帰還願望
――――――人類反攻作戦終了から1か月後。
2026年(令和8年)9月18日 午前0時2分【You Tube火星チャンネル】
動画には、幼い兄弟姉妹が、うっすらと赤みがかった青空のもと、無邪気に花畑ではしゃいでいる光景が収められていた。
花畑の遥か彼方には日本の山岳風景とは異なる、赤茶けて切り立ったオリンポス山が天を突き抜けて聳え立っている。
そこで不意に母親と思われる女性の声が入る。
『この子達は4年前に火星日本列島で生まれ、育ちました。
子供達は地球で過ごした思い出が有りません。
……私達は、我が子に母なる地球の風景を見せてあげる事が叶うのでしょうか?』
そして、火星転移前と思われる青く輝く地球が映し出され、テロップが画面中央に現れた。
『帰ろう。母なる生命の源、地球へ――――――立憲地球党』
この動画が公開されて5分後、日本列島全域で震度6の激しい揺れが睡眠中の人々を襲った。
震源は関東地区全域。深さは10Km、マグニチュードは6.5であった。
火星転移以降、国土やインフラ設備の強靭化、そして迅速な異常事態対応に特化した政府対応で一部の火災や倉庫の倒壊だけで被害は収まり、人的損失は無かった。
だが、火星転移後初の巨大地震を日本国気象庁は感知出来ず、緊急地震速報も稼働しなかった為、気象庁に苦情の電話やメールが殺到した。
気象庁から報告を受けた岩崎官房長官は、事の重大性を鑑みると、直ちに横浜の大月家へ連絡を入れた。
地震発生原因がYouTube動画を視た者の地球帰還願望であり、その願望が日本列島生態環境保護育成プログラムを突き動かした可能性が大きいと、推測した為である。
☨ ☨ ☨
2026年(令和8年)9月18日 午前6時30分【神奈川県横浜市神奈川区 NEWイワフネハウス】
共同ダイニングルームの壁かけ液晶テレビから、朝の経済番組が流れていた。
『昨日の東京証券取引所では、シャドウ帝国との戦争が終結を迎えた事から地球復興への期待感から建設・運輸銘柄を中心に幅広い買い注文が殺到、日経平均株価は2万9,800円と2週間続けて続伸となり、2020年の日本列島火星転移以降、最高値を更新しました……』
『市場関係者の間では、地球復興へ向けて需要が高まると予想される、惑星間輸送大手ミツル商事の保有株式を、政府がどのタイミングで市場へ放出するかに注目が集まっています』
「あれ?地震関連ニュースが直後に報道された以外は見当たらないけど、報道管制?」
地震の情報が報道されていない事を訝しがりつつも、浅漬けを摘む満。
「……それにしても、シャドウ帝国指導者のダグリウスが未だ行方不明だというのに、世間は気が早いですね」
世間の反応を嘆きながら、半熟ベーコンエッグを上手く箸で摘みあげて口へ運ぶ春日。
「地球はまだ惑星規模の火山灰による酸性化や、放射能汚染問題、生き残った統合政府市民?の救済で商売なんて二の次でしょうに……」
春日に同調して呆れ顔の岬。
「それで、地球へ派遣した自衛隊は、今度はダグリウス追跡で木星へ向かうんですかね?」
琴乃羽美鶴があらびきソーセージに舌鼓を打った後に、社長である大月満に訊く。
「いや、それは当分無いと思うよ。
月面の東山さんから明け方に報告を受けたのだけど、市ヶ谷司令部にエリア51からダグリウスが木星へ脱出した可能性が有ると結から一報が入ったものの、地球復興を優先すべきとイスラエル連邦が強く主張したから、各国部隊は地球で足止めを食らっているらしい。
イワフネさんが同行している木星探索隊も、正体不明のエネルギー体が木星に突入した事を観測した様だけど、衝突の痕跡や原住生物による目撃情報とかは結局得られなかったみたいだね」
浅漬けのキュウリをポリポリと齧りながら答える満。
「戦争が終わった途端に利害の対立とは、人類の業の深さが感じられますね……」
ひとしきり朝食を食べ終えた岬渚紗がこぶ茶を飲みながら呟く。
「でも、その状況を何とかしようと澁澤首相が横浜で地球連合防衛サミットを開くみたいですし……。イスラエル連邦も含め生き残った人類各国が一同に集まりますから、この状況は好転すると思いますよぅ?」
朝からため息が漏れそうな食卓を元気づけようと、ひかりがフォローを試みる。
「そちらは首相官邸に任せるしかないね。
会社が国有化されて実質的な経営権が政府に移ってから、雇われ社長の僕は自由に動けないしね……。
ところで美衣子、深夜に起きた地震だけど、あれから何か解ったかな?」
満が、黙々と茶碗蒸しを流し込むように平らげる美衣子に訊く。
「げぷっ……。
あの地震が起こる直前、You Tubeで地球帰還を煽る動画が投稿された事が解ったわ」
銀杏のほろ苦さを味わって呑み込んだ美衣子が答えながら、食卓上の空間にホログラム映像で問題となった動画を映す。
「……やはり日本列島生態環境保護育成プログラムが、日本国民の帰還願望に突き動かされて発動したと考えるべき」
二皿目となる塩鮭の切り身をぺろりと平らげた結が、美衣子の後に説明する。
結は人類反攻作戦終了後に日本国政府が、国有化したミツル商事への干渉を強めた為に自由な活動が出来ない事を嘆き、岩崎官房長官に暇乞いをして後の管理を東山に任せて火星へ帰還していた。
「寒くて暗くて、火山灰と巨大ワームだらけの場所へ帰りたいだなんて……おかしいっス」
地球でのワイズマン中佐との任務を思い出した瑠奈が、暗い表情で呟く。
「完全に野党のプロパガンダだって事は、誰の目にも明らかだけどね。
だけど地球帰還と言うフレーズは、今まで皆が心の奥底に持っていただけあって、インパクトが凄いんだよなぁ……」
朝食を食べ終えて一息ついた満は、美衣子がホログラム表示したYou Tube動画を視ながら呟くのだった。
「あ、地球帰還と言えば、例の"訪問者三姉妹"は見つかったんですか?」
長崎・五島列島でのマリネ襲撃体験を不意に思い出した春日が満に訊く。
「未だ行方知れずのままだよ。
月面ユニオンシティの全地球観測システムや高感度地球観測センサーにも反応が無い様だね」
満が答える。
「……北米攻略指揮官だった鷹匠少将やロイド提督、ジョーンズ中将からの報告を聴く限り、地球で相応の"力"を行使した事は明らかよ。
そして、その"力"の行使には代償が大きかったと言う事ね。恐らく、当分は大人しくしていると思うわ」
美衣子が満の答えを捕捉する。
「だけど、あの三姉妹は結構逞しい所が有るし、美衣子達の電撃お仕置きを受けてもぴんぴんしていたから、大丈夫じゃないかな?」
満が楽観的に春日へ応える。
大月家とミツル商事の面々は、ひとしきり訪問者三姉妹や地震の話題、国有化されたミツル商事の行く末について、取り止めなく話していたが、テレビから流れるニュースを聴くと雑談を中断して、再び其方へ視線を向ける。
『—――—――地球派遣群の陸上自衛隊第7師団隊員戦死者113名の遺骨を載せたチャーター便が先程、羽田国際・宇宙空港に到着しました。
シャドウ帝国本拠地だった北米大陸エリア51を攻略した第7師団は、未来兵器を装備した強力なシャドウ帝国軍の激しい抵抗を受け、戦車連隊を中心に大きな損害を受けました。
戦死された隊員の遺骨はこの後、東京千代田区九段に在る靖国神社で澁澤総理大臣以下全閣僚が参加する鎮魂祭を執り行った後、遺族の方々へと引き渡されます。
以上、羽田国際・宇宙空港からお伝えしました……』
黙ってテレビを視ていた満は、テレビの時刻を確認しておもむろに立ちあがると、黒いスーツの上着を着る。
「……時間だね。そろそろ僕達も行こうか」
ひかりへ声を掛ける満。
「そうですねぇ、あなた。お供えのおはぎは沢山用意してありますよぉ」
ひかりも立ち上がって黒のワンピースの上に淡い色のショールを羽織る。
「中佐がお待ちかねっス!」
黒いワンピースを着た瑠奈が玄関口へ駆けていく。
今日は、地球英国上空で戦死したワイズマン中佐の墓参りへ、大月家とミツル商事の面々で行く日だった。
『———野党からは、自衛隊発足以来最悪の戦死者数を出した今回の作戦行動について、防衛省の責任を問う声が高まっており、立憲地球党の我妻党首は、訪問先の人類都市ガリラヤで記者団に対し、北米攻略指揮官だった鷹匠少将に対する証人喚問並びに桑田防衛大臣への辞任要求、澁澤総理大臣の任命責任を追及し、澁澤内閣を総辞職へ追い込む意向を示しました。
これに対し岩崎官房長官は、自衛隊作戦行動は地球連合防衛条約に基づいたもので有ると強調しました。
そして、岩崎官房長官は戦死者を政局の道具として使う野党の姿勢について、政治家として全く理解し難いものだと強い口調で不快感を———』
点けっぱなしのテレビからは、政府の対応を批判するニュースが流れていたが、先程まで食堂に居た者は皆、墓参りの支度をする為に自室へ戻っており、耳を傾ける者は誰も居なかった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・大月満=元ミツル商事社長。
・大月ひかり=元ミツル商事監査役。
*イラストはイラストレーター 七七七 様です。
・大月 美衣子=マルス・アカデミー・日本列島生物環境保護育成プログラム人工知能。
*イラストは絵師 里音様です。
・大月 結=マルス・アカデミー・尖山基地管理人工知能。マルス三姉妹の二女。
*イラストは絵師 里音様です。
・大月 瑠奈=マルス・アカデミー・地球観測天体「月」管理人工知能。マルス三姉妹の三女。
イラストは絵師 里音様です。
・岬 渚紗=ミツル商事海洋養殖部門、医療開発部門担当。海洋生物学博士。
*イラストはイラストレーター更江様です。
・琴乃羽 美鶴=ミツル商事サブカルチャー部門責任者。言語学研究博士。少し腐っている。
イラストはイラストレーター更江様です。




