仮想と現実【前編】
2026年(令和8年)6月6日午前8時【東京都世田谷区三宿駐屯地内 自衛隊中央病院】
ひかりが早起きして作り上げたイワシパイが、ホカホカと湯気を立てる。
「朝から豪勢だな」
「朝だから、ですよぅ」
ひかりがイワシパイを一切れ切り取ると満へ’’あーん’’をした。
満は恥ずかしそうに目を閉じると、ひかりの差し出したフオークにかぶりつく。
「んまーっ!」
思わず声を上げる満にひかりはムフフと微笑む。
「なんか、今日はやけにスパイシーだな……」
「隠し味にニンニクを使ってみましたっ!」
満に抱き着いて頬ずりをするひかり。
「……ゲフン!ゲフン!」
「「はっ!」」
病室の主である琴乃羽の遠慮しない咳払いに、二人だけの世界から戻る満とひかり。
満もコホンとわざとらしい咳払いをして気を取り直すとようやくお見舞いの挨拶をした。
「ところで、琴乃羽さん。”例の症状”はコントロールの見込みが出来たのかな?」
「……なかなか難しくて」
満の問いにちょっと困ったような顔をして答える琴乃羽美鶴。
ひかりが励まそうと、
「美鶴さん!なんでも言って!私で良ければお手伝いするわ!」
「じゃあ、中野の乙女ロードで買ってきてほしい本が……」
献身的なひかりの申し出に目を輝かせてB〇本を注文しようと口を開く琴乃羽。
「はいはーい!すとーっぷ!美鶴。貴女アレが症状のコントロールに役立つと本気で思っているの?」
琴乃羽の機先を制するように病室のドアをがらりと開けて入るなり問いただす岬渚紗。
「もちのロンですともっ!」
間髪入れずに答える琴乃羽。
「……まだまだ時間かかりますね」
「……道は遠いね」
岬の常識的・医学的指導に対抗する琴乃羽を見つめて呟くひかりに満も頷くのだった。
♰ ♰ ♰
病室の壁かけテレビでは、シャドウ・マルスによる電磁波攻撃”福音システム”の収拾についてニュースが流れていた。
『日本国政府の東山特使は、新テルアビブでイスラエル連邦のニタニエフ首相と会談し、月面と火星におけるユニオンシティ地域の生存者と資産については日本国政府が当面保護管理下に置くことを提案しました。
しかし、ニタニエフ首相は地球連合防衛軍司令部の直接統治によって管理することを主張し、会談は平行線のまま終わりました』
「やはりイスラエル連邦は自国に関わるリスクを察知するのが素早いな……」
矢継ぎ早に繰り出されるひかりのイワシパイあーんを堪能しながら東山の苦労を慮る満。
イスラエル連邦と日本国の将来に僅かな不安を感じる一方、もしかしたらと、ある考えをひかりに相談する満だった。
♰ ♰ ♰
【東京都世田谷区三宿駐屯地内 自衛隊中央病院】
「ところで、美衣子ちゃん達は大丈夫ですか?」
岬との論戦に飽きた琴乃羽がひかりに尋ねる。
「……えっと」「……大丈夫だ。彼女達は自分に出来る事を出来うる限り頑張っているよ」
言葉に詰まるひかりに代わって力強く応える満だった。
♰ ♰ ♰
――――――同時刻【東京都千代田区永田町 首相官邸】
首相官邸地下の危機管理センターで澁澤首相はサイバー攻撃と思われる事態の報告を受けていた。
「東京電力によると、原因不明の変電所トラブルで東京西部地区の電力供給が停止、周辺地域に拡大中です」
甘木経産大臣が報告する。
「……例のリアルゲームセンター絡みか」
澁澤が顔を顰める。妻の真知子は依然として意識不明だった。
「秋葉原からの報告では、仮想空間内の米軍横田基地で激しい戦闘が起きているとの事です」
桑田防衛大臣が事態収拾にあたる特殊電子戦闘団からの報告内容を伝える。
駆け込んできた秘書官から渡されたメモを甘木経済産業大臣が読み上げる。
「失礼します、総理。
追加報告によりますと、青森県三沢市、山口県岩国市、神奈川県厚木市、横須賀市、座間市でも原因不明の停電が発生、周辺地域に拡大中です!」
「総理。秋葉原の美衣子さんからです」
岩崎が自らの携帯電話にかかってきた美衣子からの電話を取り次ぐ。
『各地の停電の事は聞いているわね?』
前置きなしで美衣子が話し始めた。
「ええ。日本各地の在日ユニオンシティ基地を中心に停電が拡大しているようです」
澁澤が応える。
『このまま停電が全国に拡大したら、大惨事になるわ』
「もちろんそうなるでしょう。経済が壊滅して社会も破たんするでしょう」
『"その程度"の事を言っているのではないの……』
澁澤の相槌を美衣子が否定して言葉を続ける。
『私は、電源を喪失した場合に陥る原子力発電所の事故を懸念しているの』
「日本列島が放射能汚染で滅びるとでも?」
『それはありえないわ。だけど‘‘原発のある地域だけを残して‘‘日本列島が再転移したらどうなるかしら?』
誰も状況の予測が出来ないまま、室内は沈黙に包まれた。
♰ ♰ ♰
――――――同時刻【東京都千代田区外神田1丁目 自衛隊特殊電子戦闘団 訓練施設内 仮司令部】
秋葉原臨時司令部で仮想空間の状況を移すモニターが、横田基地に飛来する米軍大型輸送機C-5Aギャラクシー編隊を映していた。
輸送機は、次々と戦車や空挺部隊の兵士を果てしなく投下し続けていた。
陸上では横須賀・座間・厚木から増援の米軍ターミネイター兵がJR相模線を利用してJR八高線拝島駅方面から貨物列車で大量に押し寄せていた。
モニターからは仮想空間での音声は拾っていないが、正面ゲートでの激しい戦闘や八高線沿いの引き込み線から基地へ突入して脱線した車両、第5ゲートに突き刺さった巨大な丸太が映し出されていた。
モニターを見上げる美衣子と鷹匠少将は予想外の状況に言葉を失っていた。
「美衣子さん。貴女なら仮想空間に突入して事を治める事が出来るのでは?」
掠れた声で鷹匠が訊く。
「本来であれば可能よ。でも……この空間には‘‘入ることが出来なかった‘‘。原因は不明だけど」
言い淀みながら答える美衣子。
「第5ゲートを突破した攻撃側パーティーは、異色のメンバー揃いですね」
プラズマバズーカで装甲車を撃破し、ガトリングガンで歩兵を蹂躙する女子小学生二人組を驚嘆の眼差しで眺める鷹匠少将。
「当たり前よ。あれが名取と天草の娘達だもの」
部屋の片隅で治療を受ける華子と優美子を視線で指しながら美衣子が応える。鷹匠ははっとして姿勢を正す。
「では、あの日本兵の仮装は、どこの人工知能でしょうか?」
「違う、あれはAIではないわ。列車で突っ込んだ真知子のパーティーに居た存在と同じで”別の何か”じゃないかしら」
「……うーむ」
美衣子の曖昧な表現が理解出来ずに鷹匠は首を捻る。
「それにしても……なんで貴女がそこに居るのかしら……花子」
モニターには、激突の衝撃で丸太から格納庫の屋根へ噴き飛ばされた花子が、目を回して気絶している姿が映されていた。
「……あの仮想空間に創造主たる私がアクセス出来ないのは本来あり得ない事。
仮想空間に居る”意思を持つ何者”かによる拒絶は、日本列島生態環境保護育成システムと同じ隔絶空間の手法!?」
現時点の限られたデータだけでは確証が持てない為、自らが作り上げた仮想空間に未知の存在が潜んでいる可能性について検討を始める美衣子だった。




