地球の一番長い日【後編】
2026年(令和8年)7月8日【地球中東 旧トルコカッパドキア地方 地下都市『新テルアビブ』 首相官邸】
会議室で閣僚らと作戦進行を見守っていたニタニエフ首相に、モサド(諜報特務庁)長官が近寄る。
「首相閣下。マルス・アカデミー・先遣隊と名乗る存在から、ホットラインが入っています」
「マルス・アカデミーだと!?」
怪訝な顔をしながらモサド長官から受話器を取るニタニエフ。
『初めましてベンジャミン・ニタニエフ首相閣下。突然のご無礼をお許しください……私は、マルス・アカデミー・プレアデスコロニー第5惑星再生船団、先遣隊隊長のリアと申します。本日は貴国市民の脱出支援を申し出る為に、連絡を入れました』
「……っ!とんでもない!リア隊長、お申し出には感謝する。だが、我が国の国民は未だ650万を超えている。どうやって輸送するのかね?」
突然の申し出に一瞬惚けたニタニエフ首相だったが、直ぐに我に返る。
『現在、貴国が管理する人工日本列島"タカマガハラ"降下を支援する基幹母艦船団が衛星軌道上で待機中です。人工日本列島の極東降下後、貴国へ基幹母艦船団を差し向け、皆様の脱出支援に当たる考えです』
「……なんと。有り難い。どれくらいの国民を一度に運べるのだろうか?」
感嘆しながら尋ねるニタニエフ首相。
『手荷物程度で済むならば、1隻当たり5万人ですね。貴国と人工日本列島を往復する形で考えています。基幹母艦は全部で20隻ですから、1往復当たり100万人になりますね。おそらく、6往復で収まるのでは?むしろ、母艦への収容作業に時間がかかるかもしれません』
事も無げに説明するリア隊長。
「そう……なのですか。驚きを通り越して惚けてしまいそうです。貴船団が収容作業中、我が軍は全力を持って皆さんを警護しましょう」
『警護に感謝します。どうにも私達は戦争というものに疎いものでして……』
通話を終えたニタニエフは、モサド長官と国防大臣に向き直ると、
「我が国の国民全てが救われる目途が立った!
作戦変更!我々はカッパドキア地区に飛来するマルス・アカデミー・母艦船団と人工日本列島への回廊を防衛する」
「それでは、反攻作戦の足並みが乱れるのでは?」
ニタニエフ首相に国防大臣が懸念事項を指摘する。
「問題ない。もともと我々は中東戦線でのみ活動していたのだ。戦線への影響は無いだろう。だが、同盟国への通知は必要だな。
月面のミスター東山と、火星のケビン首相に連絡を取って我々の作戦行動変更を通知するのだ!」
「……神に選ばれた我々が、地球復興の表舞台に立つ日も近い」
ニタニエフは小さく呟くと、口角を少しだけ吊り上げて微笑むだった。
♰ ♰ ♰
――――――【月面都市ユニオンシティ臨時連合防衛軍司令部】
反攻作戦の前段階であるニュートリノ・ビーム発射準備を迎えた司令部は慌ただしさを増していた。
「ニュートリノビーム砲台、エネルギー充填120パーセント!」
「地表発射孔開け!」
「地球北米大陸を中心とする北半球が射界に入りました!」
「本当に120パーセントまで充填するんだ……」
軍人ではない素人の東山が、後方の司令官席で場違いな感想を呟いていた。
「先行している『ホワイトピース』から入電!地上監視システムが北米、ユーラシア東部から多数の飛翔体発射を確認!現在も飛翔体発射が継続中!400基を超えました!」
「結さん!」
慌てた東山が司令官席の直ぐ傍でゴーグルを装着している結に声を掛ける。
「慌てない。慌てない。落ち着いて。すぐ撃つわ……」
動揺する東山の声に惑わされず、マイペースにライフル型の発射装置を構えた結がゆっくりとトリガーを引く。
ユニオンシティ郊外のマルス・アカデミー・地球観測施設から、巨大な眼に見えない光の渦が発射されると、先行していたホワイトピースを始めとする地球降下部隊や人工日本列島上空を掠めるように伸びていき、北米大陸中央上空で扇形に拡散すると北半球全域へと広がっていく。
「飛翔体次々と失速!機能停止した模様!」
「この機を逃さないで。反攻作戦開始よ!」
結が地球上に居るロイド提督やジョーンズ中将に呼び掛ける。
「ユーラシア大陸バイコヌール、南米ナスカ、アフリカ大陸キリマンジャロから飛翔体群上がりました!迎撃部隊と思われます!」
『イスラエル連邦軍人工日本列島管制司令部へ。直ちに各12都市と飛翔体発射地区へ向けてデブリ投射開始せよ!』
連合防衛軍総司令部が在る火星日本国市ヶ谷の防衛省本省から作戦指示が出る。
「こちら人工日本列島『タカマガハラ』管制司令部。これより所定の目標へ向け、デブリ投射による戦略爆撃を開始する!」
イスラエル連邦軍司令部から応答が入る。
『ホワイトピースはデブリ空爆後、直ちに北半球及び南米、アフリカ大陸上空にてEMP攻撃を行え!』
連合防衛軍総司令部から続いて指示が出されていく。
衛星軌道上に接近してきた地球降下部隊を迎撃する為に、地上から打ち上げられたシャドウ帝国軍ミグ98宇宙戦闘機と、先行艦隊から発進したF45宇宙戦闘機や自衛隊パワードスーツが北米大陸上空の衛星軌道上で戦闘に突入した。
巨大な岩塊である人工日本列島も極東へ降下する針路を取ってオーストラリア大陸上空で大気圏に突入すると、ゆっくりと下降していくのだった。
地球の一番長い日が始まった。
† † †
――――――【地球 ユーラシア大陸東部 第12都市『氷城』(旧中華人民共和国 黒竜江省 哈爾濱市)】
市場での屋台営業を終えた店主が、朝粥屋台を引いて簡素な住宅前に着いた。
「ふぃー。おーい、帰ったぞい!」
店主が台所で支度中の妻に声をかけた。
「おかえりなさい、あんた。稼ぎはどうだねぇ?」
支度中の手を休める事無く妻が応える。
「……ま、ボチボチだわさ」
屋台を引いて噴き出た汗を拭う。
「お疲れさんだで。夕食は用意してあるから、先に食べてくんなさい」
後ろを振り向きもせずに明日の屋台の仕込みを続ける妻。
「じゃあ、先に食べるとするさね」
店主は一人で居間に用意されていた食事を摂る。
「ええ、どうぞ、どうぞ」
玄関先から居間に消えた店主を妻の背中が見守るように追いかける。
妻の後ろ髪の隙間から覗いた無線LANアンテナがオヤジの額から発信された今日の顧客データーを受信した。
「朝客ノNO.1200667黄 浩宇ニ反体制的ナ言動ガ見ラレル。統合政府サーバーニデーター転送。本日中ノ思考矯正インストール対応ガ必要ト求ム」
機械的な小さい呟きは寝入った店主に聴かれる事は無かった。
店主の妻は店主が寝床に入って就寝してもひたすら仕込みを続けていた。
まるで単純作業を延々と続ける機械の様に、長袖シャツの中に隠されたセラミックの腕をトントンと小気味良く動かしていた。
両眼に当たる位置に装着された剥き出しのカメラレンズを忙しなく収縮させながら具材を均等に刻み込んでいた。
寝台でぐっすりと就寝していた店主の額には寝床から自動的に伸びたLANコードが接続されてその日に有った事をリセットして人類統合政府情報局が市民に植え付けるデーターを新たに受信し続けていた。




