澤総理大臣は、地元から立候補した自由維新党候補者の隣で応援演説をしていた。
「皆さんが地球へ戻りたいと思う気持ちは、十分理解しております。何より、私自身がそうですから……。
ですが、皆さん。
今の地球は、火山灰と雪に覆われ、海に沈んだ原子力発電所の燃料棒から漏れ出た放射能が、大地を汚染しているのです。
また、先の人類反攻作戦で多くの火星由来生物である巨大ワームの駆除に成功しましたが、今も尚、世界各地で巨大ワームらしき生物の目撃報告が相次いでおります。
私は、国民の命と財産を守る政府の長として、今の地球へ皆様を帰らせる訳には参りません!
どうか、一時の感情に流される事無く、冷静に考えてください。
皆様の周りに在る日本の自然風景は今も尚、"此処"日本列島に在るのです!
政府は地球帰還を諦めている訳では有りません!
現在、政府はマルス・アカデミーと共同で火山灰で酸性化された大地と水を中和し、放射能汚染を緩和させる準備を進めております。
地球環境の完全再生まで少なくとも数十年かかるでしょう……遥かなる道程になりますが、地道な活動が必要となるのです。
地道な活動を支える為にもどうか、我々自由維新党を宜しくお願いいたします!」
澁澤が演説を終えると、集まった与党支持派の聴衆から歓声が挙がる。
澁澤は選挙カーを降りて、聴衆に近づいて握手やハイタッチを交わす。
対馬市は4年前の転移間もない時期に起きた、対馬事変(*第11話ご参照)による戦闘で市街の大半が破壊されたものの、澁澤総理大臣陣頭指揮のもと、火星転移時激甚災害指定を受けて速やかな復興が行われ、澁澤政権に対する市民の支持は高かった。
この為市民との触れ合いは特に警戒を強める必要は無いと、誰もが思っていた。
演説を聴きに集まった市民から握手をせがまれた澁澤は、自らを囲むSPの輪から離れると、一際大きな声で澁澤の名を熱狂的に叫ぶ一人の青年に近寄る。
冬用の着膨れたベストを着用して丸眼鏡をかけた青年は、日の丸小旗を振る市民と共に熱烈な歓声を上げていた。
澁澤が目の前に来ると青年は、血走った目を見開いて一際甲高い声を上げると、
「東アジア共和国マンセー(万歳)」と絶叫して、着膨れていたベストに仕込んでいたプラスチック爆弾に繋がるスイッチを押した。
青年がスイッチを押す直前、異様に血走った彼の目に違和感を持っていたSPが澁澤に追いつくと、澁澤と青年の間へ飛び込む様に割って入る。
次の瞬間、澁澤を囲む人垣の中心部で眩いばかりの光が人々の視界を奪うと、爆発音と共に弾け飛んだ無数の金属片が澁澤を囲む人垣を切り裂きながら薙ぎ倒した。
薙ぎ倒された人垣の中心部は、アスファルト舗装が爆発でめくれ上がって地面が露出し、直径2m程のクレーターからは、小さなきのこ雲が立ち昇っていた。
夥しい血痕と肉片に塗れて倒れ伏した人々の中で、声を上げたり動ける者は誰も居なかった。




