クッキー

２０２６年（令和８年）６月１１日午前７時４０分【神奈川県 横浜市 ＮＥＷイワフネハウス 屋上】

　首相官邸に報告を終えた大月夫妻と美衣子、訪問者三姉妹は、地下の格納庫から久しぶりにアダムスキー型連絡艇に乗り込んだ。

　操縦席に美衣子が収まり、その後ろには満とひかりが隣り合わせの座席に座った。

「こちらマルス・アカデミー・ヨコハマ。以後ＭＹとするわ。広島県呉の海上自衛隊基地へ向かうわ。厚木管制の離陸許可を求めるわ」

『こちら厚木。お久しぶりですミス・ミイコ。離陸許可します。

　緊急非常事態宣言に基づき国土交通省から、日本上空の民間航空機は長崎沖の怪獣に撃ち落とされる可能性があるので飛行禁止となっています。ミイコ殿もお気をつけて』

美衣子のコールに厚木基地の海上自衛隊管制官が応える。

　

「厚木の手厚い案内に感謝するわ。ＭＹ、高度２００で呉に向かう。テイクオフ」

　飛行機のシミュレーターを体験したのか、やけに飛行機パイロットらしいやり取りを行ってＮＥＷイワフネハウスの屋上からアダムスキー型連絡艇を浮上させる美衣子。

「ひかり。呉基地には３０分程で到着するからそれまではオートパイロットで大丈夫だから朝のお菓子を頂戴」

さりげなく恒例でもない朝のおやつタイムを要求する美衣子。

「しょうがないですねぇ。これから大変になりますし、今日は大目にみますか。

　昨日お見舞いで焼いたクッキーの余りがあるからそれでいいわよね？」

ひかりが苦笑してカバンからクッキー缶を取り出す。

「じゃあ、僕はお茶を容れるよ。美衣子、お茶の葉はコクピットの下の引き出しだよね？」

　いそいそと満がお茶くみ係に立候補して、勝手知ったる顔で操縦席の近くからお茶セットを取り出すと準備を始める。

「……あのぉ～ちょっと」

黄星守美が遠慮がちに大月家一同を窺うよう声をかける。

「私達はどうしてこのような体勢なのでしょうか～？」

　黄星三姉妹は布団でぐるぐるに巻かれた上で、底引き網にも使われる強力なロープで簀巻きにされて連絡艇後部座席付近の床に転がされていた。

「簡単な話よ。貴方達が勝手に動くと、何が起こるかわからないから大人しくしていて欲しいから特別装備を使用している訳よ」

　操縦席から後ろを振り返りもせずに、ひかりの差し出したクッキーをポリポリ齧りながら答える美衣子。

「そんな～」

「貴方達の事だからどうせ、抜け出そうとすれば簡単な筈よ。今回は、物事の正しい対処の仕方を学んでもらうわよ」

弱音を吐く守美に美衣子が指導教官の顔で告げる。

「まさか美衣子から物事の正しさを教わる日が来ようとは……」

　何故か目頭が熱くなって瞳から液体が溢れるのを、満はクッキーのジンジャー風味と砂糖の代わりに間違って使われた岩塩のせいだと思い込むことにした。

「どうして感動的な場面を装って、私のクッキーをディスるのですかぁ？」

素敵な陰のある笑顔で満に詰め寄るひかり。

　二度目となる火星原住生物の日本本土上陸を前にした和やかなひと時だった。

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――――――その少し後【東京都世田谷区三宿 自衛隊中央病院】

「……ぶへっ！」

　朝食後のひと時。英国連邦極東ケビン首相から見舞い品として送られた紅茶を嗜みつつ、お茶請けとして口の中にひかりの手作り焼き菓子を含んだ途端、勢いよく吐き出して咳込むと床に倒れ込む澁澤真知子。

「っ！？どうしたっ！真知子！」

　見舞いに訪れていた澁澤太郎総理が、床に蹲っている涙目の真知子のもとへ駆け寄る。

「この菓子かっ！ぐはっ！」

真知子が抱えていた菓子箱の中身を口に含むなり咽かえる澁澤太郎総理大臣。

「総理！」「洋菓子に毒物混入かっ！」「化学防護部隊に緊急出動要請を！」

　慌ただしく病室を封鎖して厳重警戒態勢に入るＳＰだった。

――――――１時間後に全てが明らかにされた後、自衛隊中央病院では見舞に訪れる者の”手作り菓子”は出来栄えを問わず、持ち込みが禁止されてしまったという。

　この出来事は手作り者の名誉を慮った岩崎官房長官により公表される事はなく、大月満と美衣子のみに伝えられたのだった。

　そして、澁澤真知子先生の木星探査隊同行は取り止めとなったのである。

――――――その日午後【広島県呉市 海上自衛隊呉基地】

「さあ、おやつの時間ね。みんなでクッキーを食べましょう」

いそいそとお茶の準備と手作りクッキーを並べるひかり。

「「……」」

　どうしたものかと顔を見合わせて途方に暮れる満と美衣子だった。