開戦直後
2026年(令和8年)1月7日午前7時【神奈川県横浜市神奈川区 NEWイワフネハウス ダイニングルーム】
ダイニングルームの壁掛けテレビが、シャドウ・マルスによる電磁波攻撃を受けた月面都市ユニオンシティを映し出していた。
『……NHK月面ユニオンシティ支局に設置しているライブカメラが撮影した、現在のユニオンシティの映像です。
……月面ユニオンシティ支局からの連絡が途絶えている為、民間警備会社の協力で東京渋谷のスタジオから遠隔操作しています』
渋谷のスタジオで遠隔操作機器を扱うミツル商事AI保守業務に携わっている社員が、一瞬だけ映し出される。
ライブカメラが映すユニオンシティ居住区に人影は無く、各所で車輌が建物に突っ込んで黒煙を上げていた。
非常事態発生を報せるサイレンがドーム状の月面都市一帯に鳴り響いているにも拘らず消火に駆け付けたり避難を急ぐ住民の人影は無く、不気味に静まり返っていた。
画面がズームいていくと、路面に赤みがかった黄色い水溜りがあちらこちらに見え、其処には無造作に脱ぎ棄てられた衣類や靴、バッグ、携帯電話が散乱していた。
『……この映像で視る限り、居住区で大規模な下水漏れがあったのでしょうか。
……市民の方々は何処へ避難されたのでしょうか?』
訝しがるキャスターがコメントしていた時、カメラの前に数名の人影が現れた。
『あっ!数名の人が見えます。紺色のスーツを着ている方と制服を着ている方です!
……こちらのカメラに気が付いたのでしょうか?紺色のスーツを着ている方が何かを叫びながらゼスチャーをしています。……黒い髪の毛の男性は日本人の方でしょうか?』
満と共にミツル商事の面々と朝食を食べていたひかりは”日本人”という言葉を聞いて壁面テレビに目を向けると、塩シャケの小骨を突いていた箸を止めテレビ画面に釘付けとなった。
「ええーっ?東山!?」
素っ頓狂な声を上げるひかり。
さらに拡大された画面に映っていたのは、ラグランジュ・ベースに立ち寄った後、ユニオンシティに到着したばかりの東山首相補佐官と、英国皇太孫一行だった。
「……東山さん。どうしたの?」
唖然とする満。
他のミツル商事の面々は、テレビ画面を視たまま箸をあんぐりと口を開けて固まっていた。
「「……はっ!何とかしなくちゃ!」」
我に返った満とひかりは、美衣子と結を連れて首相官邸へ急行し地球派遣部隊への協力を申し出るのだった。
月面都市や地球生存圏の異常事態発生を受け、自衛隊地球派遣準備に取り掛かっていた日本国政府は、王室救護に赴く英国連邦極東軍を乗せた多目的護衛艦『そうりゅう』月面へ派遣する事となった。
ミツル商事の協力申し出を受けた首相官邸は、月面都市の大元であるアルス・アカデミー・地球観測用人工天体『ルンナ』研究室の取り扱いに詳しい大月結に月面同行を要請、応諾した結はアドバイザーとして『そうりゅう』に搭乗することになった。
慌ただしく火星から出発した2週間後、月面都市ユニオンシティに到着した結と英国連邦極東軍特殊部隊、『そうりゅう』搭乗員が目にしたのは、月面都市ユニオンシティ一面に生い茂る"密林"だった。
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2026年(令和8年)1月7日に始まった地球規模の戦争を”第四次世界大戦”と見るか、人類存亡をかけた"真世界大戦"と呼ぶかは後世の歴史家の間で意見が分かれるところだろう。
尤も、その様な感傷に浸る余裕は当時の人々には無かっただろうが(雷撃文庫 サー・R・ソールズベリー著『実録 真世界大戦』前書きより)。
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2026年(令和8年)1月8日午前1時30分【ポーランド共和国 シュチェチン NATO即応部隊司令部】
「将軍!旧ロシア国境から正体不明の機甲軍団が国境を越えて東部グダニスクを制圧、首都ワルシャワも包囲されたとの事です!」
情報将校がNATO即応部隊司令官を務めるイギリス軍小将に報告する。
「ブリュッセルの総司令部は、何と言っておるか?」
細い体躯ながら引き締まった身体の、老練な小将が確認する。
「増援急行中、暫し待たれよ。との事であります!」
情報将校が答える。
「くそっ!馬鹿の1つ覚えもここまで酷いと話にならん!」
悪態をつくイギリス軍少将。
即応部隊司令部からの増援要請に対する総司令部の返答は、開戦以来具体的な内容が何一つ無く、少将は数少ない迎撃部隊を有効な配置に動かす事が出来なかった。
少将と将校たちが苛立ちを募らせる中、司令室に警報音が鳴り響く。
「ノルウェー早期警戒レーダーからミサイル警報!バレンツ海南部からミサイル発射を探知!」
情報将校が叫ぶ。
「数と目標は?」
「120基以上のミサイルを探知!目標は……当基地です!」
次の瞬間、司令部の在る建物全体が轟音に包まれ、小将の視界が真っ白な光に包まれて司令部全員の意識が永遠に断絶した。
午前1時32分、NATO即応部隊司令部は、バレンツ海上空に到達したエリア51のB2ステルス爆撃機が発射する極超音速巡航ミサイル攻撃を受けて潰滅した。
即応部隊司令部が潰滅したために指揮通信系統が寸断され、ポーランド各地に前方展開していたNATO即応部隊は連携を欠いた状況に陥り、旧ロシア方面から押し寄せる謎の機甲軍団になす術も無く敗退、同国西部オーデル川のドイツ国境側に撤退した。
同日午後2時、護る者の居ないポーランドの首都ワルシャワは、怒涛の勢いで進撃してきた謎の機甲軍団に蹂躙され、大変動による天変地異を生き抜いた数万名の市民と共に壊滅したのだった。
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――――――ワルシャワ陥落3時間後【ヨーロッパ上空の地球衛星軌道】
F45宇宙攻撃機編隊が灰色の火山灰と雪雲に覆われたヨーロッパ上空の大気圏すれすれとなる宇宙空間を飛行していた。
『こちらクロッカスリーダー。北海方面からヨーロッパ上空に到達した。合成開口レーダー始動』
特別任務を受けたF45宇宙攻撃機編隊長が母艦に任務開始を連絡する。
『こちら空母「インディペンデンス」。クロッカスはブリュッセルからの指令通り、ドーバー海峡上空からアルプス山脈を経てスカンジナビア半島へ向かうコースを取れ』
『了解した。編隊各機、ダイヤモンド隊形からV字隊形に変更。
俺を含めた1,3,5,7番機は合成開口レーダーによる地上撮影と索敵。
2,4,6,8番機は地上からの迎撃を警戒しろ!9番機は編隊後方に付いて衛星軌道上を警戒しろ!』
月面裏側をパトロールしていたお陰でエリア51の電磁波攻撃を免れた、ユニオンシティ防衛軍宇宙空母『インディペンデンス』と艦載機部隊は、通信の途絶えたユニオンシティ防衛軍司令部所属から一時的にNATO軍所属となり、ベルギー・ブリュッセルにあるNATO軍総司令部から欧州地区の地上撮影及び索敵指令を受けていた。
『こちらクロッカス3番!ポーランド東部に大規模な戦車部隊を探知!規模は3個機甲師団相当!』
『クロッカス7番!ヨーロッパ中部ルーマニア東部にも大規模な戦車部隊!
黒海沿岸部からは上陸部隊を探知—――—――違うっ!上陸部隊じゃないっ!ワームの群れだ!巨大ワームの群れが黒海からルーマニア南部沿岸に侵攻中しているぞっ!』
『クロッカス5番!旧ロシア北部ムルマンスクから、多数の飛翔体を探知!弾道ミサイルじゃない、衛星ロケットか!?』
『クロッカス9番!針路前方70Kmから射撃管制レーダー照射を確認!発信源は、旧ロシア軍事衛星!』
まだ幼い少女パイロットが警告する。
『馬鹿な!?アース・ガルディアからユニオンシティ防衛軍の指揮下に移管された筈だぞ!
9番!IFF(敵味方識別コード)発信を確認しろ!』
クロッカスリーダーが指示を出す。
『こちら9番!IFF識別コード有りません!敵です!』
9番機を操縦するソフィーが応える。
『こちら5番!ムルマンスクからの飛翔体が進路変更して急速接近中!あれは……ミグ98だ!ミグが居るぞっ!』
ユニオンシティ独立戦争でF45攻撃機を蹂躙した、天敵の出現に動揺するパイロット。
『インディペンデンス!こちらクロッカスリーダー!ムルマンスクから発進した敵性物体接近中!ミグだ!』
母艦へ警告する編隊長。
『聴こえているぞ、クロッカスリーダー。クロッカスは直ちに撮影・索敵を中断せよ!交戦を許可!迎撃態勢に移行!』
空母インディペンデンスから応戦指示が出る。
『隊長!撮影機材のせいで、フェニックスミサイルが有りません!』
5番機が泣きそうな声を上げる。
『しっかりしろ!機首の化学レーザーが有るだろうが!』
動揺するパイロットを叱咤する編隊長。
『こちら9番!ムルマンスクからの飛翔体尚も増加中。50機を突破!』
増大する敵機に緊張する少女パイロット。
『9番落ち着け!レーザーを上手く使えば生き残れる!各員レッツ・ダンス!』
アフターバーナーで速度を上げると編隊先頭に出るクロッカスリーダー。
『9番!ソフィー機は我々が収集したデータを持ってそのままインディペンデンスへ帰投しろ!』
『そんな!?私も戦えます!』
まさかの帰還命令に抗議するソフィー。
『誤解するな。何もお前を戦力外扱いしているつもりはない。……誰かが生き残ってヨーロッパのデータを持ち帰らないといけないんだ!やってくれるか、ソフィー少尉?』
ソフィーを宥めるクロッカスリーダー。
『……了解しました。9番、僚機のデーター受信。母艦へ帰投します!隊長、幸運を!』
悔し気に唇を噛んで答えるソフィー。
ソフィー機は姿勢制御炭酸ガスを噴出して反転すると、アフターバーナーを使って加速すると戦場を脱出して母艦へ向かうのだった。
数分後、F45攻撃機編隊は地上ムルマンスクから打ち上げられたミグ98宇宙戦闘機群と交戦、クロッカスリーダーを含めた半数が撃墜され、生き残りは母艦インディペンデンスと共に主の居ない月面都市へ撤退した。
極めて短時間だったがソフィー機の持ち帰ったヨーロッパ各地の地上映像と索敵レーダーのデータは、インディペンデンスを経由してブリュッセルNATO軍総司令部へ直ちに送信された。
インディペンデンスからのデータを受信したNATO総司令部は、ユニオンシティ防衛軍の生き残ったサーバーに蓄積されていたデータと照合し、ロシア方面から押し寄せる大量の旧ソヴィエト製戦車がエリア51の”シャドウ・マルス”にハッキングされたシベリア秘密軍事都市のAI(人工知能)が、廃棄・放置されていた戦車を遠隔操作ドローンとして改造した物だと分析した。
数万台に上る無人戦車軍団は、雲霞の如くポーランド国境へ殺到、黒海に面するルーマニア側からもサイボーグ・ワーム群が上陸、あっという間に天変地異で弱体化していた各地のNATO軍を蹂躙、僅か2週間でスペインのイベリア半島まで制圧していた。
各地で防衛線を突破されたNATO軍は、英国イングランド島や中欧アルプス山脈に立て籠もって抵抗を続けていた。
中東では、黒海から旧トルコ共和国イスタンブールへ上陸したサイボーグ・ワーム群が残存トルコ軍を殲滅して侵攻、トルコ中部カッパドキア地下都市に立て籠るイスラエル連邦軍と一進一退の攻防戦を繰り広げていた。
シャドウ・マルスによる開戦直後のサイバー攻撃、電磁波攻撃、サイボーグ・ワームとAI無人戦車による大規模な電撃戦でヨーロッパの大半が占領された事態を目の当たりにした地球連合防衛軍首脳は、地球人類がこのまま地上から駆逐されるのではないかと深刻に懸念するのだった。




