反攻前夜
2026年(令和8年)6月15日【火星衛星軌道上 第2衛星『ダイモス』航空・宇宙自衛隊宇宙基地】
「第2ハッブル望遠鏡が、木星方向から急速接近する複数の巨大質量物体を探知!
距離30,000km、秒速5Km、直径1,600Km以上!?」
困惑気味のレーダー管制官が当直司令に報告する。
ダイモス宇宙基地の司令部モニターには、画面一杯にソーラーセイル(太陽風を受け止める「帆」)を展開した人工日本列島が複数のマルス・アカデミー・基幹母艦に先導されながら火星に接近する様子が映し出されている。
当直司令は腕時計を一瞬見ると、暗号コードでの識別確認を指示した。
「……美衣子嬢の事前予告通りだな。
しっかりしろ!これは事前に通過連絡が有った、我々人類が建設した人工日本列島を移送するアステロイドベルト船団だ!マルス・アカデミー・通信システムを使って呼びかけろ!コード『カラメル』!」
航空・宇宙自衛隊では美衣子のアドバイスにより、彗星並みのスピードで飛来する物体との通信では通常電波では雑音が酷いことからマルス・アカデミーが利用するPエネルギー(惑星磁力線)を利用した新しい通信システムを利用している。暗号誰何コードまで美衣子が考案した優れもの?である。
「こちら日本国航空・宇宙自衛隊ダイモス宇宙基地。接近中の物体に告ぐ。コード『カラメル』!」
『良く聴こえる。コード「プリン」、相性は良さそうだ。こちら人工日本列島『タカマガハラ』管制イスラエル連邦軍司令部』
通信オペレーターの問いかけに間髪入れずに明瞭な音声で返答が入る。
「お帰りというべきか、行ってらっしゃいと言うべきか……貴官らの幸運を祈る」
『日本国と火星諸国の支援に感謝を。我々は地球へ”帰還する”……貴官らに絶対神ヤハウェイの加護があらん事を』
自衛隊の呼びかけに、感極まった様子でユダヤ教が信奉する神様の祝福で答えるイスラエル連邦軍司令部。
宇宙望遠鏡や宇宙基地からの望遠映像では分からないが、彗星並みの速度で火星近傍を通過する物体の大きさは”最も小さい”マルス・アカデミー・基幹母艦でさえ直径20Kmである。
人工日本列島に至っては直径1,600Kmと人類の想像を超えており、火星地上からでも天体望遠鏡で確認できる程だった。
「……自分は、夢を視ているのでしょうか?」
顔を司令席に向けていないものの、口調から呆けた顔であろうことは確実な若い通信オペレーターが呟く。
「今は当直勤務中だ。居眠りしているならば外の空気を吸って来い!空気が有ればの話だがな!」
本来であればとっくに定年退役している筈の当直司令が、しわがれた声で面白気に応える。
当直司令は定年退職後、生まれ故郷である東北地方の田舎で畑仕事をしていたが、桑田防衛大臣自ら田舎に来訪して現役復帰を要請してきたので"人生最後のご奉公"とも言うべき古巣に戻っていた。
人類反攻作戦参加の為に、日本国自衛隊を始めとする殆どの部隊が地球へ向かっており、日本列島防衛に必要最低限の戦力を確保する為日本国政府は、時限立法で自衛隊や民間軍事会社(PMC)で採用する職員の年齢制限を75歳までに引き上げていた。
「ふむ。突発事態に慣れていない所は、今も昔も変わりないようだな」
昭和62年の東京大停電時(*)に、富山湾へ緊急出動した海上自衛隊護衛艦艦長を務めた当直司令は小さくため息を吐いて呟くのだった。
(*第15話「タカミムスビ」ご参照)
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――――――同時刻【東京都新宿区市ヶ谷 防衛省総合指令センター(地球連合防衛軍司令部)】
総合指令センターのメインモニターは、ダイモス宇宙基地から中継される映像の隣に臨時ニュースを流すNHKや極東BBC放送の中継画面を映していた。
『数時間前に発見され、今も火星に近づいているこの超巨大物体の正体について日本国政府は、日本列島消滅で発生した地球の地殻変動を鎮静化させる為の人工構造物『人工日本列島』であると説明しています。第1衛星フォボスの英国連邦極東・ユーロピア共和国共同宇宙基地から、クラーク記者がお伝えします』
極東BBC放送のテレビカメラが、赤みがかった青い火星を背景に角ばった宇宙服を着て窮屈そうな記者を映し出す。
『ここ衛星フォボスにある英国連邦極東・ユーロピア共和国共同宇宙基地では、第2衛星ダイモスに在る日本国自衛隊の宇宙基地と連携しながら超巨大物体の追跡を行っています。
この超巨大物体は、マルス・アカデミーの技術支援を受けた日本の大手ゼネコンからなる建設共同体(JV)が、半年という驚くべき速さで建設したものです』
『超巨大物体は、日本列島消滅で重力バランスが崩れた地球に着床することで大変動を鎮静化させる目的を持っています。
したがって、この巨大物体は質量もそうですが、形状も日本列島に非常に似通っているということです』
『佐世保ダウニングタウンの公式発表では、火星に駐留していたイスラエル連邦軍から選抜された特殊部隊が駐留してこの超巨大物体を制御しているという事です』
宇宙服の中で説明するクラークのくぐもった声と共に木星方向にズームしたテレビカメラが接近する巨大物体を捉える。
「NHKは、リポーターが現場中継しないのでしょうか?」
たまたま輸送計画の打ち合わせで司令部を訪ねていたミツル商事の大月満社長がふと思い立ったかのように、鷹匠少将に訊く。
「無茶言わんで下さい。台風中継みたいに、レインコートとビニール傘で飛び出そうものなら、即死する場所ですよ?」
呆れた顔で答える鷹匠。
「NHKはブラック企業ではないと、視聴者に言いたいのでしょうかねぇ?」
満の隣で興味深げにモニターを見上げるひかりが皮肉気に言った。
「……それは総務省にでも聞いてください。少なくとも綺麗事を言っていては、自衛隊は務まりません」
首を竦める鷹匠。
「それは……大変失礼いたしました」
軽率な発言に思い至った満が鷹匠少将に謝罪する。ひかりもぺこりと頭を下げる。
「……これで遂に始まりますね」
少しばかり緊張した声音でひかりが呟く。
「ええ。先行している各国輸送部隊は、この人工日本列島とマルス・アカデミー・基幹母艦に順次合流し、地球衛星軌道に到達して反攻作戦が始まります」
鷹匠が応える。
「地球解放と地球環境再生。壮大な作戦ですね……」
満が感無量な声音で呟く。
「はい。我々は出来る事を可能な限り、遂行するのみです」
決然と言う鷹匠。
極東BBC放送のテレビカメラがソーラーセイルを装着した人工日本列島の全景を映し出す。
蛍のように明滅するマルス・アカデミー・基幹母艦船団に導かれるように、巨大な龍がたてがみを靡かせながら、漆黒の宇宙空間を泳いでいるような光景だった。
総合指令センターに詰めていた者は暫しの間、画面に魅入るのだった。
フォボス・ダイモス両宇宙基地の隊員はもとより、火星各地に居る大部分の人々が壮大な天体ショーとも言うべき歴史的映像を視ながら、人類反攻作戦の始まりを実感するのだった。




