生きてこそ
2026年(令和8年)1月23日【地球 オーストラリア大陸西方1500Kmのインド洋上空】
ノーザン・テリトリー基地から哨戒任務で出撃したマンスフィールド級空中戦艦『キャロライン・ケネディ』が、周辺の海上と空中を走査してディエゴガルシア基地のシャドウ・マルス勢力が侵攻する兆しがないか警戒監視を続けていた。
「艦長、超長波暗号通信を傍受。友軍潜水艦と思われます!」
通信オペレーターが報告する。
「暗号照会による識別を急げ!」
艦長が情報将校を兼ねる通信オペレーターへ指示を出す。
「照合完了。NATO軍所属 英国海軍戦略原子力潜水艦『アガメムノン』です!」
「壊滅したイギリスから撤退してきたのか……付近に艦影は?」
「本艦西方50Kmに複数の大型艦船を探知。IFF照合、英国海軍フリゲート艦『エメラルド』、同駆逐艦『ヴァルキリー』、ユニオンシティ防衛軍イージス艦『ヨークタウン』同病院船『サクラメント』を確認!」
「敵の追撃は受けていないのか!?」
「潜水艦アガメムノンから入電『我、英国本土撤退船団を護衛中。アデレード海軍基地までの護衛を要請する』」
「直ちに司令部へ報告!本艦は船団西方まで進出。ディエゴガルシア基地からのシャドウ・マルスが追尾させているサイボーグ・ワーム群から船団を護衛する!」
ずんぐりむっくりした空中戦艦は針路を西へ向けると、撤退船団上空を通過する形で西方からの攻撃に備えるのだった。
ノーザンテリトリー基地内の仮設宿舎で、澁澤真知子先生からたんまり出された宿題(九九と理科)に頭を悩ませていた瑠奈は、ジョーンズ中将から残存NATO軍と避難民を乗せた船団の護衛要請を引き受けると、直ぐに宿題を放り出し、隣室で仮眠していたワイズマン中佐やイスラエル特殊部隊を叩き起こして『マロングラッセ』に引きずり込んで出撃、避難船団へ合流した。
「こちら、ミツル商事警備保障の瑠奈っス!ロイドおじさんはどこっスか?」
瑠奈が船団指揮官に尋ねた。
「……ロイド提督は、我々を逃す為に女王陛下と共に殿軍に志願され、ニューグラスゴーに留まっておりました」
沈痛な表情で応えるスコットランド訛りの強い指揮官。
「マジっスか!?」
驚いた瑠奈はワイズマン中佐に相談するまでもなく、直ちにマロングラッセを全速力で飛ばしてイングランド島に向かった。
「「「—――—――ぐぉぉおお!」」」
搭乗していたワイズマン中佐や部下のイスラエル特殊部隊の面々は、加速で生じるGに耐えつつ、座席から身動き出来ずに身体を縛り付けられたまま、唖然とするしか無かった。
♰ ♰ ♰
【欧州 イングランド島ニューグラスゴー国際宇宙空港】
アイスランドと沈没したグリーンランド海底火山から降り続く火山灰に覆われたニューグラスゴー国際宇宙空港では、イングランド各地から撤退してきたブリテン島防衛軍残存部隊と、生き残った避難民が次々と日本マルス交通のマルス・アカデミー・大型シャトルに乗り込んで、オーストラリアへピストン輸送する作業が続いていた。
ロイド提督は傍らで侍従と近衛兵に支えられながら気丈に立つ"マイロード"の前に膝まずくと頭を垂れて報告する。
「女王陛下、これが最終便になります。オーストラリアでも避難民をお導き頂きたく、よろしくお願いします」
火山灰による重度の呼吸器疾患で、酸素マスクが手放せない女王陛下だったが、おもむろに酸素マスクを取ると侍従の制止を無視してロイド提督に話し掛ける。
「卿の国民への献身に、心から感謝を……」
女王陛下の言葉にロイドは姿勢を正すと、
「私の失態で多くの兵士と国民を失い、さらに偉大なる祖国の地までをも手放す結果となりました。お詫びのしようもありません」
女王陛下に謝罪するロイド。
「ですが、火星に新しく誕生した連合王国は日本国と共に新しい繁栄を遂げております。火星の臣民は、遠くない時期に地球へ戻ってくる事でしょう……。
其れまでは、私が一命に換えてでもこの国土をお守り致します。女王陛下におかれましては、連邦の一員たるオーストラリアの民と共に――――――」
女王陛下はロイドの言葉を手でそっと遮ると、被せる様に話し掛けた。
「良いのだ、ロイド卿……。卿は十分に役目を果たした。短い時間しか一緒におらなんだが、妾にもわかる――――――」
女王陛下は不意に激しくせき込み、侍従に背中を擦られながらも、ロイドに話し続ける。
「だからなロイドよ……卿が民を最後まで護り導くのじゃ。此れは生きる者として、生きてこその義務じゃ……。この身体ではそう長くは持たぬゆえ、妾は此処で骨を埋める事にする」
そう言うと女王陛下は、ロイドの頭に掌を当てると祝福の言葉を贈り、侍従達と共に空港片隅に在る簡素なテントへ戻っていった。
ロイド提督は、女王陛下がテントの中へ姿を消すまでずっと跪いて頭を垂れたのだった。
空港管制室に戻ったロイドは、非常用マルス製通信システムでジョーンズ中将と連絡を取った。
「ジョーンズ中将。間もなく最後のシャトルが此処を飛び立つ」
『提督の心中、察するに余りあります』
モニターの向こうに映るジョーンズが神妙な顔で慰めの言葉をかける。
「中将、女王陛下はこの地に残る」
『何ですと!?』
「私も此処に残る事にした……」
ロイドは普段話していた口調を捨てて素面でジョーンズに語りかける。
『そんな!』
ジョーンズが絶句する。
「儂は多大な損害を出した敗軍の将ゆえ、責任を取らねばならん」
ロイドが言い張る。
『提督はかつて、私が海兵隊将校として火星シレーヌス海でワームに敗北した際、「生きて責務を果たせ」とおっしゃっいました。私も先日マリーンシティを失陥し、防衛艦隊を全滅に追い込んでおりますが、今もこの地で生き恥を晒しております。
失礼ながら、提督は女王陛下のお心遣いを無駄になさるおつもりですか!?』
「……」
ジョーンズに窘められたロイドが沈黙する。
『ところで提督。我が軍の軍紀を無視した船が1隻、其方へ向かっております。
本来であれば、軍紀違反で軍法会議にかけるまでもなく、即決処罰されるのですが、民間企業の為扱いあぐねておりました。提督にその船の処罰をお任せします。我が軍に規律を守らない者は必要ありませんので』
唐突で不可解な報告をジョーンズ中将は行って一方的に通信が切られた。
「……この期に及んでどのような愚連隊が来るというのだ?」
呆然と嘆くロイド提督。
管制室のレーダー担当が、ロイドの様子を無視して報告の声を挙げる。
「アフリカ西部からイベリア半島を横断してきた飛行物体が、高速で接近中!」
「またシャドウ爆撃機か!」
「IFF受信。ミツル商事戦闘団 多目的戦闘艦『マロングラッセ』です!」
「なんと!」
「『マロングラッセ』から入電。”勘当されたので助けて”との事です」
唖然とした様子のオペレーター。
「……ぷぷっ。わははっ!流石ミス瑠奈……ウイットが効きすぎだ」
呆気に取られたロイドだったが、泣き笑いの様な表情で呟く。
「『マロングラッセ』に返電。「命令違反を犯した者は外出禁止1か月と、おやつは全て没収」と伝えておけ」
ロイドは少しだけニヤリと笑った。
「悪運はまだ少し、私に残っている様だ」
ロイドは小さく呟くと、管制室の中の全員に告げる。
「諸君。ミツル商事と強力な火星人の助っ人がオーストラリアから飛来する。
我々はこれより、援軍の戦艦と共にこの地で抵抗を続けるのだ!」
悲壮な決意に満ちていた管制室の全員から、明るい歓声が挙がった。
こうして瑠奈とワイズマン中佐率いるイスラエル特殊部隊は、ロイド提督の指揮下に入った。
ロイドは殿軍を再編成し、本拠地をニューグラスゴー対岸のアイルランド島ニューベルファスト臨時基地へ移し、レジスタンス部隊として女王陛下と頑なに退去を拒んだ僅かな避難民を護りながら火星からの援軍を待つ事となった。
女王陛下は『マロングラッセ』の医務室で、マルス・アカデミー・再生医療による呼吸器疾患の治療を受けた。
重度の呼吸器疾患であるが、毎日マロングラッセに”通院”した事で症状は徐々に改善されていくのだった。
瑠奈は、毎日治療で訪れる女王陛下とアフタヌーン・ティーを嗜んだり、恋愛シミレーションゲームをして楽しんだのだが、三次元チェスで女王陛下に敗北した際、避難民の待遇改善を要請されるのだった。
瑠奈とワイズマン中佐は、ロイド提督から下された「おやつ&酒類 禁止令」の撤回と王室ご用達プティング製造方法伝授と引き換えに、マロングラッセに搭載しているマルス・アカデミー・医療設備の操作方法を王室侍従やロイド提督配下の将兵にレクチャーしながら避難民の治療にあたるのだった。
瑠奈は、おやつ&酒類禁止令の撤回を勝ち取ると王室料理人から開示されたレシピを元に王室プティングを開発して堪能する事になるのだが、いつしかイングランドレジスタンス部隊では任務で成果を上げた者へ「王室御用達=ロイヤルプティング」が下賜されるのが恒例となるのだった。
王室を敬愛するロイド卿としては「勲章よりもプティングを求めるのは、如何なものか」等と複雑な心境になったりしたのだが、瑠奈がオーストラリア基地から運んできたバーボンウイスキーをワイズマン中佐から贈られると、どうでも良くなって黙認してしまうのだった。




