選ばれた存在
2026年(令和8年)7月1日【地球 ユーラシア大陸東部地区上空350kmの宇宙空間】
灰色と青色の斑に染まる惑星を眼下に、ロシア製ミグ98宇宙戦闘機の大編隊が大気圏を離脱しようとしていた。
『シェンロンリーダーから各機、間もなく大気圏を完全に離脱する。ブースター切り離し手順に移行せよ。
初仕事は火星人に乗っ取られた人工衛星の破壊だ。これ以上、侵略者に地球の衛星を好きに使わせるな!』
戦闘機部隊隊長王准将からの指示が、黄少佐が被るヘルメットに内蔵されたイヤホンから聴こえてくる。
黄少佐には初めての宇宙空間だったが、これから向かう戦場への不安もあり、鈍くひかり輝く地球と漆黒の宇宙空間との差を堪能する余裕は失われていた。
「メイユウ35、メーデー!切り離し機器に異常あり!ブースターが離れない!
重力に引っ張られて失速中!メーデー!メーデー!」
黄少佐のすぐ後ろを飛んでいた僚機のパイロットが非常事態発生と救助要請を発信する。他の僚機は既に大気圏離脱に使用したブースターを切り離しているのだが、メイユウ35だけは切り離しが出来ずに少しずつ編隊から遅れ、引き離されていく。
『こちらシェンロン・リーダー。メイユウ35の戦線離脱を許可する。幸運を祈る!オーバー』
「こちらメイユウ35、見捨てないでくれ!後続のB2爆撃機の救助を要請する!メーデー!」
必死に縋り付くように呼び掛けるメイユウ35。
『メイユウ35。B2は優先任務が有るので救助には回せない。我々は、貴官の志を決して無駄にはしない!これ以上の通信は、敵に傍受される恐れがある。通信終わり!』
非情な返答をする王准将。
黄少佐のすぐ後ろを飛んでいたミグ98宇宙戦闘機が、さらに失速してブースターもろとも落下していくのをなす術も無くコックピットから見る事しか出来ない黄少佐だった。
失速したメイユウ35の機体は完全に失速して錐揉み状態となって石のように落下すると、斑模様の大気圏に再び接触、断熱圧縮効果で生じた高温に機体を焼かれて爆発四散する。
『シェンロンリーダーより各機へ。我々は戦友の犠牲を忘れてはならない――――――。間もなく最初の目標が見えてくる。全機、衛星破壊ミサイルの安全ロック解除、対空レーザースタンバイ』
王准将が戦闘準備を指示する。
『こちらウラル58。9時の方向から、未確認飛行物体多数接近中!』
大気圏を抜けて漆黒の空間に踊り込もうとしていたミグ宇宙戦闘機の大編隊は、真横から突撃してくる未確認飛行物体に機首を向けた。
汗ばむ掌を何度も宇宙服を着ている足に擦り付けながら操縦桿を握りしめる黄少佐。
「シェンロンリーダーより各機。未確認飛行物体は火星の異星人に指揮された西側諸国の戦闘機だ。皆の奮戦に期待する。人類統合政府万歳!第12都市万歳!」
ミグ98宇宙戦闘機は衛星軌道上において、ユニオンシティ防衛軍のF45宇宙戦闘機とのドッグファイトに突入した。
† † †
2026年(令和8年)7月2日【地球 オーストラリア大陸 ノーザンテリトリ-準州 地球連合防衛軍テナントクリーク基地】
乾燥した砂漠地帯の真ん中に位置する、南半球最後の人類生存圏を護る基地にずらりと並んだ電磁プラットホームには、急ピッチで建造された真新しいシェフィールド級空中輸送艦が発進位置に固定されていた。
シェフィールド級空中輸送艦は、マンスフィールド級空中戦艦を全面改装して輸送能力向上に特化、1隻当たり500名の完全武装兵員を運ぶことが出来る。
翼を付ければ恐らく、旧ソ連空軍のアントノフ大型輸送機に似た景観になるだろう。
「……壮観だな」
地下司令部のモニターに映し出された新造輸送艦隊群を眺めて呟くジョーンズ中将。
「ええ。ミス瑠奈の残してくれた"船これ”レシピに従ってオーストラリア大陸中の空港で火山灰を被っていた旅客機をかき集めて解体、接合し直しただけの物ですが、なかなかどうして、火山灰に塗れた空を平気で飛ぶのですから、大したものです!」
量産化の指揮に当たった技術将校が大絶賛する。
「この輸送艦隊の最初の任務が、中東と月面を往復する弾丸シャトル扱いとは、いささか腹立たしいところだがな」
ジョーンズが皮肉気に言った。
「彼の地はカッパドキア地下都市ですし、近隣のトルコやイスラエル領内主要空港まで距離も有ります。黒海から湧き出す火星原住生物の襲撃も有りますから迂闊に穴倉から出れません」
司令部付きの情報将校が説明した。
「カッパドキア地下都市で落ち着いたと思いきや、そそくさと脱出して月面都市へ一時避難か……。我々に無茶振りするとは、何様かと言う気もするな」
「……中将閣下。地球人類存続の為です」
情報将校が小さい声で宥め、ジョーンズは肩を竦める。
「その事だがな、イスラエル連邦は日本国の手厚い支援を受けるようになってから、要求がエスカレートしている気がするのだが?」
思案するジョーンズ。
「何か気懸りでも?」
「彼らにとって、日本は絶望の只中で手を差し伸べてくれた神に等しい存在だ。
同時に彼らは、こう勘違いしているかもしれん。”我々は神に選ばれた存在である”とな」
直接的な勘でジョーンズが話す。
「私はこの戦乱が収まった後に、地球上でイスラエル連邦が覇権を望むかもしれんと本気で考えるよ」
司令部の天井を見つめながら結論を出すジョーンズ。
「将軍!流石にその発言は不味いです!」
情報将校が今度こそジョーンズに注意する。
「すまんな。取りとめもない爺の戯言だよ。……それで、大脱出の手順はどうなっている?」
話題の転換を図るジョーンズ。
「カッパドキア到着後に輸送艦隊は、ミス瑠奈がブリテン島で開発・製作した宇宙空間航行用ブースターと再突入時に船体を護る耐熱タイル装着を行った上で、イスラエル国民800万人の月面都市へのピストン輸送を開始します。……輸送艦隊が1日に運べる人員は5万人です」
「それでは全然間に合わんぞ。先に人工日本列島が到着してしまうではないか!?」
「はい。見積もりでは、作戦開始時までに避難出来ているのは150万人程度です」
「8割以上の国民を、天変地異の中に置き去りかね!?」
「イスラエル連邦政府も苦渋の決断でしょう。しかし、このままでは全国民が死に絶えてしまいます。
ミツル商事が保有するマルス・アカデミー・シャトルを全て動員出来れば状況は改善されるでしょうが、現在火星からの兵員輸送に徴発されています。
イスラエル国民の輸送に振り向けると反攻作戦参加部隊の集結が遅れ、作戦の遅延に繋がります」
「……むう。悩ましいな」
イスラエル避難計画はこのまま話しても妙案が思いつかないと、情報将校が作戦将校に目配せして、反攻作戦の検討に入ろうと次の議題の資料を広げ始めた。
次の瞬間、地下司令部の室内灯が赤色に切り替わって明滅する。
「敵襲!ディエゴガルシア方面から、巨大ワーム群とB2爆撃機編隊が接近中!IFF応答有りません!」
「オーストラリア大陸全域に緊急警報!オセアニア生存圏最後の砦を死守するのだ!」
今日も慌ただしくジョーンズ中将の一日が始まるのだった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・大月 結=マルス・アカデミー・「尖山基地」管理人工知能。マルス三姉妹の二女。
*イラストは、里音様です。
・東山 龍太郎=日本国内閣官房首相補佐官。日本国地球方面特別全権大使兼ミツル商事地球方面支社長兼連合防衛軍月面基地司令官。ひかりの大学時代の同級生。大月家と関わりを持つ苦労人。
*イラストは、更江様です。
・ジョーンズ=地球連合防衛軍オセアニア生存圏司令官。中将。
・澁澤 太郎=日本国総理大臣。
・ケビン=英国連邦極東首相。
・ベンジャミン・ニタニエフ=イスラエル連邦首相。
・黄 浩宇=少佐。人類統合政府軍宇宙機動部隊パイロット。
・王 子軒=准将。黄の上官。人類統合政府軍宇宙機動部隊隊長。




