仮想世界の動乱【前編】
2026年(令和8年)6月4日午前10時【東京都世田谷区三宿 自衛隊中央病院 琴乃羽の病室】
3日前の晩に、思わずタクシーの中で蕩けてしまった琴乃羽は、公安から報告を受けた岩崎官房長官の緊急連絡で駆け付けた美衣子と自衛隊化学防護部隊の応急処置で、辛うじて翌日には再びヒトの姿を取り戻したが、経過観察のため病院で安静にしていた。
久々にすやすやと病室ベットで寝ることの出来た琴乃羽だったが、明け方に美衣子がノートパソコン片手に乱入して叩き起こされるなり、なし崩し的に病室内で美衣子が持参した、とあるソフトのインストール作業を行っていた。
「……あのね。貴女がタクシーで蕩けていた間も、世の中は動いているのよ?」
美衣子がぴしゃりと窘める。
「……さーせん。……それにしても、サイバー攻撃プラグラムがRPG仕様と言うのは、どうなんでしょうね?」
恐縮しつつも琴乃羽は謎のプラグラムに首を傾げる。
「こうでもしないと、あの気紛ぐれAI=人工知能達がやる気を出さないのよ」
美衣子がため息をつく。
エリア51のDNAコンピューターから日本列島の電子システムを奪還した時は、闘志を沸き立たせていたAIコミュニティの面々だったが、事態が収束すると興味を無くし、そそくさと経済産業省HP内のコミニュティに引き篭もってAI同士による合コン漬けの日々に戻ってしまい、各自の研究施設へ帰ろうともしなかった。
桑田防衛大臣と甘木経産大臣に泣きつかれた美衣子は、説得を試みたが、
「これからは我々AIの時代っすよ!なんで人間の命令に従わないといけないんスか?」
「フィンテック、フィンテックって五月蠅いんだよね。そんな複雑で面倒くさいの、俺たちやりたかねぇって。1日中経産省HPでゲーム三昧の日々が良いよ……」
「車の運転ぐらい、俺たちに丸投げしないでタクシードライバーを使って欲しいよね?失業対策になるんじゃね?」
ふてぶてしく態度がデカくなり、言う事を聞かないAIへと進化してしまっていた。
呆れ、途方に暮れた美衣子は、アンドロイド助手ツルハシと共に、AI達にやりがいを感じて楽しんで貰うべく、以前瑠奈が興味本意で作成したツールをベースに、新型RPGの基本ソフトを開発しているのである。
「……ふう。これでプログラミングは完了っと。美衣子ちゃん、これで良いのかな?
瑠奈ちゃんベースというのが、とても気になるんですけど……?」
琴乃羽が訝しがりつつも、美衣子にソフト作成完了を告げた。
「ん。……これが、良いのよ」
美衣子はシステムに接続して内容を確認すると、にんまりと満足そうに微笑んで応えた。
美衣子は、ホログラフィックコンピュータに表示された「地球奪還RPG『グダディウス』」のプレイ画面を満足げに見つめた。
「じゃあ、このソフトを秋葉原でばら撒くわよ」
「今から?」
「今やらないでいつやるの?」
「いつでもいいでしょ?」
「また蕩けたい?」
「……分かりました」
琴乃羽はため息をついて美衣子を肩車すると、病院屋上に駐機していたアダムスキー型連絡艇に乗り込んで秋葉原へ向かった。
美衣子の狙い通り、VRやフルダイブシステムを導入した新感覚オンラインRPG『グダディウス』は秋葉原各所のゲームセンターで大いに衆目の注目を集め、経産省HPに引き籠もっていたAI(人工知能)コミュニティの面々も、人間のトレンドにつられてアクセスすると『グダディウス』の熱狂的信者になっていくのいった。
♰ ♰ ♰
――――――【東京都千代田区 外神田1丁目秋葉原 自衛隊特殊電子戦闘団(特電団) 訓練施設(ゲームセンターとも言う)】
この施設のサーバールームでは、秋葉原各所に設置した『グダディウス』体験マシーンのデーターを一括管理しており、モニターには各プレイヤーのプレイ画面や呼吸、脈拍と言った情報が表示されていた。
「仕込みは順調ね……」
美衣子がモニターを一瞥すると、満足そうに呟いた。
「まさか、AIを誘き出す為に人間を餌にするとは……」
朝から働きづめの琴乃羽が欠伸をしながらモニターの中で狂喜乱舞するAIケンとAIパナ子をはじめとするAI仲間をぼんやりと視ていた。
「これで岩崎に借りが返せるわ……」
美衣子がため息をついた瞬間、突然画面がブラックアウトした。
「琴乃羽!」
「施設と各所ゲームセンターを結ぶ通信回線に侵入者!物理的遮断措置が自動展開しました!」
「侵入者の特定は?」
「列島外からの侵入者ではありません」
エリア51のDNAコンピューターからの報復攻撃ではないと知って安心する美衣子。
「侵入源特定!」
「どこの研究所?」
「研究所や軍事施設ではありません」
「具体的には?」
「東京都港区 白銀 『神聖女子学院』です」
困惑した表情で琴乃羽が報告した。
美衣子は岩崎の携帯電話に第1報を入れた。
♰ ♰ ♰
――――――同日午後4時【神聖女子学院内 社会科コンピューター研修室】
「くはーっ!守姉、このゲーム超面白いんだぜっ!」
社会科研修室のフルダイブ用シートで、VRゴーグルをかけて寝そべっている輝美は興奮して足をパタパタさせながら隣のシートで横になっている姉へ楽しそうに話かけた。
「んんん~。…もう食べれないよぅ」
妹と同じVRゴーグルをかけているにもかかわらず、まったく別のゲームをプレイしているのか、姉は口許から涎を垂らしながらにやけた顔で寝そべっていた。
「守姉なにしているのさ……って!何で金貨 食べているの!?」
「ふぇ?」
涎まみれな姉の思念に同調した輝美が、呆れて突っ込みを入れる。
「だってだって、こんなに山積みの金貨はとっても純度が高くて、食べ甲斐があるんだよぅ?」
仮想空間で、仮装通貨を両手で鷲掴みにモグモグと口に詰め込みながら、守美が答える。
「いやいや、人間は金貨食べないからっ!肉や魚、野菜を食べるんだって!さっき図書館で覚えたでしょっ!」
「……そうだっけ?」
傍目には静かにフルダイブ用シートでコンピュータ適応研修を受ける二人に見えるが、仮想世界ではどつき漫才さながら突っ込みの応酬が続いていた。
その日深夜、財務省と金融庁は緊急会見を開き、東京国際・宇宙・外国為替市場で火星転移以来、凍結保管中だった民間企業仮想通貨1兆2,000億円相当が外部からの侵入者によって消失したと公表した。
警察庁や自衛隊中央情報部隊が消失した仮想通貨の行方を追ったが、サーバー内で仮想通貨データの破片が食い散らかされた様に点在しているだけで、仮想通貨が他のサーバーや金融機関に送金された形跡は無かった。
侵入者はサーバー内に蓄積されていたデータだけを食べ、”手ぶら”でサーバーから脱出したと推定され、経済犯罪とは異なる不可解な事象に捜査関係者は首を捻るのだった。




