犠牲
2026年(令和8年)7月15日【イングランド島 ニューグラスゴー 地球連合防衛軍(UNEDF)所属 英国連邦極東軍 マンスフィールド級空中戦艦『レナウン』】
ニューグラスゴー沖の北海上空は、火山灰が漂う灰色の空に加え、EMP(電磁パルス)攻撃による強力な電磁波の照射で薄紫色のオーロラが所々に出現する不穏な空模様となっていた。
沖合には、瑠奈が火星ヘラス大陸攻略以来愛用してきた戦闘艦『マロングラッセ』の水没した残骸の一部が顔を覗かせている。
シャドウ帝国軍の核ミサイル攻撃を迎撃後、ワイズマン中佐の犠牲により無事海上に着水したものの瑠奈はエネルギーを消耗し尽くしてしまい、マロングラッセを自己修復する事も出来ずに居た。
瑠奈は、ロイド提督が乗る戦艦『レナウン』の医務室で負傷した右腕の治療を受けた後、割り当てられた個室に閉じ籠もったまま、数日が経過していた。
見かねたロイド提督や女王陛下が、何度も見舞いに訪問したが、瑠奈はベッドの中に潜り込んだまま、一切のコミュニケーションを拒絶し続けた。
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――――――【ニューグラスゴー基地 地球連合防衛軍司令部】
「……今の瑠奈は、精神的にかなりの重傷を負っていると思う」
憂いを含んだ顔をした女王陛下が、モニターの向こうに居る月面都市の結へ瑠奈の状況を伝える。
『そんな瑠奈は見た事が無い。自己診断システムの異常かも』
結が首を捻りながら応える。
「ミス瑠奈は地球創生以来様々な生物の進化を観てきたのであろうが、自分と関わりのある近しい者を亡くす経験は、おそらく初めてではないかのう?」
女王陛下が瑠奈を気遣う。
「このような時、家族が身近に居て、温かく見守るのが一番だと妾は思う。瑠奈は十二分に我が国や地球の為に尽くしてくれた。後は妾達が成すべき事を成すだけじゃ」
『……ヒトの温かい心に感謝を。……瑠奈は私が今から迎えに行くわ』
結は女王陛下に感謝を込めて応えるのだった。
女王陛下との通話を終えた結は、火星の大月夫妻と美衣子に連絡を入れ始めた。
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――――――同時刻【タカマガハラ イスラエル連邦軍『エリア・フジ』司令部】
かつて日本列島が存在していた海域に、再び日本列島と瓜二つの岩塊が着床して12時間が経過していたが、未だ人工日本列島『タカマガハラ』は地球内部のマントル表層に接触すべく沈降を続けていた。
「人工日本列島尚も沈降中。沈降速度毎時1.5m、現在地殻適合率96.5パーセント!」
「全エリアの地殻内部マグマ用循環通路解放」
「マントルからの自然流入を確認。予定されたマグマ溜まりへの供給が可能です」
「沿岸部想定標準海抜まで、あと4.8m」
「タカマガハラ全域において、微弱振動計測中」
巨大質量の沈降と地球地殻部分との接触で、タカマガハラ全体が振動しながら沈んでいく為、海辺はざわざわと海面が波立ち、人口河川の河口には海水が白波を立てて流れ込んでいた。
「着床により、周辺海域の質量急速増大」
「エリアキュウシュウ、エリアホッカイドウから発進した観測機が大規模なツナミ発生を確認。台湾北部からカムチャッカ半島までのユーラシア沿海地域へ、20m級ツナミ複数波が向かっています!」
「各エリア駐留部隊に大ツナミ警報を発令!沿岸警戒を怠るな!南北アメリカ大陸側からの反射波も遅れて来るぞ!」
「月面司令部から、ミス結です!」
心なし少し慌てたような仕草の結がスクリーンに投影されるなり口を開く。
『地球の重力バランスが急激に変動しているわ。タカマガハラを中心に地球内部マントル層の流れが乱れている事が原因よ。……乱れが拡大しているわ』
『……着床とほぼ同時刻に、地殻の一番深い所で地震が発生中。大きな揺れではないけど、とても長い周期で"今も"各地の大陸プレートそのものまで揺らし続けている。
これが引き金となって12時間以内に地球規模の地殻変動が再び起きるわ。世界各地の生存圏に避難を呼びかけた方が賢明』
思わず息を呑むイスラエル司令部要員達。
「了解した。情報提供に感謝する」
未知の脅威に緊張して血の気の引いた将校が応える。
「世界各地の連合軍司令部と生存圏に、緊急警報を発令!第二次大変動が来るぞ!」
将校が叫んでオペレーターに連絡を促す。
タカマガハラが本当の意味で地球に落ち着くまでには、まだ少し時間がかかりそうだった。
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――――――同年7月15日20時【火星 神奈川県横浜市神奈川区 NEWイワフネハウス】
共同ダイニングのテレビでは、英国連邦極東BBC放送の特別報道番組が、地球イングランドからの生中継を伝えていた。
『—――—――お伝えしています様に、シャドウ帝国軍は先程現地時間午前5時ごろ、EMP(電磁パルス)攻撃の影響を逃れた南半球の海中から、世界各地の人類生存圏に向けて大規模な核攻撃を行いました』
カメラの前でマイクを握る現地アンカーはヘルメットを被り、顔色は核シェルターで息を潜めて避難していた時の緊張が未だに残っているのか、蒼白だった。
『ヨーロッパにはこの内、少なくとも100基の弾道ミサイルが飛来しましたが、此処ニューグラスゴー基地には核ミサイルを迎撃出来る施設が殆どありませんでした……』
「待ってくださいジェシカ。では何故、貴方は無事なんです!?」
長崎佐世保のスタジオにいるキャスターが慌てて訊く。
『……はい。ヨーロッパ消滅の危機は、一人のイスラエル兵士の尊い犠牲によって回避されました』
画面がアンカーから録画された粗い画像に切り替わる。
暗い宇宙空間の右側から、オレンジ色の光点が素早く画面を横切ろうとすると、左下から伸びてきた白い光と幾筋もの薄い煙を引くミサイルがオレンジ色の光点に接触、花火のように短くバチッと火花を散らしては消えていく。
『この映像は、先程私達極東BBCが、連合防衛軍司令部から独占的に入手したものです。—――—――画面右奥から飛来するミサイルを、左下からレーザー光線と迎撃ミサイルが次々と撃破しています』
『このレーザーとミサイルは、此処ニューグラスゴー基地を飛び立ったF45宇宙戦闘機によるもので、戦闘機のパイロットは、たまたま基地に居合わせた非番のイスラエル軍特殊部隊の兵士でした……』
次の画像は地上から撮影したもので、灰色の空の遥か上空から、ゆっくりとオレンジ色の炎と白煙を引きながら、幾つもの破片が落下してくる所を映したものだった。
『司令部によりますと、ミツル商事警備艦と核ミサイル攻撃を防ぎきったF45は、基地へ帰投する直前、衛星軌道上に展開していたシャドウ帝国軍機動部隊と交戦状態になり、敵部隊を撃破したものの、燃料不足で高度を維持出来ずに大気圏に突入して爆発してしまったとの事です』
『映像をご覧の様に、搭乗していたパイロットの生存は絶望的と言う事です……。
パイロットは、イスラエル連邦軍特殊部隊に所属するペレス・ワイズマン中佐でした。ヨーロッパは一人のイスラエル人兵士による尊い犠牲によって、救われたのです――――――ニューグラスゴーからジェシカ・マクラーレンがお伝えしました』
「……そんな。ワイズマン中佐が」
呆然と呟くひかり。
ダイニングで夕食後のお茶を飲んでいた大月夫妻や岬、琴乃羽達ミツル商事の面々は、カップを握りしめたまま、茫然と画面を見つめていた。
そんなダイニングに、地下の研究室から戻って来た美衣子が入ってくると、満に近寄ってタブレット端末を差し出す。
「お父さん、月面の結からよ。瑠奈が……」
美衣子は最後まで言い切らずに言葉を濁す。
怪訝そうな顔で端末を手に取る満だったが、画面に伝達された内容を見ると険しい顔で美衣子に尋ねる。
「美衣子。今直ぐに瑠奈の所へ行きたいのだけれど、どうすればいい?」




