地球の一番長い日【前編】
2026年(令和8年)7月8日 午前5時50分【月面都市ユニオンシティ 総合行政庁舎】
東山の執務室に有る壁掛けTVから、徹夜で政治討論を行う、とある民放番組が流されていた。
『—――—――そうです。私達日本国人民は善良なる地球市民として、母なる惑星の復興に全力を奉げなければなりません。
悲惨な戦争をもたらす地球連合防衛軍増強よりも地球環境再生の為、我が国が率先してヒトや物資を地球へ投入するべきだと、確信するものであります』
左派系リベラルメディアから”次世代政治リーダー”と持てはやされる野党『立憲地球党』我妻党首が、大変動前のナイアガラ滝やギアナ高地の絶景を映した写真をテレビカメラに向けながら、持論である地球回帰政策を主張していた。
『我妻先生の仰る事は大切な事です。
しかし、今年4月から3ヶ月間における東アジア地区の平均気温は、本来雨季から夏季に当たる季節にも関わらず5度です。夜の最低気温に至っては、氷点下10度から20度迄下がります。各国沿岸部で水没した原子力発電所から流れ出る放射能は未だ海洋を汚染し続けています。
放射能汚染が拡がる環境の中、バナナで釘が打てる様な極寒な気候で自給自足出来る農作物の栽培は極めて困難でしょう……』
与党側論客として招かれた岩崎官房長官が、東アジア地区の平均気温をグラフ化したパネルをカメラに向けながら説明する。
『また、空気中の火山灰濃度は濃く、呼吸器疾患の方が直接外気を吸われると喘息を引き起こす生命に関わる危険が有ります。
そして、世界中に拡散している火星由来生物=巨大ワームやシャドウ・マルスが放ったサイボーグ・ワームの駆逐はこれからです。
近々予定される人類反攻作戦次第では、さらなる地球環境の激変が懸念される中、現時点での地球回帰政策は時期尚早と言わざるを得ません』
岩崎官房長官が我妻議員に反論する。
「岩崎さんも大変だ。月面まで来もせずに、地球再生を唱えるだけの野党は、火星で夢見るだけの恵まれたご身分だな」
岩崎を労わる様に呟くと、左派政権下野以来、変化する事の無いレトリックを駆使し続ける野党議員を皮肉った。
徹夜で物資補給に没頭していた東山は、テレビ討論の空虚な議論を聴きながら、補給関連書類を精査していた手を休めると、総合庁舎の窓から地球を見上げた。
いつもは荒涼とした月面に浮かぶ灰色がかった地球が見えるのだが、今は巨大な岩塊である人工日本列島が東山の視界を遮る様に、マルス基幹母艦船団を従えて浮かんでいる。
「……まさか月面で、空に浮かぶ日本列島を眺める事になるとはね」
東山は暫しお月見ならぬ”列島見”を楽しむのだった。
『ゼロアワーまで30分。各員は、所定の部署で配置に就いてください!』
防衛軍司令部からのアナウンスが月面都市に響きわたる。
「いよいよ、人類が未だ経験した事の無い総力戦が始まるな」
補給関連資料を纏め上げて司令部へ向かう東山龍太郎だった。
♰ ♰ ♰
2026年(令和8年)7月8日午前6時35分【神奈川県横浜市神奈川区NEWイワフネハウス】
イワフネハウスの庭で、6時半のNHKラジオ体操を行う満とひかり、美衣子にミツル商事の面々。
軽快に身体を動かすひかりや岬、春日とは対照的に、運動音痴な満と琴乃羽は、ぜぇぜぇと荒い息を吐きながらぎこちなく身体を捻り、ひかりと岬は楽しそうに満や琴乃羽を見ながら、溌剌とジャンプする。
満は、反攻作戦が近づくと輸送関連業務が激増し、連日連夜の徹夜が続いて帰宅もままならなかったが、美衣子に「家庭崩壊が近いわ」と強くせがまれて、昨晩は一時的に帰宅している。
ラジオ体操の深呼吸を終えると美衣子が一同に告げる。
「そろそろ始まるわ」
程無くチャイムと共にNHK臨時ニュースが流れる。
『地球連合防衛軍司令部 午前6時30分発表。自衛隊地球派遣群を含む地球連合防衛軍は本日未明、地球衛星軌道上に於いて、史上最大規模の反攻作戦を開始しました』
満とひかりの携帯端末が振動して、市ヶ谷司令部からの呼び出しを告げる。
「これから反攻作戦が軌道に乗るまで、家に帰れないかもなぁ……」
げんなりとした声の満。
「私達には、守るべき家族や会社の皆さんが居るのですから」
満の肩に優しく触れて、揉む仕草をしながら励ますひかり。
すると、横で体操後の呼吸を整えていた春日が、満達家族の時間が作れるように気遣う。
「済まんな、春日。少しだけ遅れていくが頼む」
満が軽く頭を下げる。
「了解です。ごゆっくり!」
春日はニッと軽く笑って上着を羽織ると、芝生で伸びていた琴乃羽を岬と共に担いでバス停へと向かった。
ひかりの励ましと春日達の気遣いで、少し元気になった満は、昨晩からシリアス気味な美衣子を気遣って美衣子を後ろから優しく抱え込むと、抱っこから肩車をして食堂に向かう。
「お父さん、ひかり。地球の瑠奈から連絡が有ったから、朝御飯の時に報告したいのだけど?」
肩車された美衣子は、少し満足気に尻尾で満の背中をぺチぺチと軽く叩く。
「いいよ。やるべき事は沢山有るけど、作戦が始まった以上、後は腰を据えて見守るだけだからね」
久しぶりにゆっくりとした朝食になりそうだった。
♰ ♰ ♰
――――――【地球 ユーラシア大陸 極東地区 第12都市(旧中華人民共和国 黒竜江省 ハルピン市)】
黄少佐は、市場の屋台で朝食の朝粥を摂っていた。
第12都市に着任して以来、出勤前に市場で朝粥を食べるのが黄の一日の始まりとなっていた。
朝粥をかき込みながら隣の新聞屋台で購入した朝刊に目を通す。
朝刊には「異星人隕石爆撃敢行!ニューヨーク、東京、ハワイに直撃弾!」と一面で報じていた。
「今まで散々ワシら地球人民を搾取して見下してきた西側の壊滅は、因果応報だわさ」
屋台で客に粥を注いでいた店主が、黄少佐に話しかける。
「だけどオヤジさん。そもそも今日の俺らの文明的生活は、西側の技術革新でもたらされたんじゃないのかい?」
粥をもそもそと口に運びながら黄が問いかける。
「そらぁ、軍人さん、あれだわさ。我らの統合政府主席が、西側との外交戦で技術開示を勝ち取ったんでさぁ!」
屋台の店主が自分の事のように誇らしげに胸を張る。
「……そんなもんかねぇ」
議論を諦めた黄は、むっつりと新聞を読みながら肩を竦めて粥を啜る。
「ほらほら、エリート軍人さんは、さっさと任務に就かないと!」
黄の冷めた反応を見た店主は、渋い顔をして黄にシッシッと手を振る。
「ごっそさん!」
店主に電子マネーで支払いを済ませた黄は、電動自転車に乗ると基地へ向かうのだった。
基地に着いた途端、当直の兵士から緊急招集を知らされて司令部へ駆け付ける。
司令部の中央スクリーンには、地球へ接近する巨大な光点が多数展開しているレーダー解析画面が表示されていた。
光点はじりじりと地球に接近している様だった。
「諸君!火星から飛来したエイリアンが、地球規模で大規模な侵攻を始めた。
これより全ての人類統合政府都市防衛軍は、即時臨戦態勢に入る。
我々は直ちに出撃、北米大陸上空の衛星軌道上で敵を迎え撃つのだ!」
王准将が指令を下した。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・大月 満=元ミツル商事社長。
・大月 ひかり=元ミツル商事監査役。満の妻。
*イラストはイラストレーター/七七七様です。
・大月 美衣子=マルス・アカデミー・日本列島生態環境保護育成プログラム人工知能。
*イラストは絵師 里音様です。
・東山 龍太郎=日本国地球方面特命全権大使兼ミツル商事地球方面支社長。
*イラストレーター 更江様の作品です。
・春日 洋一=ミツル商事海洋養殖産業担当。
*イラストレーター/更江様の作品です。
・岩崎 正宗=日本国内閣官房長官。
・我妻=立憲地球党代表。澁澤政権誕生前の左派政権を担っていた。
・黄 浩宇=少佐。人類統合政府軍宇宙機動部隊パイロット。
・王 子軒=准将。黄の上官。人類統合政府軍宇宙機動部隊隊長。




