USO
2021年(令和3年)に起きた”火星転移”当時、日本国内に居留していた英国を始めとする欧米諸国民を保護するあたって、膨大な対処能力が日本国政府に求められていた。
しかし日本国政府内では中央省庁はもとより、地方自治体レベルにおいても日本国民保護で手一杯であり、生活習慣や文化の異なる諸国民を保護する事は人的物的にも不可能だった。
故に澁澤政権は在留外国人保護について、自国政府で丸抱えするリスクを取らず、アメリカ合衆国やEU諸国等西側在日大使館等に地方自治を認める形で諸国民の保護を委託する基本方針を打ち出した。
大英帝国連邦構成員であるカナダ・オーストラリア・ニュージーランド・インド等各大使館は、首相官邸仲介のもと、英国を始めとする欧州と幕末時代から交流のあった長崎県と協議し、地元住民との”完全対等共存”を前提として、佐世保市ハウステンボス町や過疎に悩む五島列島地区を『英国連邦極東』領土として一時的に租借することで、行き場に困る諸国民を保護したのだった。
英国連邦極東に協力した長崎県には、地方交付税とは別枠で火星ODA枠からインフラ整備費用が捻出され、五島列島に在留英国連邦民向けの住宅や教会が建設され、交通インフラとしての空港・漁港・島内道路の拡大整備が行われた。
豊かな自然環境に恵まれた五島列島が整備された事で、利便性のある一大リゾート施設が新しく長崎県に誕生したのである。
今日では日本列島各地から観光客が殺到し、祝日やGW、夏冬休みには環境を守る為に入島制限が行われるまでの人気スポットとなっている。
ちなみに、ユーロピア共和国も同じ経緯で長崎県と協議した結果、佐世保市ハウステンボス町に隣接した山間を開拓して建国されている。
尤もその開拓規模は英国連邦極東とは対照的に生活圏の確保に限定され、英国連邦極東とは異なった方向性を探っていると外務省は分析している。
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2026年(令和8年)7月10日【火星日本列島 長崎県五島市(五島列島)福江島漁港】
火星転移によって生まれ変わった五島列島に、横浜から来た一組の男女が滞在していた。
「渚紗さん暑いよ~、蕩けそう~。もうひと月になりますけど、そろそろ横浜に帰れないものですかね~?」
改修された漁港の波止場に置かれたデッキチェアに、ダラリともたれかかった琴乃羽美鶴が、犬のように舌を出して喘ぎながら、岬渚紗に問いかける。
「まだまだですよ、美鶴さん。此処へは、あくまでも貴女の体質改善方法を探る為の”療養”として来たのですよ?バカンスオンリーではいけないのですよ?」
相変わらずな琴乃羽に呆れて答える岬渚紗。
「そうなんですか?てっきり福音システム研究時に被災したお詫びの意味も兼ねて、社長が長崎に出張出来る様に取り計らってくれたと思ったのですか?」
呑気に答える琴乃羽。
「ミツル商事が政府管理下で物資輸送に専念しなければならないご時世では、私達研究者の居場所はありませんからね……」
岬は頷くと大月夫妻から琴乃羽達との長崎行きを勧められた時を思い出す。
「ごめんなさいっ!社長じゃなくなるけど、しばらく政府の宅配便に専念しないといけないみたいだから……」
「直ぐには困らないように手は尽くしたから、この機会にじっくり琴乃羽さん達の面倒をよろしくねっ!」
辞任会見直前の大月満社長やひかりから拝み倒さんばかりの勢いで頼まれた時の光景を思い出す岬渚紗。
大月満社長としても自分がスカウトした社員の居場所が無くなる事に罪悪感を感じていたのだろう。
火星と地球を股にかけて急激に発展したミツル商事が世界的複合企業体になっても、社員を大事にする方針に岬は心から感謝していたのだ。
「社長やひかりさんは、美衣子ちゃん達の後始末で大変な時になんだかねぇ……」
「私もこの体質さえなければ、美衣子ちゃん達を手伝ったのにねぇ……」
ぼんやりと漁港から五島灘の景色を眺める岬と琴乃羽だった。
「はっ!?そういえば渚紗さん!この島に温泉あるの知っていました?」
「……美鶴。あなたねぇ」
感傷に耽る空気から、どのような状況でも楽しむスタイルへ変えてしまう琴乃羽のポジティブさに、ある種の感銘を受ける岬だった。
「……美鶴。案内しなさい」
「やっとさんづけ、とれたね~!やりっ!」
漁港に併設されているレンタカーショップでワゴン車を借り受けると、同行者の事を顧みることもなく福江島西海岸にある荒川温泉へ向かう二人だった。
――――――その日夜【福江島漁港】
「……あれ?二人は何処行った?」
岬と琴乃羽の付き添い役(お目付け役とも言う)として付いてきた春日洋一は、二人に頼まれて購入した両手一杯の魚の干物を足元に置いて周囲を見回したが、日が傾きかけた漁港に人影は少なく、途方に暮れてしまうのだった。
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――――――同日午後8時30分【同県五島列島沖合 ユーロピア共和国軍フリゲート艦『アンダルシア』CIC(戦闘管制室)】
1隻のフリゲート艦と大型輸送艦が、アルテミュア大陸西海岸ニューガリアから佐世保港に向かっていた。
大型輸送艦は、地球北米大陸での人類反攻作戦に参加する月面都市ユニオンシティ避難民からなる義勇軍1,500名を輸送していた。
「3時の方向から、海中を急速で接近する物体あり!」
フリゲート艦のソナー員が艦長に報告する。
「識別は?日本海上自衛隊潜水艦による、抜き打ち訓練ではないのか?」
欧州救出作戦でスカンジナビア半島から救出されて火星に辿り着いた経験を持つ艦長が訊く。
「横須賀の自衛艦隊司令部に照会せよ!念の為、第1種戦闘配置!」
地球欧州からマルス・アカデミー・シャトルで運ばれて来た、年代物のスウェーデン海軍フリゲート艦の艦内に、非常ベル音がけたたましく鳴り響く。
「識別(IFF)該当なし!。未確認水中移動物体(USO)更に接近!速過ぎますっ!接触まで1分!」
「やむを得ん!警告攻撃!爆雷投下!」
「横須賀の返事はまだか!?」
焦る艦長。
「自衛艦隊司令部から回答。『当海域で自衛隊艦船の活動はない』との事!」
「となると、”巨大ワーム”という火星原住生物か!?」
非常ベルが鳴り響くCICで状況を考えていると、左舷側を航行していた輸送艦からの衝撃音が艦内にまで響いて来る。
「”何か”が輸送艦艦底部に衝突!浸水被害甚大!」
「本艦の真下を抜けてきたのか!?」
次の瞬間、巨大な水柱を空高く噴き上げながら輸送艦が轟沈した。
「輸送艦『ハノーバー』轟沈」
「なっ!?……ユニオンシティ防衛軍1,500名が乗っていたのだぞっ!」
「全艦オールウェポン・フリー!水面下の敵に、なんでもいいからお見舞いしろっ!
通信士!横須賀に打電、『我USOの襲撃を受けつつあり。至急救援を――――――』
次の瞬間、フリゲート艦『アンダルシア』は海中から伸びてきた巨大な触手に船体を両断されて轟沈した。
生存者は無く、所々に輸送艦や駆逐艦乗員の破片や備品が浮いているだけだった。
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――――――同日午後8時45分【火星衛星軌道 衛星ダイモス 航空・宇宙自衛隊宇宙基地司令部】
「長崎沖を航行していた、ユーロピア共和国輸送船団の反応が消失!」
静止軌道上の多目的衛星を操作していたオペレーターが当直司令に報告する。
「システムエラーじゃないのか?また、シャドウ・マルスのハッキングかもしれん」
当直司令が確認を命じる。
「違います。赤外線レーダー正常!合成開口レーダー異常ありません!衛星コントロールは正常」
「今だ火星の海は人類にとって未知な所が多い。よく視て報告せよ!」
ヘラス大陸攻略からなりを潜めていた巨大ワームの襲撃を、あらかじめ想定している当直司令とオペレーター達だった。
「司令!船団消失海域にて、巨大生物を探知!」
「メイン・モニターへ出せ!」
薄暗い司令部のメイン・モニターが、多目的衛星が撮影中のリアルタイム画像を映し出す。
夜の帳が降り始めた長崎県五島列島沖の海上に、巨大な黒い生物が浮上していた。
「なんだ?暗くてよく分からん。もっとズーム出来んのか?」
当直司令が目を凝らしてモニターを見つめた途端、モニターが一瞬発光して暗転する。
「どうした?故障か?」
「いいえ。静止衛星『みちびき』4号機の通信途絶!反応消失しました!」
「撃墜されたというのか!?」
顔面蒼白となった当直司令は、直ちに市ヶ谷防衛省内に在る統合幕僚監部に繋がる直通電話を取るのだった。
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――――――同日午後9時【福江島西側 丘陵部 ミツル商事保養所】
「ふぃ~。イワシパイばっかりで飽きたのです」
空の皿を眺めながら、琴乃羽が淑女にあるまじきげっぷをする。
「私の手作りイワシパイは琴乃羽さんよりイケてると思うんだけど。……そんなこと言っている割には、人一倍夕食を頬張っていたわよ美鶴」
半目になった岬が指摘する。
「いや~。海の幸が豊富で美味しいのは幸福すぎるのですが、こう毎日お魚尽くしだと……」
琴乃羽がお腹を擦りながら食堂のソファーにダラリともたれかかる。
「琴乃羽さん。関東の人達にとってイワシはまだまだ高級魚なんですから。そんな事言っていると罰があたりますよ?」
漁港で自ら調達したスルメイカの干物をもしゃもしゃ噛む春日が戒める。
「それはそうなんですけどね~」
琴乃羽が口答えしようとした瞬間、轟音と共に海側に面した食堂のガラス窓がビリビリと振動する。
「こんな晩ご飯時に演習?」
首を傾げる琴乃羽。
「こんな時間に英国連邦極東軍が超低空飛行訓練なんて、地元との協定で認められていない筈です」
岬が否定する。
様子を見に食堂から海に面した庭に出ていた春日が、血相を変えて駆け戻ってくる。
「二人とも!逃げるよっ!」
普段は飄々として、のんびりしていた春日の形相が、鬼気迫るものに様変わりしていたので驚く二人。
「何があったの?」
「怪物が空に向かってレーザー撃ってる!」
岬の問いに余裕のない表情で答える春日。
「何それ面白そう!」
「どんな形態でしょうか?」
思わず顔を見合わせる岬と琴乃羽。
「あのビームはやばいっしょ!逃げるよ!島の反対側まで!」
恐れずに興味を持ってしまう二人の反応を見て脱力しかけた春日だったが、気を取り直すと二人の手を引いて庭へ連れ出すのだった。
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――――――そのころNEWイワフネハウス
黄星 舞「そう言えばそろそろアレが着く頃ね」
黄星 守美「お中元ですか~?」
黄星 輝美「ホウライからの迎えなのかっ!?」
事態の深刻さに気づかない訪問者三姉妹だった。




