ユメウツツ
――――――彼、ソーンダイクの意識は随分と長い時間、夢幻空間を浮遊しながら月面を漂い、灰色に変わり果てた地球を見下ろしていた。
朧げな記憶を辿るとISS(国際宇宙ステーション)での宇宙飛行士生活、尺変していく地球を成す術も無く、呆然と見つめて無力感を痛感した日々が思い起こされた。
そして、ささやかだが精一杯背伸びした輝きを感じさせる、月面都市の光景が彼の意識に追加投影されていく。
あそこで何か大切な事をしていた様な気がする……と更に記憶を呼び起こして取り戻そうとするのだが、夢幻空間のもたらす浮遊感覚がそれら儚い記憶と意識を"雑事"として均質化させようと浸食を試みて来る。
僅かに残る彼の思念が記憶を護り、自我を存続させようと抵抗すると、浸食を試みていた浮遊感覚が後退していく。
延々と無限に続く、思念とユメウツツな浮遊感覚の攻防戦の最中に"新たな存在"が彼の意識に囁く。
その囁きは地球や太陽系内に存在する惑星とは違う、何処か別の恒星系から移動して来る"幾つもの巨大浮遊大陸"から発せられている様だった。
『おいっ!いい加減に起きないとヤバいのだぞっ!』『起床のお時間ですぅ~』
妹が兄を叩き起こす様な輝美の声に続き、のんびりおっとりした守美の声が彼の意識を解き覚まそうと促していく。
朦朧とした彼の意識が研ぎ澄まされていく中、硬直していた彼の身体が段々と拡がる緑色の眩い光に包まれて解き解されていく。
そして、眩いものの安らぎを感じる光が彼の意識一杯に広がると、神々しい女性達の声が響き渡った。
『祖はヒトなり。
救星の主に願う。
自らが求める姿に今一度戻らん!』
眩い緑色の輝きが弾ける様に虚空へ飛び散った後、"ユニオンシティ代表ソーンダイク"は視界を取り戻した。
人工照明に照らされた月面都市地下空間に立ち尽くすヒトと樹木の群れが、ソーンダイク代表の目に入ってくる。
「……みんな。よく無事でっ!」
傍らで呆然と立ち尽くしていた補佐官を見つけ、直ぐさま駆け寄ろうとしたものの、身体が自由に動かない。
不審に思ったソーンダイクが自分の身体を見下ろすと、地面にしっかりと張り付いた逞しい"根"、茶色いゴツゴツとした"幹"、左右へ広がる若葉に覆われた幾つもの"枝"だった。
「……~っ!!(なっ!?何だこれは!)」
思わず叫ぼうとしたソーンダイクだったが、頭では言語を意識しているのだが、喉から言葉が出て来ず、唸り声しか出て来ない。
言葉を発しようと四苦八苦するソーンダイクは、視界を取り戻す寸前の意識が垣間見た、何処か別の恒星系から移動して来る"幾つもの巨大浮遊大陸"の事などすっかり忘れ去っていた。
☨ ☨ ☨
2026年(令和8年)8月17日午後1時【月面都市『ユニオンシティ』郊外 植物化人類収容施設】
月面都市郊外に在る収容施設に急遽集められた防衛軍兵士と、植物化を免れたユニオンシティ市民が、植物化状態から戻ったばかりの人々を広場の片隅に設けられた大型テントへ慌ただしく運び込んでいた。
騒然とした雰囲気の中、ヒトの姿に戻って呆然と立ち尽くしているユニオンシティ市民と、対照的に"物言わぬ樹木"と化してしまった市民を唖然としながら眺めていた東山龍太郎は、"物言わぬ樹木"の間から、不意に聞き覚えのある声を耳にする。
「……その声は、まさかっ!……ソーンダイク代表!?」
東山は、地下広場の中心辺りで唸り声を上げ続けている"1本の樹木"へと駆け寄った。
唸り声を上げる樹木に駆け寄った東山が目にしたのは、樹木真ん中辺りの幹にひょっこりと一体化しているソーンダイク代表の"顔面"だった。
その顔面は、泣き腫らして真っ赤になった眼と鼻水でグシャグシャになっていた。
「……えっと。……まずは、"ヒトの世界へおかえりなさい"と言うべきでしょうか?」
自らが"樹木化"している事に気付き、激しく動揺しているソーンダイク代表を見ながら、どう言葉を掛けて良いか思い悩む東山だった。
☨ ☨ ☨
【月面都市『ユニオンシティ』総合行政庁舎 防衛軍司令部】
司令部要員も殆どが、ヒトの身体を取り戻したユニオンシティ市民の救助活動を手伝う為に、持ち場を離れていた。
司令部の各種機器は人工知能の化身たる大月結一人で十分に事足りていた為、司令席に座って一人黙々と通信・索敵システムを操作する結。
司令部のメインモニターには、郊外施設一面に広がる樹木と、ソーンダイクと思われる樹木の前で途方に暮れる東山達の姿が映し出されている。
「……流石。やるわね黄星姉妹」
呟く結。
次の瞬間、虚空からデレた声が聴こえて来る。
『でへへぇ~照れるです~』『もっ、もっと褒めてもいいのだぞっ!』
結の座る司令席前の空間が緑色に輝くと、揺らめきながら出現する黄星姉妹。
既にドヤ顔の黄星姉妹だった。
「……その割には、樹木の割合が多いと思うのだけど?」
突っ込む結。
『ぐはっ……!』
痛いところを突かれたという顔をする輝美。
『……樹木化したヒトは、長期間の意識漂流で自我を手放してしまったのです~。
……そうなると、流石に普通の植物と変わりませんです~』
困り顔の守美。
「そう。残念だけど、仕方ないわ。火星の人類都市ボレアリフの市民は?」
助けられなかったやるせなさを割り切って、もう一つの大規模植物化人類収容拠点である、火星人類都市ボレアリフの状況を訊く結。
『ボレアリフのヒト達は、殆どがヒトの身体へ戻る事が出来ましたね~。
例の福音システムの電磁波が念入りに多重照射された月面都市と違って、人工衛星1基からの照射だったから"解き解し"も簡単でした~』
報告する守美。
「ありがとう。火星の澁澤や真知子先生にも、貴方達の活躍は伝えておくわ」
やっと感謝する結。
「「~っ!」」
結の感謝を受けて顔をにやけさせながら、虚空でむず痒そうにもだえ苦しむ黄星姉妹。
「それで、次はどうするの?」
『先に地球へ向かった舞姉様に合流するです~』
『舞姉のお助けタイミングはいつも絶妙なのだぞっ!』
結に答える黄星姉妹。
『それでは~』『またなのだぞっ!』
結の目の前の空間を、つま先でとん、と蹴って唐突に消え去る黄星姉妹だった。
「……さて。ジョーンズ達とお父さんに先ずは連絡ね」
テキパキと通信コンソールに向かって通信文を打ちこむ結だった。




